「月下の棋士」第23巻 初版1999年5月1日(小学館ビッグコミックス)

能條純一



 将棋の対局場面でいかにして読者をひきつけ続けるかは、同じような場面の連続にどれだけの表現力が発揮できるかという作家の力量によるところが大きいと思います。コマに描かれるのは、多くが駒や指先、そして対局者の顔でしょう。たった三つの言葉だけでさまざまな情報を読者に伝えなければならない、その苦労は私には想像できません。さて、「月下の棋士」です。特徴は人物にほとんど流線が描かれない、ということでしょう。
 13頁。力をこめてどんなに勢いを持って指したとしても、指に流線は描かれません。指の力はすべて駒に乗り移って激しく打たれた様が大きなコマで描写されています。流線は斜めに盤面に描かれていますね、これは駒が指に動かされたというよりも、駒自身が意志を持って動いたように見えます。この中指を隠せばはっきりそう見えます。「バチ」「パシ」といった擬音は、この作品ではほとんど記号と化しています、駒を指した、という合図のようなものです。
 16頁と17頁。ここでは駒を指す手に流線に近いものが描かれますが、一般的な流線、残像を描いたり輪郭をぼかしたりといった手法はとられていません。手の影や手の背景に流線がついていますね。
 何故でしょう。別に深く考える必要はありませんが、これには理由があると勝手に思うのです。駒をはっきりと描いてどこに指されたをはっきり見せる、という答えが思いつきそうですが、それはほんの一部に過ぎません。私は羽生善治棋士の言葉を思い出します、「棋士が自分を主張できる場所は盤面に限られているから、きれいに指したいんです」というようなこと。駒の持ち方は、素人ならば親指と人差し指と中指でつまみ、人差し指を突き出して指すでしょう。棋士は違います、100頁。持ち駒の歩を指す場面。中指を中心にして人差し指と薬指でつまみ、中指で駒を叩きつけます。実際にはつまみ方に個々の違いがありますが、駒を指す指は誰もが中指です。「きれいに指したい」の帰結が中指で指す、ということなのでしょう。(あるいは111頁。ここでは中指と人差し指で駒をつまみ、碁のように指していますね。つまみ方はおおむねこれら二通りです。)そういう棋士の思いを汲んで、駒だけでなく指もきれいに描こうとしているのかもしれません。
 ちなみに、この作品はプロ棋士が楽しんで読まれるほどしっかりとした現実味のある作品です。(劇中で登場する棋士の何人かは実在の棋士をモデルにしていますが、さて、何人わかるでしょうか)。

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