「二の二の六」

講談社 アフタヌーン 2001年7月号掲載

高野文子



 線が舞っている。なんてことはないコマ割にもかかわらず読者を魅了する筆力はすべて登場人物の輪郭の技巧にあるようだ。主人公・里山まり子は踊っているし、サキさんはいい表情で座っているし、女子高生の後ずさり方なんて芸だよな。面白い場面を列挙しようとすればほとんどのコマがそれに当たってしまうような良さ、贔屓目で見なくとも唸ってしまう緻密な構成、最後まで油断できないすれ違い物語、それが「二の二の六」という話。
 ホームヘルパーまり子の今日の介護先は大沢サキさん、そこで昼飯作ってくるという仕事内容で、依頼はその娘・アキコである。大沢宅で早速うどんを作りはじめるとサキの息子長男登場し、里山と顔合わせるところの構図がなんともいえない奥深さ。サキの表情もわけわからんが、この不安定な顔は一体なんだろう。その後は作者お得意の妄想がはじまって作中人物たちの様々な思惑が全く交じり合わずにてんでばらばらに展開されながら物語は分解することなく最後まで突き進むのである、30頁の短編、でも内容の充実振りには瞠目するしかない。達筆だ。
 軸となるのはまり子と息子の思惑である。サキの世話をしながら息子を詮索するまり子と帰宅した初老の息子の回想が交互に描かれて途中からどっちがどっちの思いかわからなくなりながらもまるで繋がらない二人の会話が終始徹底され、しかも時間経過も何気にしっかりと描いているから、気が抜けない構成になっている。一向に現れない宅配車に対して道順にしたがってやってくる女子高生、この辺の対比も一切説明抜きで何故かという思いを残している(作品にとってはどうでもいいのだが、読者側としては、すれ違いが貫かれる様子にそこまでするのか……というか車よあまりに遅すぎるぞ、というはちゃめちゃさにこれってほとんど童話というかファンタジーぽい匂いを嗅ぎつけて結局高野節に巻き込まれている自分を知るのであった)。
 こうした交錯しない交錯になってしまう理由が、皆がみな本心を明かそうとしないところにある。思い違いの結果生まれた偶然の物語ならばいくらでもあるが、これは違ったままほったらかしといて、なんの接点も生まない。時間が過ぎるのを待っているまり子がたいした意味もなく歌を歌いはじめて時を稼ぐだけで、なんの昂揚感もない。けれども引き込まれる高野節の充溢した内容は、やはり描線の技巧に酔っているのかもしれない。「昭和枯れススキ」を謳い始めてからの奔放振りは絶品。歌の内容に引きずられて、息子の電話の内容を邪推した果てに「酒場の女と逃げるのだ」と思い込み、心中するのではないかとまで思い及ぶ。ところが、ここでまり子はこぼれたしょう油の始末をしていて直後にサキをトイレに送り出しているものだから、サキが死ぬと感じたのか、と一瞬錯覚してしまう。いや、その前に既に読者は半ば劇中の人物と少しずつすれ違っているのだから、その積み重ねが私にしょうもない錯覚を与えたとも言える。
 7頁目下段から次頁上段の(まり子が息子と母の会話を空想する)場面、これは明らかにそれとわかる、まだ序の口。続いて14頁目中段以降の6コマ、ここでもう混乱する、「わが胸の底のここには」という高見順の小説の題名を読み上げるまり子の言葉が息子と重なって、これは息子の心中の言葉なのかもしれないとも思わせて、女子高生をドライブに誘う息子の下心まで暗示しているのだからどうだい、この演出力は。もっとも、その後で息子はいい訳がましく「やましくないぞ」と言っているのだが、まり子はすでに「女がいるようです」と悟って、時折ぶつかろうとしていた二人の思惑がいよいよかち合うことなく宇宙の果てに向かってすっとんでいく。17頁6コマ目(「温泉もあるわねえ」「母さん」)なんてどっちがどっちの回想か空想か区別がつかない。そしてまり子の飛翔・19頁3コマ目。ここまで来ると話の中身が吹っ飛ぶ、あとはどんなアクションが飛び出すのか、それだけに目が行ってしまう。でなければ、迫り来る女子高生とまり子が鉢合わせるだろう場面・22頁目はほどほどの緊張感があってもいいのだが、全然ない。それどころか女子高生は誤解して前述の後ずさり方で退場し、まり子は「酒場の女」と鉢合わせていたことにすら気付かない。容赦がない。すったもんだもない。「死ぬのだろうか」と心配していた場面も加えて、読者と知らず知らず分裂していくこの作品の行方……なにせドラマがないのだ、ありそうでない、ある余地があったにもかかわらずあえてそういう方向に話を転がさずに違う方に向けてしまう、一体この話ってなに? という素朴の疑問が湧いてきたところで、24頁目から息子はまり子に接近し、いよいよ動くのかと思いきや、またも齟齬、結局なにも起こらない、ついには宅配車ともすれ違い、娘のアキコは登場すらせず、ケア先変えてほしいといいながらスキップするまり子。なんじゃこりゃ……結局どういう話だったのか整理出来ないまま読み終えようとしたところで突如出現するナレーション……これはもう究極のすれ違い、作者と読者の思惑が読後に至って修復不可能なくらい乖離していて、完全に高野文子の詐術にはめられたという次第。そりゃそうだ、作者がなに考えてこれを描いたかなんてわかりっこないのだ。
 「わが胸の底のここには言い難きひめごとあり 高見順」


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