近藤聡乃「A子さんの恋人」1〜2巻

エンターブレイン ビームコミックス

彼女の遠心力



 高野文子調の描線で一見「るきさん」を想起させる掌編を折り重ねることで物語を紡いでいく様式の近藤聡乃「A子さんの恋人」だが、最初の印象は、絵にだまくらされた! と思ったものである。もちろん、それでも次を読み進めたくなる動力を秘めているのだけれども、美大出の29歳のA子さんを筆頭に、登場するキャラクターが記号めいた名前・A太郎、A君、K子、U子、I子でありながら、どいつもこいつも性格に難というか設定に癖があって記号的に分類されず、総じて腐った性根で他人の内面を引っかき回し、コケにし、侮り、嘲笑しているのである。対話していながら内心はボロクソに相手をけなしているという図が日常であり、心優しいキャラクターが登場すると、かえって拒絶反応を引き起こしてしまうほどに、すべてがクズなのである。
 A子さんはニューヨークに恋人のA君を残して3年ぶりに帰国、後々、A君からプロポーズされ返事を保留のままだということが明かされ、彼女の人でなしっぷりは輪をかけて膨れ上がるわけだが、それはともかく、日本には元カレのA太郎が待ち構えており、3年間いろんな女性と関係しながら、結局A子が一番だなという打算で再びA子に付きまとうイケメンで人懐っこいモテ男に、帰国早々に迫られるという有様である。冒頭からこんな感じなので、高野文子絵でこれは逆に面白いなーというとっかかりは、すぐにキャラクターのクソっぶりに辟易したものだ。ここまでクズだと引いてしまうのである。
 そんなA子の親友として登場するU子も男を欠かすことのないややポチャ女性であり、彼に対する執着に乏しい上、男心を理解しているが故に、たとえ別れてもすぐに彼氏ができるだろうと踏んでるし、実際、そんな女性として妙に説得力がある。
 もう一人のK子は彼氏いない暦6年に29歳という年齢で結婚や妊娠と将来を懸念しながらも彼氏が全然できないという現状をA子・U子からとかく小バカにされがちな女性で、最も身近に感じられるリアルなキャラクターと思いきや、こいつはこいつで人に対してろくでなしの心を秘めているクソなのである。うん、こんな奴に恋人なんてできない……ていうか、なんでU子やA子はモテるんだろう……という最もな疑問をK子も抱いてはいる。
 共感できないキャラクターを揃えたところで、基本的に物語は常に一人のあるキャラクターに寄り添ってモノローグを軸に進行する。こういう人っているいるとか、こんなシチュエーションあるある、というような共感は個人的に一切ないのだが、さてしかし、実は読み進める動力が1巻ですぐに訪れた。66頁である。
 A太郎と付き合っていた当時を回想したA子は、何故彼と付き合っているのか、何故モテモテの彼がA子を選んだのかが彼自身の口で端的に解説されるのである。
「君は僕のこと そんな好きじゃないからだよ」
 瞠目した。異性問わずに誰からも好かれるし、I子という学生時代から彼を想い続けるキャラクターも登場するけれども全く相手にせず、A太郎はA子への好意をひけらかすし、隠す気もないし、当然結婚したいとも考えている。そんなに好きじゃないから、という指摘に、理屈を通り越してA太郎のただならぬキャラクター性と、A子に復縁を迫り続ける理由に問答無用な説得力を感じたのである。
 恋人に求める理想と言うものは多様だけれども、A子の理想は適度な距離感でありベタベタされるのを好まない。一人で行動するも厭わず二人で出掛けても現地では別行動を好む。ニューヨーク在住のA君は、まさに彼女と息の合う距離感を心得ており、彼自身もA子の考えに近い。だが、この距離感というものが難しいのである。なぜなら、A君のプロポーズは最接近した状態で決行されたからである。
 いや、何故そこで言うのかっていう突っ込み所でもあるのだが、A子は戸惑いつつも拒むわけでもなく、さりとて了承せず、……と言ってA君と別れたいわけでもなく帰国してしまうのだから、何故? という疑問もまた読み進める動力の一つとなってはいるのだけれども、A太郎の指摘こそが核心であることが挿話を重ねるうちに理解されていくのである。
 彼女は意志が束縛されることに敏感なのだ。
 2巻に至ると個々のキャラクター設定が絵とマッチしてきて、高野文子絵でも問題なく彼女たちの悪辣に付き合うことができるのだけれども、たとえばバレンタインの挿話でA太郎にチョコを渡そうと寒さに震えながらどこにいるとも知れない彼の帰りを待ち続けるI子がことさら滑稽に描かれたり・いや確かにストーカーっぽくて怖いくらいなんだけれども、あるいは同じく某店員に惚れたK子がチョコを渡そうと目論んでいた男性がA太郎といい感じになっているゲイらしい現場を目撃して驚愕する様が彼女の日常生活に照らされて悲劇ではなく喜劇として描写されたりと、A子を取り巻く世界では、相手を好意によって束縛しようとする感情がコメディとして昇華され、読者もその世界観に染められていくのである。
 U子と付き合うヒロ君の描写が典型的である。彼は善人で一途に彼女を想い正月には実家に招待してお節料理を突っつきあうほどに、傍から見れば家族公認の恋人のようではあるが、U子自身は彼のきれい過ぎる心に付いていけず別れてもいいやとばかりの態度なのである。彼と結婚すれば、おそらくヒロ君の実家でぬくぬくと暮らしていく様子が想像できてしまうくらい、彼女は自分の意志そのものに執着がない・もっと言えば好意を見せることに嫌悪しているのではないかと思えるのである。恋愛を主題にしていれば当然の一大イベントたるバレンタインを全うしようとするキャラクターへの憫笑は、性格が悪いキャラクターたちのなせる業と言えばそうなのだが、読めば読むほど、本当に恐れているのは自分自身の感情なのだろう、と感じられるのである。誰もが感じている正しさ・真面目さ・真っ直ぐな恋心に対する気恥ずかしさを、キャラクターたちがそれってかっこ悪いよねと惜しげもなく嘲るのだから、そりゃしてやったりと読者の笑いを誘うのだろう。
 そんなA子がA太郎に対する密やかな恐怖を語る挿話が2巻の終盤に描かれる。
 漫画家として活動していた彼女は、付き合っていた当時、時々彼にベタ塗りなどを手伝ってもらうことがあった。ある時、ペン入れを待つのに時間をもてあましたA太郎は、背景のペン入れを志願する。大丈夫だよ、と彼は持ち前の気軽さで下書きをするのだけれども、出来上がった原稿に彼が描いた背景の形跡が見つからないのである……いや、彼に指摘されてよくよく見ると、自分とわずかに違う描線の背景が確かにあったのである。彼女は「なんだか 怖くなったのだ。」と回想する。
 A君の密着プロポーズといい、A太郎の自分そっくりのペンタッチといい、A子は心理的に他人から近寄られることを・本人は気付いていない様子だが、極度に恐れているのではなかろうか。こんな状態で結婚なんて出来るのか……
 付かず離れずキャラクター同士の掛け合い漫才が続くうちにも、キャラクターたちは齢を重ねて30歳になんなんとしている。結婚もますます話題の中心になってくるだろう物語にあって、A子の感情は二人のうちのどちらの引力に引っ張られるのだろうか。いや、自分が振り回していることに気付かないA子の遠心力に全てが吹っ飛んでいきそうなパワーを、このキャラクターは秘めているのだ。

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