「アツイヒビ」

白泉社 花とゆめコミックス「アツイヒビ」より

緑川ゆき


 緑川ゆきは素晴らしい才能である。設定とそれを生かした展開にふさわしい配役、小道具の対比の妙、そしてそこから自然と生まれる物語を無理なく一篇にまとめる。「あかく咲く声」でどんどん巧くなっていく演出に感嘆し続けた興奮が、この短編にははじめからあった。つまらないわけがなかった。
 主人公は高校三年の国吉。冒頭、川に浸かって何かを探す池田という成績優秀な生徒を橋の上から見詰める。生徒手帳を探しているという彼とそんなの買い直せばいいのにと訝る国吉の前に、その生徒手帳を拾った二年の室園という女生徒が現れた。室園は手帳に書かれた「殺人計画」を明かし、実行されてはたまらないとそれを持って逃げ、国吉も池田の本気の目「邪魔する奴は許さない」に驚いて逃げる。物語は池田と、彼を追う国吉・室園の構図である。もとからミステリー色のある作品を好んでいるらしい作者が好き勝手に描いたという本編は、前述した物語の発端とはまったく予想のつかない展開に転がっていった。いや、このへんの現実感が・地に足の着いた感覚がたまらないね、特殊な能力があるわけでもないから、それでもって何か迫力をもって事件を解決するわけでもないし、話は日常レベルの段階にとどまりつつ(否、この場合は作者がそのような制約を自ら課して描いている)も前半でばら撒いた話の重要な点を後半で鮮やかに一筆書きしてくれる爽快感を備えている。
 まずタイトル「アツイヒビ」からして幾重もの意味を絡ませている(だからカタカナなんだけど)。暑い日々として全編にわたってやまない蝉の声、池田は彼を取り巻く環境ゆえに暑くて眠れない日々を過ごし家族の日々の再現を夢見て義父との間に出来た罅の修復に懸命になっていた。また川であれを探していた理由が明らかになると、そこから「殺人計画」の真実が浮き彫りになり一気にクライマックスへ至る流れも軽快で心地好い。また、おれの家族を壊さないでくれと静かに激昂する池田が、友達(池田のこと)に何かあったら絶対許さないと叫ぶ国吉を見たときの表情から一転して殴りかかる場面へ移行し。
 で、小道具の巧さという点ではスイカである。国吉の家庭環境と池田の家庭環境の対比がスイカ一個で表現されてしまうのだ。想像してほしい。年配の人が大きなスイカを持って歩いている図。これだけで家族と食べるのだろうなと推測できようし、何故なら一人では食い尽くせない量だから。劇中では妹と楽しくスイカを食べる国吉と彼の母が言う「また父が買ってくる」そして国吉の父がスイカを持って帰宅する一連の描写と、その父とすれ違った池田は走り去る。終盤では池田の母がスイカを持って登場する。再婚した池田の母、義父とうまくいっていない池田は、だけども何とかしてつなぎ止めておきたい「家族」、そんな思惑も砕けてしまう、スイカとともに。この殴りあったときの国吉のモノローグ「人の肌はやわらかくて 人の肉はあたたかくて 殴った手がいつまでも痛んで」が切ないね。自らの手で壊してしまった他人の家庭、それが割れたスイカだけ描写されている頁に感動し、さらに畳み掛けるように池田のモノローグが次の頁に「母さん、おれと二人ではさびしかった?」とあって感動増幅した。いや、まだ止まらないのだこの感動、結局離婚した池田の母、だが池田は語る「父親は失ったけど(次の頁へ) 友人ができた」。頁をめくるという間まで計算されているかわからないが、次頁でアップされる池田の穏やかな表情、決して画力のある絵とは言い難いけれども、それまで描かれなかった池田の輝く目(それまで描かれていたものは、白目をむいたような瞳のない本気の目と普通の黒い目)にまいってしまった。
 しつこくいうが、緑川ゆきは素晴らしすぎて、私はもうファンになった。
 (「アツイヒビ」は連作である。続く「花の跡」「寒い日も。」もまた抜群の展開を見せてくれる。恐るべし緑川ゆき。)

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