ついでに映画夜話2000



 常々映画について漫画の感想文同様にたっぷり語りたいと思いながら、そこまでの余裕がないのと漫画よりもいっそう疎いその技法・演出に素人が見当違いの文章を公開しようとは、なんておこがましいことだろうと判断し、更新日記でたまに最近観た映画についてちょっと触れる程度に収めていたものの、漫画に特化した当サイトにおいて、それも非常に読む人を選ぶだろう文章のいくつかを眺めて漸く、たまには生きぬきもええやろと軟化した結果、ネタに窮しただけという真の理由を隠そうともせずに今回、今年公開された映画限定で面白かったもの楽しませてもらったものを綴っていく所存につき映画に興味のない方々は草々に退くが吉ということである。
 私は今年約30本の映画を劇場で観た(田舎故に中には去年公開された映画が数ヶ月以上遅れてやっとこさ上映ということもあるので、今年公開の映画に限れば30本にも満たない)。世の中には100本200本当たり前という猛者もいるが、別に通を気取りたいわけではないので多寡の是非は知らない。ビデオ鑑賞(これも今年公開された映画が後にビデオ化されたという意味。ちなみにDVD。)も含めてやっと30本超えるくらいといったところだろう。とりあえず、その程度の中から選んだ佳作秀作怪作であることを承知していただいた上で、思いつきまま語っていく。なお、漫画の感想文同様にネタバレ全開なのでご留意を。戻る

目次
「雨あがる」 監督:小泉尭史 脚本:黒澤明 主演:寺尾聡、宮崎美子、三船史郎
「BULLET BALLET」 監督脚本他:塚本晋也 主演:塚本晋也、真野きりな
「あの子を探して」 監督:チャン・イーモウ 脚本:シー・シアンション 主演:ウェイ・ミンジ
「人狼」 監督:沖浦啓之 脚本:押井守 主演:藤木義勝、武藤寿美
「バトル・ロワイアル」 監督:深作欣二 脚本:深作健太 主演:藤原竜也、前田亜季、山本太郎、安藤政信、柴咲コウ




「雨あがる」


 余韻の清々しさはこれ以上ない。鑑賞中の情動はもちろん大事にするが、鑑賞後の情動はもっと大事にしたい。というのも、漫画の感想文で書いたけど、消費したくないのだ。そりゃ日常はことごとく消費していかなきゃ生きてけないような殺伐とした雰囲気だけど、記憶まで消費してたら、それこそ流行を追いつづけるような、零細企業の自転車操業よろしく疲れて疲れて自分の人生をただ食いつぶしている感じで恐ろしい。だから、せめて映画とか漫画に関しては気分良く臨みたいのである。で、この映画はほんとに気持ちがいい上にしっとりと脳裡に刻まれるセリフも演技もあるから嬉しくて仕方がない。  