「甘々と稲妻」4巻 食卓の欠片

「甘々と稲妻」4巻

講談社 アフタヌーンKC

雨隠ギド



 4巻80頁。ああ、そうか。楽しい料理場面が続くので忘れていた。どちらかというと、母を亡くした子の物語という側面が強調されていたように思うし、母のいない子の寂しさを慮る父の物語という展開が主だったように思えたが、裏を返せば、この作品は、妻を失った男の物語でもあったということを今更思い知らされた。
 四角いテーブルを囲む三人の犬塚家。父の隣に子、父の向かい側に母。小皿が並ばれた三人分の食卓は、それぞれ分量に差があり、一番食べる父、次に食べる母、もっとも食べる量の少ない子のちんまりと盛られたご飯やおかず、そして子ども用のフォークとスプーンが置かれ、おそらくミルクが入ったコップも見える。
 副菜を添えようと取り出した小鉢がきっかけで、不意に思い出された過去の絵は、言葉なく、キャラクターの表情もなく、ここで彼が何を思いめぐらし、どのような感情でテーブルを見詰めているのかは定かではない。くるくる変わる子であるつむぎの表情の面白さで忘れがちだけれども、彼の表情の変化も見逃してはならない。
 この挿話は、つむぎが友達のお稽古などをやっていることに触発され、何かやりたいことを父に言い出せず、もやもやしている視点が中心であるが、小鉢に盛り付けたおかずを一品添える、という傍から見れば小さな目的が、彼にとっては重大であることが見て取れる。つむぎや小鳥と同様に喜んだりしていても、その裏には失った者の大きさを一人で背負う父として夫としての喪失感が漂う。少しでも、かつての食卓の雰囲気を取り戻そうとする、そのための小鉢なのだ(子が背負うものの重さも当然描かれているし、それはつむぎの通う園児との交流に焦点を当てることで浮き彫りになるだろうことは、4巻の挿話からも見て取れよう)。
 彼がきんぴらごぼうを盛り付けた小鉢を置く場面は、太い輪郭でもってアップにされ、しっかりした筆致で、それでもそっと扱ったような擬音により「コトッ」っと置かれた。
 食べるところを見て見て!とせがむつむぎが可愛らしくて、そこに目が奪われてしまうのも確かだけれども、つむぎが「できたー!」と嬉々として声を上げて再現された食卓を見詰める彼の「……」無言の言い知れぬ表情が高揚している顔は、「この小鉢に おいしいものを つめつめしようと思う!」とつむぎに宣言した期待感溢れる表情とつながる。「小鉢で一品つくと食卓っぽいですね」と小さなコマだが興奮気味に小鳥に話しかける彼の笑顔は、過去の食卓の絵とも繋がった瞬間であることは言うまでもない。
 おかずが一品増えた彼のわくわく感を、つむぎが新しいことをはじめようとするわくわく感と知らず知らず同調した読者は、父子の背景を重々しく捉えず、暖かい物語として締めくくる作者の手腕に気持ちよく翻弄されているとも言える。
 さてしかし、次話で一周忌の法要帰りと思しき後ろ姿を見かけた小鳥が、犬塚の妻が亡くなって一年経ったこと改めて思い起こすわけだけれども、やはり物語にとって、失われた者だけが抱える重量感をさりげなく挿入してくることで、重石となったそれが物語を引き締めているのも事実である。次話の表紙で、電車待ちの駅の構内で彼にしがみつくつむぎの姿・父と子の姿は、暮れ行く背景とあいまって寂しげに包まれている。
 この作品の肝は料理と食べることであり、それによって恢復する父子たちの姿も描かれているわけで、ここからはその先の成長もどんどん描かれていくだろう(もちろん、成長する姿は最初から描かれ続けてはいたが、それはむしろ喪失感の穴埋め的な側面が強かったように思える)。怒るとか叱るとか、おそらく妻が担っていただろう役割を彼が引き受けることがはっきりするこのお好み焼きの挿話は、親子としての成長と関係性の変化を具体的に描写した。
 個人的に、犬塚と小鳥の関係性の変化に邪な気分でわくわくしていたところもあるけれども、それはまあホントに個人的な気分であり、物語は真っ当に家族の物語の実績を着実に積み上げている。
 そして、4巻最終話である。
 1巻1話、つむぎがテレビで見た料理は圧力鍋を使った肉料理だった。「ママにこれつくってって おてがみして」というつむぎの素朴な願い。そして、今回はいよいよ圧力鍋で牛肉を柔らかくし、満を持してのビーフシチューである。
 サンタがいるいないという微笑ましい子ども絡みの挿話の底流で、一年前は出来なかったクリスマスの宴を開く二人の表情が、読者も感じる悲哀を和らげた。つむぎが描いたケーキを囲む家族の絵の中心は母であったこと、今はその役目を自分が受ける。その決意でもある奮発したパーティーは、つむぎからの思いがけないクリスマスプレゼントにより、子もまた立ち直ろうとする姿を痛感したことだろう。
 父にしがみつくようにして抱きつき顔を隠し続けていた駅の構内のつむぎは、ここでは満面の笑みで父の抱擁を受け入れた。そりゃ泣くわな、ここは泣くよ。

(2015.3.17)

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