箱舟はいっぱい

 明日地球が滅びようとも、私達はのん気に暮らしているのかもしれない。しかし、もし助かる術があるのなら、人間はどうするだろうか? 答えは簡単だ、助かる術を他の人間に教えない、というわけだ。そもそも、全人類を救済するには莫大な収容施設が必要だし、すべてを統制出来るとは思えない。中に必ずいたずらする者が現れるだろうし、争い事が起こるかもしれない。人間は信用できないものらしい。為政者ほど、それを痛感できる立場はないだろう。だからこそ政治家は決断したのである、助ける人間を選抜しようと・・・。
 国内の収容施設の許容量は四万人である。「日本沈没」の死者は360万人だというから、その比でない人々が大災害に死滅するわけだ。おおー、なんともまあ大変な数である。これだけの国民を死なせるのだから、時の総理の心痛は想像するだけで苦しい。結果はともかく確実に歴史に名を刻むだろう総理の暗い表情は本物だろうか。
 対して選ばれた人々の思いは結構あっけらかんとしていることだろう。一家族を単位に無作為に選ばれたらしい箱舟に乗る人々は、ひたすら情報が漏れないよう常々の言動に注意して緊張の日々だったのだ。その日が来たときの彼らの表情は、うしろめたさが陰をさすかもしれないが、微々たるものだ。施設に着けば、解放感から抑えこんでいた選民意識が爆発するかもしれない。施設の安全性は完璧ではないのだが、そういう情報は伝えられていないだろう。収容された四万人のうちの数パーセントが死ぬかもしれない・・・もっとも外界に置き去りにされた人々よりはましだろうけど・・・いや、待てよ・・・大災害が起きたとしても、わずかでも生き延びるものがいるはずだ。きっと助かる人間がいることだろう。奇跡だろうがなんだろうが、六十億人もいるのだ、そのうち0.01パーセントが助かったと計算しても六十万人が助かるわけだ・・・ありえない話しではないだろう。ノアのあの大洪水でも、魚は生き残ったのだ、地上に食べるものがなくとも魚を食って飢えはしのげるのだ。となると、ここで当然現れるのが世界の新秩序。選ばれた人間(おそらく多数派だろう、日本だけでも四万人なのだから)と生き延びた人間(こっちの団結力と生命力は深窓の令嬢達の比ではない)の対立だ。これこそが人類滅亡の危機に至る大戦争の予感がする。
 ああ、しかし、飛び立つヘリコプターのなんと寂しいことか。「ルルル・・・・」である、「バタバタバタ」ではない。風が強くなろうが構わずにピクニックに出かける主人公たちのほうが余程元気がよろしい。バイバーイ(永久に)。
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