「人間はみんな悲しいんですから」、黒澤映画ではおなじみらしい宴会場面(私は黒澤映画3本しか観てないのでわからん)のセリフだけど、重い言葉である。劇中では特にそれほどの反応を示されずに話が進むが、とんでもないことをさらっと言ってしまうな―と感心しきり。その後は宿のみんなでわいわいやるんだけど、ずっとこの言葉が引っかかって、非常に複雑な気分で裏じゃ誰もが苦労してるんだなと感情移入してしまう。時代劇だなーとしみじみ、貧しい者同士が助け合う姿なんて現代劇ではすでにリアリティが出ないのかと思った。
 それにつけても主人公・三沢伊兵衛を演じる寺尾聡の立ち居振舞いの柔らかなこと。劇中では抜刀後真剣な表情で素振りする場面があるけどその迫力が背景の寂々とした林間の空気をすぱっと斬り捨てて、でも鮮やか過ぎて空気は斬られたことに気付かない様子で小鳥が囀っているんだけど、画面からは三沢の気合がひしひしと伝わってくるのだ。わいわいドタバタ映画ファンなら欠伸するかもしれない(最後も素振りする場面があって、私もそれはちょっと退屈したものの「未練は斬って捨てました」というセリフでおおいに納得した)場面だが、これだけで主人公の性格と剣の腕が知れてしまう作りというわけ。
 三沢の妻・たよを演じる宮崎美子が、この夫にしてこの妻ありってな感じで奥ゆかしい上に甲斐甲斐しく、雰囲気は前時代的な夫を立てる妻といった按配でありながら、実はそうではないらしい性格を演じている。ラストシーン・夫の先頭をすたすたと歩くたよがまたいいのだ(もっとも、伊兵衛がゆっくり歩いているのはその時まだ未練があったためだけど)。気持ち良いんだよね。あまりに理想的過ぎてかえって嫌味に思えるくらいあざとい設定と感じるなかれ、これはそういう善人ばかりの物語なのである(厳密には汚い野郎も登場するが無視していい)。それを象徴するのが殿様だ。
 殿様役は三船史郎。この人の素性はどうでもよい。とにかくど素人演技を臆面もなく堂々と、さすが殿様だと感心してしまうくらいの度胸と棒読みへっちゃらの演技で笑ってしまう。実際、劇場では彼の場面でくすくすと笑いをこらえる人々がいたし、私も彼が登場すると自然とにやけていた。でもそれが殿様の設定にぴったしなのだから、彼を起用した監督はえらい。「うん、そうか、なるほど、そうかもしれん」とか言うセリフなんて特にひどいいんだけど、当初の嘲笑に近い笑顔が後半にはすっかり「殿様はこうでなくてはならない」と勝手に決め付けて、実際この演技以外考えられないくらいなのだから、つくづくいい映画である。
 他の出演者には井川比呂志に原田美枝子と私のお気に入りどころの役者が登場し、なんといっても仲代達矢が伊兵衛の師匠役で登場したときは歓声をあげたいくらい、とは大袈裟だが、もう役者だけ見てても飽きない。



