「34歳無職さん」1巻

聞こえる音聞こえない音

メディアファクトリー MFコミックス フラッパーシリーズ

いけだたかし



 いけだたかし「34歳無職さん」は、勤務先がなくなったのを機に、1年間何もせずに過ごすことを決めた、34歳女性の何気ない日々を描いた作品である。仕事で何かと忙しかった日常から解放された代わりに、「何もない」という呪縛に捉われていく毎日は、有為とは?無為とは?という哲学的な探求に没頭していく、なんていうわけのわからない展開はなく、本を読んだり買い物をしたり掃除をしたり、仕事をしていないという点を除けば、彼女の日常は私たちと実はあまりたいした差がないということに気付くだろう(というのも何か違う)。
 能書きはともかく、この作品の面白さは、一人で過ごすことによる発見をマンガ特有の表現でさりげなく描いていることである。音である。
 朝の環境音として私たちが想像しうる音は何だろうか。登校する子どもたちの声と子どもを見送る親の声、通勤途中の人々の足音・駆け足なら急いでいるんだろうか、隣の人が扉を開けて出掛けたようだ、今は7時30分くらいかな……それぞれの音を私たちは聞いている。住む場所による影響もあるだろう。都会なのか山奥なのかの差もある。この作品が選んだ舞台は、ほどよく人が密集している都市で、ちょっと歩けばコンビニも町の喧騒にも行くことができるアパートである。一人暮らしだから、彼女の生活態度について小言を言う存在もない。
 目覚まし時計で起きたとしても、寝坊して遅刻するよという合図には聞こえない。あくまでも規則正しい生活をしたいという彼女の欲求かもしれんが、ゴミ出しの時間に間に合いたいというちょっとした希望である。ゴミを出した後は朝ごはんを食べて掃除をし、昼ごはんを食べて布団を干し、買い物をする。近所の人との挨拶や買い物先での軽いやり取りはあるだろうが、彼女の会話の相手は、基本的に音だ。
 掃除機の異変、蛍光灯の具合、それらが彼女の行動を支えている。一年無職なんだから節約しなきゃと思いつつ、壊れ気味の掃除機を買い換えてしまう彼女の行動には、自虐と節約の心理の葛藤が淡々と描写されているが、実際の家電店内の様子がそんなわけない。彼女の静かな生活、騒音から遠ざけられている部屋の中の描写が、売り場の騒がしい曲を遮断しているのである。代わりに彼女は饒舌になる。もちろん掃除機を買う言い訳を構築するための自分で奏でた読者に向けた騒音である。なんやかんや考えつつ結局買ってしまう行為自体は、さして珍しくも劇的でもない。彼女が何に注目しているのかが、独り言という過剰な文字量によって、家電量販店にありがちな曲に支配されうる読者の向かうべき想像力を定めているのだ。
 帰宅した彼女が一瞬見せる34歳の表情も絶妙なんだが、まあそれは置いといて、静かな様子を生活品しかない室内を執拗に描くことでも醸しているのもまた素晴らしい。もちろん一人暮らしゆえの慎ましさもあるだろうけれども、量販店の所狭しと並ぶ大量の商品から見える雑然とした背景と比べるだけでも、彼女が静かな場所に戻ったという印象を強くしよう。
 あるいは夜の散歩の場面では、アパートの階段からカンカンと降りる音や砂利道を踏みしめる音を描きながら、散歩の場面になると、一切の音が描かれなくなる。コンビニと思われる道の前、下校中らしい学生たちなど、ここにも様々な音が溢れている。けれども、擬音として描かれることはない。目的地と思しき本屋に入っても、家電店同様に店内は静かな様子だ。彼女の耳には間違いなく届いている音が省かれる代わりに、やはり彼女の思考がモノローグとしてコマの隙間を埋めていく。本を買うというささやかな社会参加が、無職でいる自分の立場を少しでも癒してくれる。そして帰り道、社会参加の証である本の重みを感じさせる「ガッサガッサ」という本の入ったビニール袋の揺れる音が、足音の変わりに彼女の周囲に擬音として描かれるのである。
 第6話では、ついにこの音に焦点を当てた挿話が描かれた。音による物語作りをして、なおかつ登場人物が一人である点を踏まえれば、必然と言える展開だ。車の音、電車の音、虫の音色、あるいは身近な音、それらが一体となって彼女の周辺を彩り、ちょっとした妄想に耽る。
 一方で、こうした音と会話しない挿話も存在する。会話する実在の相手がいるからに他ならないからだが、この第9話で彼女の背景がちょっと知れる友達と居酒屋で会話する場面は、これまであって当たり前だった小さな生活音が排除される。乾杯する時のグラスがぶつかる音も、小さな星が弾ける絵で済ませ、ほとんどが二人の会話だけだ。咀嚼音も酒をあおる音も何かを飲み込む音も、食器が軽く当たる音も何も描かれることはない。一人で茶を飲んだりご飯を食べる場面では描かれていたそれらの音が、会話するキャラクターがいることにより、彼女(つまり物語)にとって必要のない音として、またも読者の向かうべき想像力を定めたのである。
 ここで描かれる擬音は、すなわち会話の間合いを決めるための装置として働くのだ。「とぷぷぷ」と酒をグラスに注ぐ音により、一瞬会話が途切れる。あるいは、無職であることに不安はないのと問われたとき、彼女は口に運んでいたスプーンを置く、「不安もなくはないけど… それよりか」、「カチャ」という台詞と音に器とスプーンのアップが横長のコマに描かれる。ここの擬音も「それよりか」に続く彼女の言葉に間を生む効果を手伝っている。
 無職の一人暮らしという舞台設定と彼女のあるある思索におかしみを見出すのも楽しい作品だが、その時描かれた擬音にも目を向けると、この作品の味わいが一層増すことだろう。

(2012.3.21)

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