「ペトル・チャペックは何を聴いた」

浦沢直樹「MONSTER」第16巻 小学館ビッグコミックス



 なかなか終わらないこの作品もとうとう16巻。作者の技巧が優れていることはわかっているのだが、この巻の第5章「赤ん坊の憂うつ」終盤の展開がどうにも鼻についた、あまりに映画を意識した演出で漫画としての体裁をなしていないのである。
 問題の場面は117頁から118頁、赤ん坊≠フ死体発見の報を受けるペトル・チャペックの背景で流れる音楽である。死体発見のくだりは、死体を描けないと言っている作者らしくわかりやすい、誰もが奴は殺されたと感じ取ることができる場面で秀逸だ。たとえ、どこかで見たことがあるような演出だとしても、映画的な構成が読者にすんなりと受け入れられている、しかし、次の場面は作者の独り善がりの側面が強い。ここでチャペックが聴いている曲がなんであるかなんて、レコードマニアでクラシック好きでないとわかりそうもないほどの、一般読者を無視した演出である。仮にこの場面を映像化するならば、ゆっくりと流れていたBGMが唐突に「ブツン」と切れることで、チャペックの表情を撮らずともその心境を見るものに想起させ得る力があるけれども、不親切なことに、どんな曲かなんてまずわからない。
 私がその場面にこだわる理由は、チャペックが恐怖のあまり錯乱の後に虚脱し、ニナに自分を殺せというほど疲弊してしまう人間の弱さをさらす展開に曲が関わっている可能性があるからである。前半のチャペックは劇中で、表情が読めず人間味のない人物として描かれ、幼馴染のミランに対してさえ、情を示さないほどである。そんな彼にも情はあったらしいと匂わせる場面なのだが、作者にとってはどうでもよかったのか、単なる遊び心のひとつとしてLPを描いただけなのか憶測するほかないのが悔やまれる。つまり、私の勝手な深読みに過ぎないというわけであり、以下の記述は作品の評価になんら影響を与えるものではないことを明らかにしておく。(もっとわかりやすく言えば、邪推)
 さて117頁2コマ目、LPに注目すると、「DECCA」という文字がはっきり読める。イギリスの名門クラシック・レーベルで歴史も古く(1920年代創業)、定評ある録音技術で音質も抜群だという。また、白い帯びを挟んでその下に薄く画かれたSXLの文字が、このLPがとてつもない貴重品であることを訴えている、レーベルの模様と「DECCA」の形状を加味すれば、1960年代初頭にプレスされた初版盤だとわかる。この時点でチャペックは相当のマニアと推察できよう(あるいはドイツに逃れてくる前から所有していたとすれば、彼にとって手放せない大事な代物かもしれないとも考えられよう)。後に再販・さらにCD化されるまでの人気あるLPを彼が持っていたのはそれのみが理由だろうかと疑えば、SXLに続く四桁の数字が重要になる。残念ながら下二桁は判別できないものの、2200代であることはわかる。となると、彼が聴いた可能性の高い曲が一気に絞られるはずだ。
 手掛かりは、彼がチェコ出身であるということ。チェコ出身でDECCAのSXL2200代に曲を演奏されている作曲家のなかで私が目を付けたはドヴォルザークである、それはジャケットを見れば誰もが直感するだろう、幼い双子が見た名前のない景色に色をつけたような絵、すなわち曲は「新世界より」である。私の勝手に思い込みに過ぎないけれども、これを見つけた瞬間、もうこの曲しかないとさらに調べると、偶然にまた驚くことになった。
 ドヴォルザークは招かれてアメリカに渡り、その地で誰もが耳にしたことのある名曲「新世界より」を作曲した。黒人音楽を吸収しつつ、ボヘミア(チェコの中心部)への懐郷をにじませた曲は、第2楽章には「家路」という副題で詩を付けられるほど人々の感情を動かした。しかも、LPに録音された演奏を指揮したケルテスは、ハンガリーからドイツに亡命した人物なのだ。故郷へのさまざまな念を込めたその曲が途中でいきなりぶち切れてしまうと考えると、ミランの登場でなんらかの郷愁に浸ろうとした矢先に本当のシナリオに引き戻されるチャペックの衝撃は、劇中の表面上から読み取れる演出以上のものがある。テンマを助けて早々に退場してしまうミラン登場の価値も少しはあがるというものだ。
 さてしかし、作者はそんなところまで思い及ぼさずに描いたのだろう。もし、なにかしら伝えたいものがあるとすれば、ジャケットを描いて曲目を明らかにしたはずだ。結局、映画的な演出をするための小手先の構成、演出のための演出であり、「ブツン」という擬音は、読者を断ち切った音だったわけか、と思ってしまう。


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