「BULLET BALLET(バレット・バレエ)」


 塚本晋也がどのくらいのカルト人気を持っているのか知らないけれど、私は「東京フィスト」を観てすっかり気に入ってしまった。出世作「鉄男」の面白さは正直良くわからないんだけど、映像の旋律が物語の筋そっちのけで観ているだけで酔いしれてしまう力を感じた。それに石川忠の音楽が相乗して頭にこびりついて離れなくなる。お笑いのお約束のボケのように、次の場面にあれが来るぞと待っててあれが来たときはもう手放しで賞賛したい。
 肝心の「バレット・バレエ」は地元では上映されずDVD鑑賞になったのが悔やまれる。一度も巨大スクリーンで塚本節を拝したことがないからだ。で、せめてビデオだけでもと早速購入。この作品への期待は他に真野きりなが出演しているという理由もあるけど、とにかく私は観なきゃならない使命感を勝手に抱いた。
 冒頭、エリック・サティのジムノペディ第2番を口ずさむ声はキリコ(鈴木京香)。携帯でそれを聞くのが彼女の恋人の主人公ゴウダで演者は毎度おなじみ塚本晋也。彼女の浮かれ様にゴウダの足取りも軽い。ところが、自宅マンションで待っていたものは野次馬と警察だった……彼女は拳銃自殺していたのだ……という発端から物語ははじまる。なぜ自殺したのか? なぜ拳銃を持っていたのか? という自問を繰り返しながらゴウダは自らも拳銃を手にして彼女の後を追おうという絶望的な目的に向かって奔走していく。また、拳銃を求める行動の一方で不良少年グループのひとり・チサト(真野きりな)とのやり取りも進む、地下鉄のホーム際で突っ立っているところを「助けた」のがきっかけ、事実は電車を恐れずにそこで立っていられるか否かというグループのゲームだったわけで、ゴウダはそれを邪魔したうざいおやじに過ぎず、後日ボコボコにされる。ゴウダの目的はそこで奴らを銃で撃ってやろうという方向に向かって、拳銃への執着はいっそう強くなるのだった。
 期待の塚本節も健在、さらに全編モノクロで妙な緊張感が常に付きまとっている。さらにゴウダが拳銃そのものにとりつかれていく過程と、少年グループのなわばり抗争が激化していく過程が連動して頂点に達したとき、ゴウダは本物の拳銃を撃ち放った。そして「死」を通して惹かれ合うゴウダとチサトの関係が見逃せない。また「いつまでもこんなことしてられない」と就職活動をするチサトの仲間ゴトウ(村瀬貴洋)の姿もどこか痛々しい。いや、登場人物みんな痛々しいんだけど、グループの連中の方は暴力を弄んでいて、「死」そのものも自分とは無関係な世界だと思い込んでいる態度がむしろ無邪気に思えるほどで、チサトだけが死に向かっていて、それが「殺してくれるのなら殺してくれ」といった感じのゴウダと交感するのだろう。
 生死について考えながら観ると、ラストの疾走がたまらなく感動してしまうのだ。物語はその後グループの仲間が次々と殺されて壊滅、生き残ってしまったチサトと抗争に係ることになりながらもまた生き残されたゴウダは、仲間の死体が焼かれる様を眺めながら気力尽きて地面に肩寄せ合わせて座っているのだが、ここから立ち上がって互いに背を向けて歩き始める。当初の傷の痛みもやがて吹っ飛んで、お互い両手を広げながら走り、生きてるぞーてな具合になにかを叫ぶ。モノクロも影響しているんだろうけど、「東京フィスト」にはなかった開放感があって、すげえやこれ、これ書くためにちょっと観ようかとしたら、どうしても最後まで観てしまう・観ざるを得ない吸引力。
 音楽以外はほとんど自分でやってる塚本晋也の存在がほんとにでかすぎて、脇役は彼以上の強烈な印象を残す役者が必要なんだけど、この作品では結構な豪華キャスト(他に井川比呂志、中村達也、田口トモロヲ、井筒和幸(あれ? 監督なにしてんねん))で対等に張り合っている。その中にあって真野きりなはちょっと弱いなーと前半は思えたんだけど、後半からは持ち前の存在感(この言葉は随分抽象的でいまいち意味を伝えにくいな、もっとわかりやすい言葉を選ぶとしたら、……難しいな、どんな容貌であろうと画面に客を惹きつける力のある態度……単なるきれいなモデルというのではなく、つまり生きている姿だけで物語になってしまう。映像の中の話だけれど。)、ゴウダの部屋できゃっきゃっ言っている場面は当然かわいらしいと思ってると、次にはもう虚ろな眼で死と共に佇立しているのだから、後半は他の役者を押しのけて塚本と渡り合っている、とんでもない役者だ。



