浦沢直樹「PLUTO」第1巻 青騎士は何を語る

「PLUTO」第1巻(通常版) 小学館 ビッグコミックス


 コミックパーク内の連載「マンガの発見」第63回・浦沢直樹試論2で夏目房之介氏はこう書く、
 「少なくとも今、浦沢が『PLUTO』で試みようとしている、自立した創作としてのリメイクとは、浦沢自身のマンガ読者としての自己確認作業でありうるし、手塚→劇画→大友→浦沢という戦後マンガ史を貫く読者体験と表現及び市場の地層探査でもありうるのだ。」
 「PLUTO」が高く評価される所以は、夏目氏が指摘する戦後漫画史の流れを読者は作品を通して体感している点にあると思う。はっきり言えば、浦沢直樹の漫画ほど語りやすいものはない。絵についてなら大友の影響から独自の技巧について語れるだけの懐があるし、物語性についてならば漫画好きのみならず多くの人々を魅了するだけの娯楽性があるし、どこからどう切り取っても語れるだけの余白がたくさんある。だから、手塚治虫を原作に劇画と大友の影響下にある作画を持つ浦沢直樹の本作が、どれほどの存在なのかをじっくりと読みながらにして直感できるし、そういう流れを考えなくても、とにかくどえらい漫画が描かれていることを多くの読者は実感し、最高とか面白いと口々に語るのである。
 とまあ、自分でもよくわかんない前置きは気にせずに、1巻第3話「ブラウ1589」の巻を例に単純な設定をいかに上手く練りこんでいるかを見てみよう(頁数は通常版のもの)。
 達者だなー、手馴れたものである。ブラウ1589はほとんど正面しか描かれていない、アップとロングの繰り返し、しかもその絵はコピーしたっぽいし、セリフのみで画面を維持し、読者に新たな謎を用意して緊張感を与えてしまうのだから、驚いてしまう。
 ロボットの無機質な顔に表情を感じさせるために作者は、主人公・ゲジヒトとは異なる旧式ロボットを登場させ、動かない顔の中に何かを感じさせる・もちろん読者が勝手に感じているに過ぎないわけなんだが、人間と変わらぬ動きをするロボットを見せた直後だけに、旧式の古さというものがより強調されるわけで、こんなロボットロボットした奴に感情なんてあるのかなという疑念が生まれるんだけど、26頁の左4コマの佇む姿、特にラスト2コマの顔のアップによって何かしらの情動を促すのである。ゲジヒトは下を向いているので、彼の視点ではない。このロビーの妻の顔は読者に向けた顔なんだね、同時に彼女の顔の大きさが印象付けられもする。で、その後の会話で、だんだん彼女の顔が大きく描かれていくのである。ゲジヒトの顔がアップとロングを使い分けているのに対し、表情が読めない彼女の表情を掴ませるために、28頁目1コマ目の最初の顔が大きくなってラストのコマ・対象に接近して「悲しいお知らせ」を聞いていたときよりも彼女は深い悲しみを感じ始め、29頁でまた小さな顔が大きくなって彼女をクローズアップし彼の死を受け入れる、ロボットの気持ちというものが演出によって表現されているわけである。
 これを踏まえてブラウ1589の顔を追うと、何か意味深な台詞や何か含んでいるような言葉の時に、それまでほぼ均一だった大きさに描かれていた顔が急にアップになっていることがわかるだろう。表情は完全に死んでいるロボットだけど、この急接近の描写によって、言葉と共に何かが迫ってくるような圧迫感がある。この「何か」っていうのが、圧迫感を開放してくれる隙間になってて、こいつは変なこと考えているぞとか、いろいろと想像する余地になっている。
 で、フキダシに囲まれた擬音が、私にもわかる大友の遺した(いや、死んでないけど)技法とでも言うんでしょうか。これが、ブラウ1589の台詞と共にとても効果的な使い方をされている。視線誘導ってやつね。76頁の全身像、すんなりと左下の台詞にいきそうなんだけど、周囲の起動音みたいのがあるために、そっちにも視線が揺れるのである。これで全身とこのロボットの状況を見渡せさせると共に、ちょっとした時間も作っている。人の目って見慣れた文字に目が行きやすいから。この擬音がないと、槍に沿って視線はすっと流れてしまう。ゲジヒトはブラウ1589の前に現れて、腰掛けるまでの動作の時間を作るための間がいるってわけ(視線の揺れも彼がブラウ1589を見ている時の動きかもしれない。ここって読者は完全にゲジヒト側だから、ブラウ1589を観察するものとしての視線も含んでいるのかな)。まあ、細かいことなんで、どうでもいいっちゃどうでもいいんだけど。
 78頁5、6コマの流れも、5コマ目の「ブブ……」という左横の擬音があるから、「何を?」の後に間が置かれることになる。淡々とした台詞のやり取りでは読み過ごされてしまう情報・言葉を印象付けるために、顔のアップを用い、さらにアップの前にタメを作って時間を作り、そこまで計算したからこそ、大ゴマを多用しないで物語の山場を築けるのである。
 そして84頁である、「わかるだろ?」 この曖昧さが、ブラウ1589という存在を不気味にしている。他のロボットと全く同じだった、欠陥がなかったと語るロボットが見せた、人間のような無駄な動きみたいなもの。72頁のおっさんが見せた「無駄な動き」が、ここで見られるのである。これは本物の無駄な動きだったのか、それともブラウ1589の計算のうちだったのか、私のただの思い過ごしなのか。(以下余談。気になるのが66頁の女性の台詞である、「ご夫婦共にロボットでいらっしゃいますね?」 意味深。人間とロボットの夫婦なんてあるのかね。いやね、アトムの「青騎士」の巻の中で、ロボットと結婚する男が出てくるんですよ。で、その男が青騎士に槍をぶっ刺すんだ。なんかあるんかな。)
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