「MONSTER」第11巻 小学館ビックコミックス

作者 浦沢直樹



 45頁。男が恐怖の視線を感じて辺りを見まわす場面です。映像でこれをやるならばアイレベル(目の高さ)でカメラを大きく左右に振って周囲を見回している人物の視線を強調するか、あるいは人物が見た周囲の景色と振りかえる人物の動きを数回切返すでしょう。ここでは後者の方法が取られていますが、男が見た景色は斜めに傾いています。実際は平行に見える景色を斜めに描くことによって得られた抜群の効果は、男の心理状態の不安定さと慌てている様ですね、同時に次の頁の最初のコマ・男の視線に映る景色を平行に描くことによって男の表情をはっきり描かず、読者に「気のせいか」と安堵した男の心理を伝えています。
 71頁。先ほどの男がその視線の持ち主に出会う場面です。走ってきた男の正面の顔が同じアングルで5コマ連続しています。まず走る男のほぼ全身、続いて建物の中の階段を駆け上がる男の全身、次に男の動きが止まります、ここでややアップ。そして顔のクローズアップ。いずれも小さいコマですね。アップの次はそれまでの小さいコマを横に伸ばした大きさで画面を引き男のほぼ全身と視線の持ち主の後姿を描きます。映画のようなコマ運びですが、画面の大きさを突如変えることは漫画でしか出来ません。これによって映画とは違った効果をあげています、つまり最後の3コマはオノマトペ(擬音)が一切ありませんよね、下手に演出すればなにやらはっとするような効果音が入るのでしょうが、漫画はそれができない。だから実際は聞こえるはずの靴音を消し、必死に走っていたから出会う直前まで靴音に気づかなかったという男の心理・恐怖感を煽っています。さらに男の顔を同じアングルで連続させることにより、次頁でも同じアングルでカタカタと震える男のアップに納得します。そして次のコマで男の表情が俄かにほぐれて通りすぎる人物を目で追います。これは何かの伏線かもしれませんね、恐怖から一転した複雑な表情・男が何かに気づいたのかもしれません。
 141頁からの第7章「ココアの記憶」。レストランを貸しきって行われる主人公と先の男と大佐だという大人物の3人による会話です。ここでのコマ割はほぼ4段で細かく分けています。セリフのやりとりだけによる地味な場面が続きますから当然です。男が大佐に告白し大佐の表情に変化が現れる152頁もコマの大きさを抑えています。レストランを出て「思い出した」と男が呟く場面も抑えています。そうして抑えに抑えつづけた結果、161頁からの163頁もセリフのやりとりに過ぎないながら大ゴマを使うことによって劇的な迫力というか感動を与えています。こういう演出は映像では表現できない、せいぜいBGMで盛り上げるだけでしょうか。
 この巻には録音テープを聞く場面があります。第3章「録音再生」の冒頭部分と最後の6頁です。ここでのアングルは主に4つから成り立っています。録音の内容を聞く全員の姿の俯瞰(ハイアングル)・聞く人々個々の顔のクローズアップ(アイアングル)・カセットテープから見た全員の顔(ローアングル)、そしてカセットテープそのものの姿(登場人物からのアングル、つまり読者の目と同じ)。細かなカットショットの連続で、人物はほとんど動かずに録音内容を聞いているから下手をすればナレーションを読んでいるに過ぎなくなってしまう場面に読者を釘付けしています。どちらの場面も、テープを切り、聞く人々の視線が動く場面で次の展開に至っていて流れがあります。人物のちょっとした動きに大きな意味を持たせているわけです。

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