「あの子を探して」


 本年の私的最高作品がこれだ。文句なし。予告編で観たときは、印象薄くて期待せず、まあ中国映画なんてめったに観ないし、たまにはいいかという下司な理由で鑑賞にふらりと臨んだ。それでひっくりかえった。なんてこった。映画の前評判なんて全然知らないものだから、一切先入観なし、そもそも監督のチャン・イーモウすら知らない無知ぶりだから、映画の知識さえない。それでも慄いた、こりゃすげー、ともうばか丸出しでろくな言葉が思いつかない。とにかく誉めまくるしかないような。当然また観たかったが、レイトショーで一日一回のみの上映でわずか一週間の興行の最終日ではどうしようもない。
 物語の舞台は貧村の小学校から始まる。たった一人の教師が一月の休暇を必要としたため困った校長は隣村から代用教員を連れてくる。ウェイ・ミンジ、13歳の少女である。彼女しかいないから仕方ないらしい。教師は一月の休暇の間をとても心配した結果、一月間、一人も生徒が欠けていなければ一月分の手当てにさらにボーナスを加えようと金でミンジに気合を込めさせるのだ。原題は「一人でも欠けてはならない」とか言う意味で、子供の流出に悩む田舎の学校の貧しさが半端でない。だからお金は大切なのだ、全てはお金のために。なるほど、ということは後半はお金云々なんて話を吹き飛ばして生徒一人を探すためにこの子が奔走するんだな、と予告編のわずかな映像から察して、正直たいしたこたぁないなとすっかり油断したため、ミンジと生徒のやり取りだけで十分面白いのだから不意打ちを食らった。生徒(子役達もめちゃくちゃいい味出してるんだな、これが)はミンジのそっけない授業に反発するし、ミンジは囚人の監視役よろしく徹底した管理を試みる。当然生まれるひと騒動にミンジはうんざり、生徒達もうんざり。そんな中、校長(こいつもまた嫌らしい役どころだけど、どこか滑稽で面白いんだよな)が体育学校の教師とふらりやってきて、足の速い子を車に乗せて連れていってしまう(ミンジはここで車を追っかけるんだが、この場面も微笑ましい)。なんてこった、これ以上は絶対に生徒を減らさないぞと意志を固めたミンジは、まもなく家庭の事情で都市へ出稼ぎに行った生徒・ホエクーを連れ戻すべく、大冒険に挑むわけ。予想通りの展開でありながら、全然飽きないのだから不思議。すべては監督の手腕か脚本の妙か役者(ほとんど素人で、実名が役名となっている登場人物多数、ミンジもその一人)の垢抜けなさか、絶妙だ、劇場には結構な数が詰め掛けていたから、きっと客の多くは前評判を知っていたのだろうが、私もパンフレットを鑑賞後に読んでこの映画が確かに評価されていることを知った、ベネチア映画祭グランプリというのは予告編で知らされていたけど、まさかここまでの面白さとは。カンヌ映画祭パルムドールの「ロゼッタ」も2ヶ月ほど前に観ていて、これはこれでひたすら暗いながらも面白かったんだけど、どこがそんなに支持される映画なのかわからなかった、いや、「ロゼッタ」より印象に残らない映画を今年は何本も観ているし、DVDも買うか否か真剣に悩んだくらいだけど、大賞受賞が映画の面白さ(当然私的なものだが)を保証するものではないなと今更実感した次第、そんな自分が情けなかったりする。
 それはさておき、たちまち映画の世界に捉えらた私は、もうミンジに感情移入しまくって、ひたすら祈ってしまった、彼女の一挙手一投足に親のような視線で励ましたり悲しんだりして、そんな自分はやっばり情けないのだが、いつもどこかにある冷めた情感・ちょっと批評してやろうという生意気な態度がすっかり消え去った感覚に酔った。幸福感とはまた青臭く恥ずかしいが、それが相応しい言葉かもしれない。



