「おおきく振りかぶって」対三星戦精読

講談社アフタヌーンKC 「おおきく振りかぶって」1、2巻より


 最高に面白い。実に良く計算された試合展開、行き当たりばったりでないきっちりと練られた内容に作者が前作から発揮する内面描写と細かな立ち居振る舞いの描写が加われば、つまらなくなる理由なんてない。野球漫画としてではなく、ひとつの作品として優れていると思う。
 今回は1巻の感想に続いてそのしたたかさを確認していくと同時に、本テキストを批評色の強いここに移したことを意識して、不満な描写も指摘していく。
 まずは立ち上がり。栄口のセーフティバント、硬球に慣れている彼だからこそ出来る選択である。劇中でくどくどと説明されることはないが、この作品には試合前・後の描写によって試合中の選手の行動に大変な説得力を与え、個々の登場人物に息吹・リアリティを持たせている。この辺がすごい。初っ端からこれだから、4回に監督が阿部に犠打のサインを出すのにも躊躇しない理由に彼が硬球経験者だからという説明がつき(不必要な台詞だったかもしれないけど)、8回の花井のセーフティバントを誉める理由も言わずもがな。続く沖の凡打で叶の直球の速さが知れると、阿部が実際にそれを確認するという手堅い描写。次の三橋が投手としてさまになっているという説明も経験者・栄口に任せることでリアリティが増す。ナインの多くが硬球の試合に初めて臨むところを栄口と阿部に解説させることで、経験者が語るという意味を作り、不慣れな他の選手を補っている(1巻20頁4コマ目で球の硬さを確認する二人(泉と水谷かな?)がほほえましいね)。
 田島の打席については感想文で触れたので省略するとして、花井は三振でより一層田島の打撃センスの高さを実感し、後の打席でチームバッティングに徹する動機付けとなる。巣山と泉は普通に凡退して、次が最後の最後まで緊張を読者にもたらしてくれる三星の4番・織田の登場だ。第一打席については感想文で触れたので省略するが、続く畠への投球が阿部の油断を生むきっかけとなるのが上手い。内角シュートを詰まらせての投飛、三橋を知らない捕手・畠という印象を読者にも与える。試合前の畠の三橋への態度がそれをより深いものにしている。
 ていうか、三橋は右投左打なんだな。1巻のプロフに載っているけど、実際に描写されるとなんか違和感がある。打撃に関心のない彼がなんで左打? 普通に右で打てばいいのに。なんか過去にあるのかね、勘ぐりすぎかもしれんが。
 叶のサードゴロをかっこよくさばく田島っていうのもいいね。彼は織田の第一打席の三塁線への痛烈なライナーを横っ飛びしているんだよ。サードコーチャーが避けるほどの完全なファールという当たりを、届きっこないのに捕ろうとしているんだ(1巻198頁1コマ目。次頁の気合入った彼の表情もいいね。負けん気の強さってものが守備にも表れている)。また、彼の二打席目のバッティングフォームも美しく描かれている。構成は第一打席を踏襲した描き方で、やっぱり(今度は腕に)力を溜めて、一気に右中間を破るという手法。花井の犠飛でタッチアップする時にも何気に足の速さを描写、今後の展開に活きそうだ。
 5回の織田の第二打席。考えすぎて打てない織田ってのがきっちり描かれている。試合後の志賀の集中力の解説が、何故彼が打てなかったのかを間接的に補足説明している。これを読むと、あの時打てなかったのは・打てたのは集中力の差なんだ、ということが理解できるという仕掛け。お見事。
 中盤の描写は省略され気味だが、7回にクソレフト水谷の失策から膠着したゲームが動き始める。で、一応水谷について補足しておくと、彼は第一話で内野手として一塁を守っているんだ。ショートには栄口が入っているし(三星戦では巣山が入る。その巣山は外野手出身なのか、第一話はネット裏で花井と三橋の対決を観戦している)、セカンドには田島がいる。つまり外野手自体不慣れだった可能性があるわけで……と無駄なフォローしとく。
 また、駆け引き意外にも内面の描写が水面下で繋がっているのも見逃せない。これも試合を劇的なものへ盛り上げる要因となっている。「ヤサシイワタシ」で魅せた人物同士の感情の対立・不和・和解ってものが読者の期待をも溶け込ませて描写されている。元のチームに戻りたいのではないかと考える阿部に対し、挙動不審の三橋から気持ちは読めない。ただ、たびたび三星ベンチを見詰めていることから、おそらくそうに違いないという予想が読者側にもつく。阿部が抱える疑惑が読者のそれと一致すると、自然と阿部の内面に読者が擦り寄っていく。だから2巻41頁の監督の助言も阿部の推察によってミスリードされる。そして68頁の安易なリードが逆転されるきっかけとなる(もちろん水谷の失策があったからだけど)。ここで監督の思い「わかっているよね?」が挟まると、阿部と読者の間にちょっと距離が出来る。三星の監督の作戦も影響しているが、ランナーを無視した配球が読者(ていうか私)に名状しがたい不安を与え、三橋の直感で表面化する。ああ打たれるな、と。この揺さぶりが読んでいるものにとっては気持ちいいのだ。阿部から離れた読者はたちまち三橋に同情し、今度は彼に擦り寄ろうとする。我を忘れた阿部のリード、それまで完璧だったはずの彼の配球ががたがたと崩れていき、三橋の癖を知らないわけじゃなかった畠に逆転本塁打を打たれる結果になった。これは阿部の不安を三橋に理解させるきっかけにもなるわけで、幾重にも心理が絡まって、人物の内面に厚みを感じさせることに繋がる。まあ、冷静に読んでいればそんなこともないんだろうが、夢中で読んでいると簡単に作者の手玉に取られてあっちこっちと感情を動かされちゃうんだよな。ホント面白い。
