「宇宙空間を読む」

幸村誠「プラネテス」第1巻 講談社モーニングKC



 まず、この作品の感想。すばらしい! 私はめちゃくちゃ興奮したぞ、デブリ、放射線障害、ロケットなどなど、これほど宇宙を体感させてくれる漫画はついぞ読んだことがない。というわけで、今回はこの作品がどれだけ徹底した資料の元で描かれたか、そしてその描写をやってのけた幸村誠の技量と心意気を具体的に読んでいく。
 まず、宇宙は何故無重力状態(無重量状態とも。どちらも同じ意味で使われるけどここでは無重力で統一する)なのか。そんなこと当然だって? 残念ながら、厳密に言うと無重力な空間は宇宙にない。どこも必ず巨大質量・つまり惑星とか恒星とかブラック・ホール等などの影響を受けているから、わずかに重力は残っている。でも、高度数百kmで「周回」する劇中の彼らや宇宙船は無重力だ。「秒速8km近い速度で地球周回軌道上を飛翔している」彼らには遠心力が働いているからだ。地球の重力と遠心力が釣り合っている状態なのである。
 さて、いきなり驚いたのが第1話。無重力空間の描き方よりもまず先に目についたのは、造花だ。ユーリが亡き妻の形見・コンパスを命懸けで見つけた宇宙に花を捧げるわけだが、この花、物語冒頭の15頁1コマ目で壁に掛けられているのだ。おや、こんなものまであるのか、無機質な船内に彩りか、と思いながら、面白さを存分に味わおうと細部に至るまで読みまわしていたら、ラストでこの花が出てくるではないか。
 これはほんの一例に過ぎない、とにかくこの作品は、芸が、演出が、にくいくらい巧い。20頁でハチマキが着ている宇宙服のズボンはよれよれだが、次の頁では膨れてあがっている。当然気圧のない宇宙空間に出ているからである。現在、宇宙服内の気圧はNASAのもので0.27気圧(運動性を重視せず、単に船外に出るだけなら0.4気圧から0.5気圧のものもある)、いきなりこれを着れば第2話のローランドじいさんのように減圧症になってしまうので、体を順応させるべく半日から一日も時間を費やす必要がある。作品の舞台は2070年代、ZPS(気圧馴化を要しない宇宙服。じいさんが着たのは現代のものだろうね。)がとうに実用化されているけど、それでも表紙の絵からもわかるように宇宙服は膨れ上がっていて、真空を目立たないところでもきっちりと描いている。39頁はハチマキがユーリを救った場面。背後の地球の雲が渦を巻き、重力に引っ張られている状況を流線を用いずに表現してしまった。これはとてもたまげた。その前で描かれる地球は非常に美しいものとして青さを強調している。しかし、ここでは全く同じ青さでもって恐ろしい背景を作ったのだから、もうえらいよ、幸村誠氏。そして次の見開き頁での地球もまたよい。立体的な雲を見よ。これはただごとではない。写真でさえ映せない。けど、宇宙から見た地球は、写真からでは想像できないくらい鮮明に克明に見えてしまうのだ、作者が宇宙飛行士の語る地球の姿を理解していたのだろう。たとえば、雲がなければ地上の少し大きなビル程度の明かりならくっきりと見えると言うし、飛行場の飛行機の明かりまで見えると言うから肉眼より精緻な軍事衛星の性能も信じられよう。雲も稲光は当然、地上から見上げるより遥かに立体的だそうだ。(また43頁1コマ目では空間を漂う造花の影がヘルメットに映っていて、それとの距離感を伝えている。)
 第2話に至っては感動さえする、88頁の海に飛び出すノノの場面。読者はすっかりハチマキと同じ視線に引き摺り下ろされて読者であることを一瞬忘れてしまうくらいだ。何気に宇宙空間の説明も交えて展開される話だが、ちょっと難がないわけでもないのは、ローランドとノノの接点が希薄だということだろう。もっとも直接交渉は必要ない。ノノが語るところの「海」とローランドの宇宙への執着はラストでハチマキによって結実されるから、構成に文句ないものの、ベテラン飛行士の存在がちょっともったいない。彼の死に際はノノの初登場場面のように半地球を眺めながら、そしてノノの言う海の中で亡くなるわけで、水面下で物語はつながっているのだから、いや待てよ、そうすると両者はハチマキの言葉を借りずとも物語の中でしっかりと海を通してつながっているではないか、うーむ、恐るべし幸村誠氏。危うく難癖つけるところだった。
 第3話の見所はフィーの言動だけど、個人的に「ケスラー・シンドローム」という言葉に注目してしまう。初耳だったのでちょっと調べたら、ケスラーっていう人が指摘した宇宙のゴミ問題らしいね。デブリを扱うぐらいだから、当然の知識と言えばそれまでだが、そんなの無視して「SF」だからと好き勝手やられちゃたまらないんだよ、松本さん、いくら夢とかロマンとか言われてもねー、この作品のように現実味あるものの中にも、ドラマはいくらでも積め込めるんだね。
 第4話、ロケット少年九太郎が海岸で開発に励む姿は、日本のロケット開発初期の光景に似ており、なかなか感慨深いというか作者の情熱を感じた。物語自体が、この作品の肝になりうる主題を若かりしユーリと老人に語らせているのも、この作品を単にSFとして括りたくない衝動を私は感じ入り、いや、確かにSFだけれども、実に手応えのある、宇宙と人間の係わり合いのひとつの可能性を示した書物だなんて大げさだが、宇宙空間を読ませてくれる・体感できる作品なのだ。第5話を読んでさらにその思いは強まった。もちろん私の感想に過ぎないが。 (ひとつ問題があるとすれば、擬音、音の伝わらない宇宙空間。これはもう割り切って描くしかないだろう。絵の一部として。実際、読む上でこれがなければ面白くないもんな。あと第5話で宇宙開発史の偉人が4人挙げられるが、コロリョフも忘れないでね、幸村氏)
 さて最後に、多湖輝「頭の体操」シリーズであったこんな問題(うろ覚えだが)、「宇宙の中で最もよく見える星は?」 簡単な引っ掛け問題だし、「プラネテス」を読んだ人たちならすぐに即答できよう。

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