「人狼」


 押井守のことはよく知らないから、ポスターを見てもどんな話か想像が出来なかった。とりあえず観ておくかという軽い気持ちで入場し、明らかに暴利なパンフレットに腹を立てながら中身を一瞥して人物相関図を発見、ネタバレの匂いを嗅ぎつけて間に挟まっていたチラシを読むにとどめて着席した。まばらな場内には確か20人くらいか? もう慣れている、一人で鑑賞した映画も数本あるから、むしろ多いくらいだと思ってしまう。
 冒頭の時代背景の説明もチラシを少し読んでいたのでどうにか混乱せず飲み込み、重厚な物語の予感に背筋が引き締まった。題名に被さる音楽が雰囲気を盛り上げる。続いて自治警とデモ隊の衝突、路地裏を駆け抜ける少女、投擲爆弾に吹っ飛ぶ自治警員、こりゃすげーと感嘆した。一体この映画はどこへ行くのか全く見当がつかないまま、地下水道を捜索する特機隊から逃げようともがくテロ組織・セクトのメンバー達の末路が凄まじい・蜂の巣なんてもんじゃない射殺、実写みたいだという当初の思いもすぐに改たまって、少女の自爆の影響による街の停電、そして物語の鍵となる少女を追い詰めた隊員・伏(声:藤木義勝)の「何故撃たなかったか」という自問、撃てば防げたはずの失態だが、もちろんそれは少女の死を意味する。ところで「人狼」って何だ、という疑問も伏の処分を検討する首都警公安部部長・室戸(声:廣田行生)の口から漏れる、幹部でさえも実態を把握していない「人狼」という組織とは……以上パンフレットを参照しながら書いたが、厳かなドラマであることは想起できよう。
 さて、特機隊員養成学校への一時降格処分によって再訓練に励む伏はある日、少女の爆死に責任を感じて彼女の墓を訪れると、少女の姉(声:武藤寿美)と邂逅し、やがて惹かれ合う。といった感じで、政治臭い物語と並行して恋愛物としての性格もある。なんでこうなったかなんて興味はなかったのだが、ばか高いDVD(12800円、バンダイさん、あんた酷いよ)に添付されていたメイキングビデオには監督沖浦啓之と原作・脚本押井守の静かな対立が描かれていた。私の無知な解説より、こちらを参照したほうが適当だろう、すなわち、
 押井「監督やってみな、俺の原作で」沖浦「押井原作の作品は嫌だが、男と女の物語なら押井原作でも構わない」押井「ならばそうしよう」沖浦「え? ほんと? となると、もう後には引けないな、やってみるか」押井「物語設定の基盤は、テロのために爆弾を運ぶ「赤ずきん」だ」」沖浦「でも軸は男女の恋愛、つまり出会いと別れ」押井「古典的な、シンプルな話になりそうだ、となるとディティールが大事だ」沖浦「でも男女の物語が主」……(映画鑑賞後)……押井「感動した、けど俺が演出してたら全く違う作品になっただろう。これは完全に沖浦の作品だ」
 という次第らしい。沖浦監督が脚本にもっと口を挟んでいたら完全に悲恋物になっていたかもしれない。劇中、デパートの屋上で交感する伏と少女の姉の会話の場面なんて監督と脚本のぎりぎりの折衷案を模索しているようだ。まあ、押井作品に詳しい人ならば上映中に気づくことが出来る事情なんだろうな。で、この物語の哀しみをさらに引き立てるのが音楽・透明感がいいのだ、うるさくないのは当然として、されどしっかり耳に残る。
 けれども、こういう映画はアニメでしか表現できないのが寂しいところである。押井「アニメだからこれが出来た」沖浦「実写でなく何故アニメか、これから考えたい」私は前者に賛意。そもそも実写でこの時代設定が受け入れられたか怪しいし、「人狼」の先駆けとなった実写「赤い眼鏡」は映画ではないとまで批判された押井の屈辱感を思えば、アニメで仇討ってやろうという深意があったりしてね。



