映画「誰も知らない」

それでも僕たちは生きる

監督・脚本・編集:是枝裕和

撮影:山崎裕 録音:鶴巻裕

美術:磯見敏裕・三ツ松けいこ キャスティング:新江圭子

音楽:ゴンチチ 挿入歌「宝石」タテタカコ

主演:柳楽優弥 北浦愛 木村飛影 清水萌々子/韓英恵 YOU/串田和美 岡元夕紀子 平泉成 加瀬亮 タテタカコ 木村祐一 遠藤憲一 寺島進



 未見の方々には申し訳ないが、ネタばらしていく方向の感想なので、よろしく。一応の配慮はしていくけど、突っ込んだ感想となると、あれこれ書かずに置けないわけで。

 面白い映画ではないし、つまらない映画でもない。そのような感想をもった人は、アキラ(柳楽優弥)が冷たい肌に触れて「気持ち悪い」と思ってしまったときの苦悩を思い出してほしい。ではどんな映画だったのかといえば、実は言葉に詰まる。だからとりあえず、やっぱり面白いと言ってしまう自分がいて、憂鬱になる。この感覚は、ラストシーンを見守っていたときの私(あるいは観客)の思いに通じる。希望とか絶望とか、そんな割り切ったものではなく、ただもう傍観するしかない。子供達の力強い背中が、脳裡に刻まれてしまった。
 さて、サントラ買ってずっと聴いている。シンプルな楽曲のなかに、子供達の走る姿や笑顔が蘇る。いい。でも映画の冒頭を思い出すと、笑顔の裏にある切なさがこみ上げてくる。そして直後の引越しの場面と、終盤のアキラとサキ(韓英恵)が羽田へ向かう場面によって冒頭の意味が繋がると、泣けてくるようで来ないけど泣けない感じが胸の中でもやもやして、結局泣いてしまう(実際はそのとき泣かなかった、エンドロールでじんわりと染みてきた感じ)。
 ああそうか、まずは映画の説明か。 面倒なので公式サイトで確認してくれ。で、引越しの場面に話戻すと、そこでさ、トランクの中からシゲル(木村飛影)とユキ(清水萌々子)が出てくるでしょ。もうびっくりだよね、子供らにとっては遊びなんだ、暑いねーとか言って笑ってて、何度か経験していることが知れるし、驚いた。アキラは……ユキの入ったトランクを撫でてるんだけど、これもまた来るね。押し寄せてくるね。全部観終わってから、各場面場面をふっと思い出すたびに、あれとあれがあー繋がって、だからあれはこんな意味になる・想像ができる、ってのが素晴らしいね。ものすごい多様な感想が生まれてくる映画だと思うんだよ。2chの感想スレを斜め読みするだけでも、いろんな感想があるもんだなと。多くの感想が肯定も否定もせず、ただ映画の内容を自分で受け止めて想像し、その過程と結果を書き込んでいるのだ。
 前半でいろいろとネタが撒かれていることもわかるんだよね。だから余計に哀しくもなり切なくもなるんだけど、これも上手いね。私自信全てを覚えているわけではないけど、思い出せるいくつかの場面をひとつ採り上げるだけで、劇中のさまざまな場面が同時に浮かんでくる。淡々とした物語で、悲劇を煽る音楽はないし、感動を増幅するような大袈裟な演出もしない。冷たいぐらいに一定の距離を置いて4人の子供達を映しているだけで、物語を理解させようというわかりやすさもない。ただ、子供達の表情やわずかに漏れた言葉から、観ている者たちはたくさんの何かを感じ、それが見えない糸となって各場面を繋ぎ物語をつむぐ。例えば、これは反則技じゃないかってくらい胸が詰まってしまったアポロチョコ……最後の一個……これもおやつとしてアキラが買ってきた……あー、ごめん、アキラがユキを大切に思う気持ちの場面がどっと蘇ってきて、じんわり来てしまった。すげぇ映画だよ。探すじゃん、あれを。せっかく出来た友達の万引きの誘いは断ったのに、盗っちゃうじゃん、あれを。キュッキュサンダル履かせるじゃん。ここでキョウコ(北浦愛)の言葉が蘇るね、気付かないうちに成長していたことを知る彼女のわずかな一言、正確には覚えていないけど、大きくなっていたユキを、そのような形で確認してしまう……
