「メリケンパークからポートアイランドを望む」

木村紺「神戸在住」第3巻 講談社アフタヌーンKC



 木村紺の描く町並みの景色が好きである。他の漫画に出てくる都市の景色はこれが結構味気なく、気合入れて描いたらしい感じはあっても、なんの感興もなく、こまごまとしてて大変だねという程度で終わってしまうことが多いけれども、「神戸在住」の良い所は、道路を描いているという点である。町並みを観るとき、私たちの目に映るものは遠くの建物や山水ばかりではない、近くの地面あるいは自身の手足が視界に入っている、それによって遠近感を直覚することができるのだから、この近くにあるものとしての道路は遠近感をあらわすに絶妙な上に都市のせせこましさ又はゆるやかさのような、つまり街路の様子も同時に描けることによって住人の生活模様さえうかがい知れる、風景にとって非常に優れた人工物なのである。
 28頁1コマ目。高い日差しのもとで道の真ん中に立っている主人公・桂。画面左側のこれまた高い塀が閉塞感を生み、六月の蒸し暑さを強調している。その塀だけでもって充分に奥行きのある一画を画面に出しているが、ここで重要な点は当然中央の桂である、これによって遠近感の感じ方がだいぶ変わってしまうはずだ。後姿からは桂の気だるさは読めないけれども、この景色の中にぶち込むだけで、ナレーションを補って余りある画面となっていることに加えて、作者の描く風景の特徴というものがはっきりする。
 それが人である。画面の奥には、さらに二人ほどの輪郭が見えるが、建物と人の描線に違いがないためにどちらも点景化し、ひいては桂さえそこに溶けこんでしまうのだ。均一な線は、ごちゃごちゃと描かれた場合は何が中心なのかわかりにくく対象をつかみにくい絵になりやすいが、風景に関しては別である。まず奥行きさえあれば、結構な迫力でもって読者の目を画面に釘付けできる。近くにある物が身近な物であればあるほど、景色は一段と際立ちやすくなる。
 漫画の中で描かれる風景が芸術としての風景写真・風景画と異なる点が実はそれだったりするから、漫画は面白い。絵葉書に刷られるような風景を思い浮かべたとき、大抵そこに人はいないし、ただ漫然とした遠くの景色があるだけで、整理されすぎた部屋のようにきれいだけどどこか寂しい。北斎の富嶽三十六景が単なる風景画と一線を画しているのは、それが版画だからとか色使いがどうのという点ではなく、近接に動く人々が描かれているという大胆な構図によってもたらされた遠近感にあり、もっとも有名なはずの「赤富士(富士だけを描いた唯一の画)」が一番つまらない風景に見えてしまう。漫画の中にも遠景を描いただけのコマはあるが、それもやっぱりつまらないものだったりする。ところが、そこに登場人物を絡めるだけで途端に景色が活き活きとするから不思議だ。たとえ人物を画面に登場させずとも、吹き出しをそこに描くだけでたちまちにして奇妙にも遠近感が生じるのである。好例は2巻24頁だろう、1コマ目の神戸の名物景色風見鶏を高台から眺める三人、あまり描き込まれていない白の目立つ遠景にもかかわらず、どういうわけか良いと思えてしまう、いや、ほんとに描き込みが少ないのだから、町並みの景色の味もまた珍妙だ、これでもかと描き込まれた展望図よりも、ちょっと遠近感を表現するだけにもかかわらず感じられる風景。(木村紺の筆致に惚れているのも一因だろうけど)。そして4コマ目・5コマ目。風景と呼ぶにはおこがましいような望遠レンズ越しの眺望、肉眼とは遠い質感も漫画ならば簡単に風景に仕立てあげられる、そして吹き出しを書き足しただけで、あっさり遠くの景色だと認識させる絶妙さ。作者はきっとそんなところまで意識して描いてはいないだろう、ただ一筋な神戸の景色への愛着が生んだ筆致だろう。
 3巻の風景の見せ場は、なんといっても121頁8コマ目の雪景色である。現在、震災メモリアルパークとして当時の被害状況のまま一部が保存されているメリケンパークで友の死をかみ締める林浩(リンハオ)の後姿(不満があるとすれば、正面の顔の表現力に乏しいんだよな……横顔はもっとひどいし……だから、背中でよかった)。震災直前の深夜、酔い冷ましに寄ったメリケンパークで何気なく振り向いて眺めたポートアイランド(60頁6コマ目)に「静かでさわがしい、平和な時間」を感じた彼は、一週間後、同じ場所に立って何を思うのか。そのひとコマを読むだけで、それまで積み重ねていた彼の感情が風景の侘しさとともに読者の胸を強く捉えるのである。数日前に運んだ遺体に声を掛けつづける母親、上空のヘリの音、真っ暗な夜、瀬畑の妻子の死……奉仕活動は実際、静かでさわがしい時間だったに相違ない、それら全てをひっくるめて自然と体が動いて港までやってきた彼は、涙を落としながら彼にとっての「震災」を実感するのであり、読者にとっては121頁8コマ目と60頁6コマ目を対比させたときに、漫画という媒体を通してありありと「震災」を実感できる素晴らしい表現なのである。画面左隅にうすうすと描かれたポートアイランドは、まるで「富嶽三十六景」の富士のごとく存在を顕示せずともはっきりと震災を主張しているようだ。


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