「バトル・ロワイアル」


 今年の東映映画はどうにもならないくらいつまらないものが多く、一から観る気がしない映画もあって、邦画贔屓の私といえど「邦画はだめ」という偏見も致し方ないような気分にまで落ち込んだものだが、そうした中でこの作品は予告編から不気味さを醸していて(キタノ(ビートたけし)が女生徒をナイフで仕留める場面。【残り41人】)、ほんとに殺し合う映画なのか……と期待と不安めいた戦慄は膨らむばかりだった。
 公開初日、今年初めての盛況(もっとも、東映アニメ映画は観ていないからわからないけど)の源は若い人達の熱気だった。これには某議員の強烈な後押しで話題になったこともあろうが、原作の人気ぶりの影響もうかがえそうだ。私は書店で原作本を見るたびに、映画が面白かったら読もうと心に決めていたので、「君たち、頼むから映画の筋をぺらぺら喋るなよ」と憂いながら入場。いつも空いた場内をゆっくり眺めながら席を探すのだが、今回ばかりはそうもいかず、と言うのも私はスクリーンに近い席に着くことが大半だから、ゆっくりしてても真ん中辺りから埋まり始める席を尻目に堂々と前列の正面に居座ることが出来たわけであり、この日は2人連れ3人連れ当たり前でみながみな固まって居ようという見えない意識のもとに前後問わず広く空いた席から埋まっていくとなれば、当然空きやすい前列が標的となって、仕方なく私は首が痛むのを覚悟して彼ら彼女らのさらに前に座って不本意ながら肩を下ろした。上映前の騒がしさは開幕して間もなく静まり、私の思いは杞憂で済んだ。いよいよ始まる。
 映画の知識がないことについては再三述べたが、深作欣二作品も例に漏れず、過去に観たのは「蒲田行進曲」(これはテレビで観た)と「おもちゃ」だけで、監督のアクション映画なんて想像もつかない。映画の予備知識は製作の中心のひとり深作健太(監督の息子)の雑誌インタビューくらい。私は劇中の中学生と同様の立場に置かされたような、わけのわからなさに初っ端から緊張しっぱなしだった。ほんとに殺すのか? と未だに信じられない中で、はじまって間もなく登場したビデオのお姉さん(宮村優子)の解説に、こりゃほんとだよ、ちょっとこえーなと年甲斐もなく顔が引きつる。しかも、あっさり二人死んで上映前の不安めいた戦慄の正体に気付いた、ひょっとしたら私は人が殺される場面に慣れちまうのかもしれん、鈍感になってしまうのかもしれん……そもそも殺し合いに狂喜していいのか……
 さてしかし、生徒達のほとんどが生きる為に懸命な姿を惜しみなくさらす描写に、ここまでしなきゃ生死を真剣に考えられないのかと自省しながらも、ぱらら桐山(安藤政信)の殺人鬼ぶりや必死に生きる光子(柴咲コウ)が一番普通に見えた。他の生徒が疑心暗鬼の中で一人もがきあがき殺し殺され、そんな中で信じ合いつづける秋也(藤原達也)と典子(前田亜季)に川田(山本太郎)がもっとも異様に思えてしまうのだから設定の奇抜さに震えた、本来あるべき姿が、この映画では不自然に感じてしまうのだ。灯台に集まった女生徒たちでさえ瓦解する信頼関係のもろさが表出されれば、いっそう三人の協力関係が浮き立つ(三人と言えば、サードマン三村(塚本高史)たちもいるが、原作では彼らでさえ最後にそれを失ってぱららに殺される。映画の中ではぱららに一太刀浴びせて果てるのが、本来主演扱いの一人であろう三村への製作側のせめてもの慈悲かな)。同時に、友達という言葉の不確かさも若い人だちは痛感するだろう、監督は明かに十代に訴えている、「がんばれ」「信じろ」と。そういう意味で非常に優れた青春映画だ。これほど観るものを考えさせる演出も巧みだと思った、字幕の多用がそれを補っている。そして、それら諸々の情念を一手に象徴する場面が、
 銃弾浴びて杉村「好きだった(絶命)」、泣き喚く琴弾「どうしたらいいの?」、笑う光子「死ねばいいの」、無表情桐山「ぱらららら」、鎌で反撃光子、拳銃ぶっ放す桐山、光子「私は奪う側に回ろうと思っただけ」
 思い出すだけで慄いてしまうあっという間の展開。こいつは素晴らしい映画だ。また観るぞ!

 他にも面白かった映画はいくつかあるので題名だけ挙げておく。「クロス・ファイア」「マルコヴィッチの穴」「シュリ」「カル」「漂流街」「ブギーポップは笑わない」「ダンサー・イン・ザ・ダーク(これを面白いと言うには気が引けるが)」といったところ。
 田舎の宿命。観たくても観られなかった映画たちは、「金髪の草原」「東京ゴミ女」「NAGISA」「スリ」「顔」「17歳のカルテ」「ひかりのまち」「発狂する唇」「ekiden/駅伝」「ペパーミント・キャンディー」「PARTY7」「MONDAY」などなど。映画館の数の割に、上映される映画の少ないことといったら……客が入らないと決め付けてるのか……これらの何本かは来年にやっと公開あるいはDVD発売が決まっているけど、映画館は宣伝を配給会社や製作者にまかせっきりにしないで営業に励んで欲しいね、そうすりゃ少しでも客は増えるだろうに、映画館にポスター貼って、あと地元の情報誌にちょっと上映情報載せておしまいってひどい、もっと真剣に宣伝に努めよ、映画館。


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