 キョウコといえば、物静かであまりしゃべらないよね。シゲルみたいに派手に騒ぐこともないし、アキラのように外出できないにもかかわらず、じっとしている。母(YOU)に塗ってもらったマニュキュアを、剥がれてもなお愛でる姿はいじらしい。オシャレしたい年頃だけど出来ない哀しさもある。そんな彼女が、4人で公園に出かける場面、ものすごいはしゃいでいるんだよ。明るい場面なんだけどさ、思い出すだけで複雑な感情でまた胸が詰まるな。横断歩道を渡る場面で、「ヤッホー」ってぴょんと跳ねるんだよ。あー、もうめちゃくゃ嬉しいんだなって感情が襲ってくる。公園で妹が立った台だかなんだかを撫で付けるようにして、台に着いた砂を払うとか、毎年貰うお年玉袋を見比べて……これもさ、すごいことだと思いませんか、皆さん。この前の方の場面で袋に名前を書いてもらう場面があるんだよね、知り合ったコンビニの店員(タテタカコ。私はずっと西田尚美だと思ってたら、パンフ見て挿入歌を提供した人だと知り、びっくり)にアキラが頼んで代筆してもらう。これだけ。これだけで、アキラは毎年そうやって弟妹たちにお年玉を母からと偽って渡していただろうと知れるし、またキョウコは字の違いに気付いて、切なさが自然に増すというわけ。一場面によっていろんな想像が広がっていくんだよ、そういう余地をたくさん残してある映画なんだ(パンフで作家・狗飼恭子が言う「余白」と同じ意味。漫画の感想でも、想像力を促す演出について書いたことがあるが、この映画も実にいろいろと想像させてくれる)。
 ところでしかし、あれに触れないわけにはいかないんだよな。実際に起きた事件を下敷きにしているものの、フィクションであることは上映開始直後に監督の言葉としてテロップが表示されるんだが、それでも事件の概要を知っていたので、幼い二人のどちらかが死んでしまうだろうという予測があり、アキラの友人が家でテレビゲームする辺りからは個人的に緊張感もあった。で、件の場面の直前のアキラの笑顔ですよ。これはきついわ。野球が好きっていう設定でね、電気止められてテレビつかないから、隣家から漏れ聞こえるナイター中継に耳を済ませたり、ゴムボール拾って木の枝で打ったり、そして少年野球をぼーっと眺めていたら、監督に目を付けられて(おそらく人数が足りなかったためだろうけど)、野球をするんだよ。その時の笑顔が一転して……
 羽田に行って埋めて帰る。この場面では台詞がほとんどなかったと思うんだけど、多分観客の頭の中にはいろんな回想シーンがそれぞれ流れたんじゃないのかな。常套手段として回想を加える作品はたくさんあるけど、これはとにかく説明がない、だけどわかるってのが素晴らしいんだが、回想するのは観ている側なんだよね(いや、回想シーンあったような気もしてきたな……)。登場人物はじっとそれを見詰めているだけ。互いに向かい合っているんだが、何も言わない。埋める場面では飛行機の騒音が容赦ない、ここで呟くようにやっと言葉を漏らす、気持ち悪かったと。その辛さ、いじめを受けていたサキも実感しているのだろう、そっと手を添える。でも泣かない。あの構図、普通に手の甲に涙が落ちるかと思ったけど、違う。あれはサキの手を待っていたのか。帰り道の二人はひたすら歩く、朝焼け、橋の上、泥まみれの服、タテタカコが歌う「宝石」。そしてモノレールの二人、凝然と、「だれもよせつけられない異臭を放った宝石」、柳楽優弥と韓英恵の存在感に圧倒される。特に柳楽優弥の眼力は、だれもが指摘しているところの強さを持っている、「氷のように枯れた瞳で僕は大きくなっていく」
 是枝裕和監督をはじめスタッフの皆さん、「誰も知らない」をありがとう。
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