「過ぎ去りし一瞬」


 天才は孤独だという。世界一の外科医を自負する彼、そして多くの人々が彼を天才と呼びつけて手術の腕を絶賛し感嘆する。何人かの外科医が奇跡の腕を見るために彼の家に訪ねてくることもあった。権威・権力に反発して警察や大病院から毛嫌いされ、多くの暴漢強盗に襲われながら、彼の自尊心・天才を自覚する強靭な魂が彼を孤高にした。
 「音楽のある風景」で、世界的外科医と評判高いD国のチン・キ博士の術式を見学したとき、彼は「すばらしい腕だ」「世界一の腕だ」と絶賛した。彼とチン・キ博士のどちらの腕が優れているのか? 残念ながらわからない。チン・キ博士は彼の手術の腕を見たいと言うも、道中、D国の警察に国家反逆罪で逮捕され直後に心筋梗塞で卒倒してしまう。「もうだめだ・・・」と諦める彼にチン・キ博士は自分の手術を彼に依頼した。おそらく、博士は死亡した。術式前に「多分、無駄だろう」と彼が言っているからだ。彼が認める数少ない天才外科医はこうして亡くなってしまい、彼と天才の技術を競える人間はいなくなったのだろう。
 だが、彼はチン・キ博士をライバル視していたとは思えない。むしろ、恩師・本間丈太郎への敬慕に近いと同時に、博士の腕を素晴らしいと称賛する一方に余裕があるかもしれない。それは自分の腕に対する確かな自信のあらわれだ。
 天才は天才を知るともいう。ピノコはよき理解者だが、彼の技術の天才性までは理解できない。ドクター・キリコはライバルというよりけんか仲間といった感じだ。彼の理解者は他にも何人かいるものの、みなが彼の技術に頼るだけであり、彼の腕の休める場所はまったくないといえる。
 さて、「過ぎ去りし一瞬」である。本編作品中最も長い挿話である。彼が街で偶然に出会った若いタクシー運転手・今村健平は他人の傷を見ると同じ場所にみみず腫れができる特異体質を持っていた。彼の顔の傷を見て長らく忘れていたそのアレルギーがぶり返してしまい、彼はなりゆきで健平を入院させて原因を探ることになる。
 健平の背中には弾痕のような二つの傷があった。「あざ」と言う健平であったが、ある夜、何者かに追われて逃げるものの銃で撃たれてしまう夢にうなされて悲鳴を上げた。駆けつけた彼とピノコによって背中の傷から血がにじみ出ているのを発見され、そのまま術式へ。内出血の原因を調べるべく切開した結果、彼は血管の縫合跡などを発見し、「あざ」が銃創だと判明する。健平は何者なのか? いつどこで撃たれたのか? そして彼をして「わたしと互角か、それ以上の腕前」と言わしめた健平の銃創を手術した者とは?
 鍵は健平の寝言から得た「サンメリーダ」という地名。調べたところ、中米エルサルバドルにその名の村があることを突き止め、彼は自分と同じ天才外科医に会えると言う大きな期待を持って空路その地へ。そして、彼の地で次々と記憶を紡ぎ出す健平は自分が何者なのか苦悩し、一方の彼は念願を叶える。ゲリラと政府軍の内戦真っ只中の二十年前、日本人記者の赤ん坊だった健平を手術したのはファスナーという、当時のサンメリーダの教会の神父だった・・・
 本作は全編中屈指の名編として、単に長い挿話という位置付けで終わっていない。個人的には、「ときには真珠のように」「ふたりの黒い医者」と並ぶ傑作と評する(細かな欠点はあるものの、それを問題にしない物語力である。たとえば、健平がマリア像を見て涙をこぼす理由を説明なしで後にはっきり描いているなど、短編中編にありがちな場面の適当な省略がなく、実に無駄がない構成である。)
 まず、本作の主題である「天才」が秀逸である。少年・少女マンガにありがちな「天才」が登場する作品はときに理不尽なほどに「天才」という理由で事件や問題が解決してしまう傾向がある。そんな天才たちは自分と互角の存在に遭遇しても苦悶しない。敵ならば倒し、味方になると途中でかっこよく死なせるものだ。では、本作はどうだろうか。彼が認める天才・ファスナー神父は手術の成功は神のおかげであり奇跡だと断言してしまう。当然、彼はそんなことを信じない。遠路こんな辺鄙まで来た理由はただ一点、その腕の技術を見たいがためなのである。
 彼が世界的な外科医として大金を巻き上げている理由は本編でいくつかの挿話で説明されている。自然保護のために沖縄の小さな島々を買い占めていること・母を死に至らしめた者への復讐・父への復讐などが上げられるだろう。さらに本作によって「天才探し」も加えられた。しかし、ついに見つけた天才は彼の要望を拒否し、果てにはゲリラの一味として警察隊に撃たれてしまうのだった。死なせては捜査が行き詰まってしまうために、彼は神父の手術を法外な手術料の請求で承認して早速術式が始まる。
 これは彼の戦いである。相手は、赤ん坊だった健平を手術したファスナー神父であり、患者も神父であり、審判は健平と術後の神父である。「・・・せめてこの人が健平に手術したぐらい見事にやってのけたいもんだ・・・」という彼のセリフがそれを象徴している。手術は成功し、神父は彼の機転によって警察から逃れるものの、別れ際の彼の表情は実に寂しげであり、ピノコの言葉通りである。「先生はね、お友らちがほちいの。先生みたいに手術うまい人さがちてゆ。れもね、結局先生は独りぼっちなの・・・」
 戦いの結果は明白だ。彼の敗北である。そして勝者はいない。何故か。健平の背中に残された弾痕である。劇中、この傷を「奇跡のしるし」に残したと語る神父。一方、神父の手術中に神父の右手の指二本がちぎれていることに遅く気付いたこと。故意に残された傷と過失によって残された傷の違いは歴然としていた。さらに、神父は手術を出来る指を失った、彼は奇跡の腕をもう見ることができない・・・二重の敗北である。手術の失敗例はいくつか描かれることはあっても、こうまで彼に敗北感を与えることはなかっただけに、彼の孤独感が色濃くラストシーンに漂っている。また唯一、天才との対決を描いたという点でも、この挿話は稀有な傑作である。

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