「アポトーシス」

宙(あおぞら)出版

戸田誠二



 世の中には誰にも注目されずにひっそりと生きて死んでいきたい人とか、孤高と言えば格好はいいが要は人の相手をするのが面倒で黙々と日々を費やす人もいるわけで、人生を早々に降りた彼らにとって、明朗快活な人ってのはひどく疎ましい存在になりやすいのだが、達観すると疎ましいという感情さえ疎ましく、雑音を適当にあしらう術を得、やがて皆が皆距離を置いて接するようになると、今死んでも誰も気付かないんじゃなかろうかという奇妙な安心感が生まれてくる。主人公・桜井は両親の死という幸運をもって、不幸しか通さない浸透膜を構築し、まさにそのような死に方を目的に生きている女性である。
 この手の漫画の話ってどうしても本人の性格というか資質がにじみやすいんだけど、正直、ラストはかなり胸に来た。理由を書けば書けるけど、でもそれをやると漫画の感想じゃなくなるような気がするし、私はこんな性格なんですと主張するのも嫌なんで、普通に漫画の話に集中したいが、この作品を採り上げた時点でもう半分私の内面を語ったような気がしないでもない。まあ、いいや。
 戸田誠二二冊目の作品集が「しあわせ」。1頁の小品から30頁ほどの短編まで14の作品を収めている。私が気に入った「アポトーシス」は約30頁の短編である。自分から生きる意欲を打っ遣って、誰にも期待されずに静かにこの世で生きるという役目を終えたがっている桜井という女性は、付き合っていた彼氏ともすっぱり別れ、くらげよろしくほとんど透明になって世の中の目立たないところで生きている・いや死ぬ機会を待っている。彼女にとって肉体は、まだ生きていることを確認するためだけの外面に過ぎない。いくら愛情を注ごうとしても、彼女の皮膚は拒絶する。ところがしかし、彼女の壁を侵そうとする存在も極たまにいる、彼女同様の生き方をしている人である……
 物語はその後、彼女と同類の佐藤が触媒となって、彼女自身の本当の姿・内面が、彼女自身の言葉によって暴かれていくという展開になる。重苦しい内容だが、佐藤の言葉に気付かされるのではなく、自分から本心を吐露していく描写の連続となる後半は戦慄すらした。ちょっとありがちな新しい自分の発見に驚くとか言うのではない、いや、物語の流れ自体はとてもわかりやすい、単純でさえある。だが、同類でありながらそれを押し殺し、自分とは正反対に世間並みが求める世間並みの暮らしをしようとしている男(佐藤)の堕落を叱咤しているうちに、自分を激励していることを悟ってしまう(まあ、この構成はかなりありがちではあるんだが、自虐とは違った意味での自分の追い詰め方っていうのが、読んでて切なくなってくるのだ)。結婚を疑う佐藤に自分を重ねて、私があんただったら迷わず結婚して……という場面、暗闇の中に消えていく彼女の次のコマで明るい町並みを描き、彼女たちのボロボロの心理状態に構わず能天気にやってくる日常の虚しさ(これは周囲で彼女と佐藤を冷やかす青年たちや公園の主婦たちにも通じている)を地味に描写しつつ、次に迎えるラストシーンが、本当の意味でのアポトーシスとなる構図に、私は唸ってしまった。
 佐藤は間もなく結婚する。彼女にとっては、彼氏と別れなければありえたかもしれない姿だろう、もう一人の自分。彼女は佐藤と再び会う。公園の二人、木陰の下で、佐藤はそっと彼女を抱きしめる。それは肉体のみの見せ掛けの愛情しか求めなかった彼女にとって、初めて入ってきた「しあわせ」だった。不幸以外の感情が侵入したために精神の浸透圧はショックを受け、彼女の細胞膜は脆く崩れていく。一気に泣くところがいい。かつて佐藤を支えていた彼女の立場が、抱きしめるという場面ひとつで見事に逆転するのもいい。子供達の闊達な声を背景に入れているのもいい。世間から離れていた彼女が、世間を受け入れた佐藤により、世間を受け入れられる心を持つ・持ちたいと思う場面もいい。ラストの陽と陰の対比もいい。
 彼女は、それまでの生き方が死んでいくのを実感したことだろう。涙を流すことで彼女は死んだ細胞を洗いさり、佐藤はそれを消化してやった。裸にされた彼女の核は、まだ傷つきやすいけど、きっとこの後で回復するに違いない。キャッキャッと遊びまわる子供達の姿と明るい日差しが、時間はかかるだろうけど、彼女の細胞に幸せを許す浸透膜を構築させると予感させてくれる。
 もちろん、それは作者さえ意図しなかった展開かもしれないし、私が勝手に読み込んだだけかもしれない。だが、この作品は主人公と佐藤の暗い心理状態を強調していくことで、逆に読者に明るさを渇望する結果となったのである。だからこそ、ラストのわずかな白さだけでも私は十分に感動したのだ。

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