「残酷な神が支配する」第6巻 初版1995年11月20日(小学館プチフラワーコミックス)

作者 萩尾望都



 27頁。義父が運転する車の助手席に乗る主人公の場面。最初のコマ。小さなコマ一杯に描かれた主人公の顔には震えを表わす擬音語「カチガチ」のほかに顔の輪郭の外側に顔のブレのようなもの、波線で表現せずに弱弱しい点線のような震えを表わす記号が用いられています。擬音からわかるように歯が音を立てているわけですが、歯はさっぱりと描かれています。顔のまわりはベタで塗りつぶされていて顔だけで浮いているようで、顔の震えている様子がこれで強調されています。続く4コマ目。主人公の手です。指のまわれに先ほどの弱弱しい点線があり、これだけで震えているのがわかります。どちらの震えも主人公だけが感じる震えで他者にはわかりません。それだけに映画ならば役者の演技力が問われるところとなるでしょう。
 次の頁。主人公に車の運転を妨害されて危うく対向車と接触しそうになった直後の場面。主人公をひじで突き飛ばした直後のコマに義父の横顔が描かれます。これも小さなコマです。震えを表わす弱弱しい点線に加えて、汗と流線があります。汗は冷や汗ですね。流線は速く動いている様子、車に乗っていますから。前頁の主人公の顔と比べてみましょう。主人公の顔について、このわずかな点線を指で隠して見れば、顔の印象が変わります。ですが義父の震える顔は点線が無くてもそれほど印象が変わりません。この違いを感じるのは私だけかもしれませんが、両者の顔の決定的な差は汗の有無です。義父の顔は汗がすべてを語っているわけです。それに対し主人公の顔は恐怖か怒りかわからない、点線があって恐怖とわかる。
 57頁から66頁まで。義父に虐待を受ける場面。義父を殺す決心をし、その機会を得た主人公はこれが最後の虐待と決めつけています。最初のコマがそれです。わずかな微笑の理由を次のコマでごまかして、主人公の顔には余裕が見られます。ですが、これから行われる虐待の内容に主人公は惑乱した表情をし、首に巻きつけられた紐で首をしめられた瞬間(58頁目)の顔には顔上半分に行く本もの縦線が引かれています、目もスクリーントーン一色で目が点になっています。この場面は、ひょっとしたら自分の義父殺害計画が義父にばれたのではないか、だから本当に殺されてしまうのではないかという疑惑と不安を深読みします。虐待が終わって半ば放心状態の主人公が義父のある言葉で正気に戻ります、その顔は義父の言う通りの無垢で美しいな顔で、義父が部屋を出て66頁目、主人公の輪郭の線をちょっと描き変えただけで殺人者の顔に豹変した効果を得られています。
 83頁中段のコマ。主人公の少年の微笑の振りかえった横顔。ここでも弱弱しい点線が鼻梁から口元まであります。スクリーントーンによって付けられた影は、陽射しの方向から考えるとやや不自然ですけど、こみ上げる喜びを噛み締めるのでなく震えで抑圧しているその表情は不気味です。これが正面から描かれていたら失敗したでしょうし、陽射しの方向にしたがって顔の全面に影をつけていたら震えも口元も強調されないでしょう。横顔で描いた、というのが上手いですね、さすが萩尾望都です。前頁の微笑も横顔です、念のために。次に驚愕して失神する場面では、逆に主人公の顔を正面から捉えて見開いた目をはっきり描いています。
 ほんのわずかな点線、ほんのわずかな汗で人物の表情に多くの意味を与えられるのが漫画です。同じアングルの顔を続けて描いても、その顔に震え線を増やせば、その顔に汗をつければ表情が変化したことが伝わります。

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