 8回の西浦の攻撃。この試合栄口は2三振と振るわないが、それでも野球を知っている者として描写され続ける。ボールの見送り方はフォークにきっちりと体が反応していることからも、田島ほどではないが、球筋が見えているってことだ。沖が死球で次の阿部がセンター前ヒットを打つわけだが、ここで不満を一つ書くと、選手個々に寄った絵が多いために、全体の動きが見えにくいという点がある。二遊間を抜ける当たり、どちらも球際に飛びついているので、それほど強い当たりではなかったと推測できる(ゲッツー体制だと二遊間が寄っているのも道理か。ちょっと画面からじゃはっきりしないな)、とすると二塁ランナーは本塁に生還できなくもないことになる。ここはサードコーチャーの泉にひとコマ使ってでもランナーをストップさせる絵が欲しかったところだ。センターの肩の良さを察知してたとかの理由でね。そうすれば次の指示で相手選手をよく観察している泉という個性が浮き上がってきた気がする(入部直後の花井との対戦でも主審を務めているのは彼だと思われる)。主観だけどね、これに限らず、グラウンドの広さが伝わってこないので、先の織田の三塁打にしても二塁で止めるか否かっていう緊迫感が足りないし、畠の本塁打に至っては、どこまで飛んでいったのか不鮮明で、淡白な印象がある。作者に限らず野球を知っている読者ならば、どこに打球が飛んだってだけで、すぐに長打だ・これは三塁打もありえるぞ・二塁打だな、などと容易に結果を予想できるけど、そういう読者ばかりではない。どこまで描くかってなると、これはホントに難しい問題になっちゃうけど、織田の三塁打を打球を追う花井の様子まで詳しく描写すれば、それだけでかなりの頁数を費やすだろうし、これっと決め付けることが出来ない。また、水谷の失策に関しても、打者が一塁で止まっていることにかなりの違和感を持ってしまった。外野フライの落球となれば、二塁までの進塁は覚悟しなければならないが、その辺の慌て具合というものが少ない。
 この不満というか描写の甘さは野球を知っているための油断みたいなものだろう。続く田島のライトへの大飛球もこの例に漏れない。確かに、「ライト」「深い」とライトの捕球の仕方から、右中間への深い当たりと読めるけれども、さて二塁ランナーまで本塁に突っ込ませるのはどうだろうかと。もちろん、4回の田島の先制打の場面2巻25頁で二塁手のバックホームを畠が本塁のかなり前で捕っていることが、この泉の判断の根拠となっているわけだが、初読ではよくわからなかった。再読して、なんとか打球の行方と泉の判断の訳に気付いたわけで、もう少しわかりやすい描写があったらなーと。まあ私の読みの甘さも因なのであまり強く言えないが。
 西浦逆転の場面。ベンチの中に入れず、外でうずくまっている三橋の目の前でそれが起こるってのがいい。2巻119頁、花井のセーフティバント。勝つために今自分が出来ることに全力を尽くす、その姿勢に三橋は本心を自覚して自問するのだ。打球を処理しに前進する叶と本塁へ突っ込むと阿部の奥にいる三橋がどちらを応援していたのか? その前の台詞から、知らず攻撃側の選手の動きを追っている三橋が浮かぶと、彼はここでついに西浦のチームメイトになったのかもしれない。ナインに声を掛けられて赤面する三橋、いいキャラだねー。そしてだからこそ、彼は阿部に織田が先の打席で目をつぶっていたことを告げることが出来たのだろう。彼なりの信頼の確認だよな。ここで怒鳴られたりしたらまた卑屈にいじけてただろうけど。こうなると、いずれ阿部のサインに首を振る三橋って場面が描かれるかもしれないし、実にいろんな楽しみがある作品だ。
 で、やっぱりちゃんと野球を描いているのも嬉しい。ここは個人的に一番緊迫した三橋と織田の四回目の対決に注目すると、初球が速球である。これまでの打席でこの球だけは見せていないんだ。遅い球という先入観を逆手に取った配球である。次が外のカーブ、ゆるいボールが先の速球のために余計遅く見える。カーブの握りも何気に描いている。三球目の配球が勇気あるよ。直球をインコースに。いつもシュートが内に来ていただけにスイングするタイミングを逸した織田は空振りしてしまうんだ。
 さてしかし、試合が終わって驚く、スコアボードが一切ないのにどういう試合内容だったか、ちゃんと覚えているってこと。得点経過って、連載読むのを一回飛ばしたり途中から読み始めた人にはありがたいものである。野球中継を途中から見はじめたときって、スコアが気になって早く教えろって思うことあるし。でもこの作品は2巻を過ぎてなおそれが描かれない。これは多分今までの野球漫画では考えられないことだと思う。今後は普通に描かれるとは思うけど(野球場で試合してたら描いていた可能性はある。三星戦の場合は、適当なところに黒板が置いてあるって感じかな。審判がイニングごとに書いているはずだよ。また読んでるほうも、それがあるとなんか無意味に燃えるんだよ、得点経過だけで、どんな試合だったか思い出してワクワク出来るのね)、この試合に関して作者は意図して描かなかったのではないかと私は邪推する。というのも、それはものすごく冷たいのである(だから、漫画で投手戦が描かれると、ただの「1」の表示が重い一点に見えてしまう錯覚を起こすこともあるし(実際の野球もそうだけど)、そういうことを煽る描写が施されることもある)。スコアボードは客観的過ぎて味も素っ気もないのだ。この試合で重要なのは客観的な結果ではないってことを強調するために描かなかったのではないかと思うが、さすがにそれは穿ちすぎか。
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