「バクマン。」6巻 虚構と聖域

集英社 ジャンプコミックス

原作・大場つぐみ 漫画・小畑健



 「バクマン。」の面白さに乗ることが出来ない。読んでいる間に感じる面白さは、読後すぐに消えてしまう。炭酸飲料でさえゲップが出るというのに、物語から刺激が感じられないのは、私がこの作品にどこかしら言葉に出来ないもやもや感を抱いているからである。一体それが何なのか、ということをつらつらと考えてみると、とりあえずの中間結果に至ることができた。
 この物語には、触れることの出来ない聖域が存在している。それは「まんが道」のような実在の漫画家か、あるいはそれを髣髴とさせる人物が登場しないという点である。モデルとなっている作家や編集者はいるだろうけれども、「まんが道」ならば手塚治虫という絶対的・神様に等しい存在とともに誌上で人気争いを繰り広げるという展開が現実にあったとしても、「バクマン。」ではそんなことは、まず許されないだろう。だからこそ、主人公も敵わない天才的作家として創作されたエイジが君臨しているわけだが、現実のジャンプ誌を舞台にしているならば、もちろんここは「ONE PIECE」の尾田栄一郎以外に存在し得ない。だが、「バクマン。」世界では、尾田栄一郎ら人気漫画家との人気争いが描かれることが無い。そして編集者会議上、打ち切りの議題に挙がる作品は、当然架空の連載作品である。これはまあ当然の展開だし現実に連載されている作品名を俎上に乗せるなんて大人の事情とやらで出来やしないだろう。また、作品そのものがフィクションであることを謳っている以上、いくらジャンプ誌が堂々と描かれようとも、虚構の世界は所詮虚構の世界の話であり、私のこの文章はくだらないと一蹴されよう。
 さて、現実世界をモデルとした作品の代表がプロ野球漫画である。実在するスター選手と架空のキャラクターとの対決は、作品のファンにとっては夢物語であり、だからこそ読み応えがあるというものだ。多くが取材などによって実在選手のキャラクター像が作られているので、当選手のファンが読んでも興味深い読み物になり得るだろう。けれども、そうした展開によって、実は無視されてしまう物語上の都合がある。一軍枠に登録される人数には28人と上限があるため、架空の選手によって、現役選手の誰かが一軍にいないことになるのだ(主人公が所属するプロ野球チーム自体を架空のものとした例も当然あり、その場合は枠からはじかれる選手はいない)。
 プロ野球を舞台に多くの作品を描いている水島新司の野球漫画を例にすれば、「あぶさん」の主人公である景浦が、実在する球団であるホークスの中心選手として活躍している陰で、現実にはレギュラーとして活躍している選手の姿が描かれないことだってあるだろうし、景浦との対決でホームランを打たれてしまう実在の投手もいるわけだ。当のファンにとっては、景浦は主人公だし、所詮漫画だし、好きな選手が漫画の中で活躍していなくても気にしない人もいるだろう。
 スワローズファンである私は、それを舞台にした作品が内容の如何に関わらず気になってしまうわけだが、かつて「クラッシュ!正宗」(原作・小林信也、作画・たなか亜希夫)という作品があったのをご存知だろうか。1990年代半ば、野村克也監督率いるスワローズは当時最強だったし、私もプロ野球観戦がたまらなく楽しい時期だったわけだが、そんな時に出てきたこの作品は、主人公である正宗がスワローズに入団し、主に中継ぎや抑えとして活躍する(先発もしてたけど)という物語だった。「1アウトにつき現金100万円、ただし1点取られると罰金100万円」という奇抜な契約内容は、当初こそ、今現在の正宗の年俸(あるいは収入)が変動する様子を、正宗の宿敵っぽい架空のキャラクターをジャイアンツに在籍させるなどして正宗が金に振り回される言動を面白おかしく描いたいたわけだが、次第に実在するスター選手との対決(特に日本シリーズでのイチローとの勝負は燃えたなー)や、正宗の過去の因縁など、虚実混ぜこぜにキャラクター色が前面に出てきてしまうことで、野球漫画という面白さからは個人的に遠くなっていったと思っている。まあ、それは置いといて、「バクマン。」で感じているもやもや感は、このとき既に私は感じていた。実在の投手の活躍の場が全部正宗に食われちまっている!……彼が主人公なんだから仕方ないんだけどね。
 すなわち、「バクマン。」でジャンプ誌上で連載されるいくつかの架空の作品たちの影で、「バクマン。」世界では、存在しないことになっている実在の作品がいくつもある、ということなのである。繰り返すが、フィクションと謳われていることは百も承知である。だが、人気作品の名前は出せても、それ以外の作品名が出てこないということに、それってなんか失礼じゃないの?と漠然と思うのである。
 そんな違和感は、例えばジャンプ関係者の新年会で現役漫画家の姿が描かれないという不自然さ・出てくるのは架空の漫画家や実在する編集者たちであり、実在する漫画家に触れることが出来ない不自由さが仄見えるわけだけれども、話数が進むに従い、物語は、ジャンプ誌で連載しあってしのぎを削りあう新人漫画家たちと編集者の人間模様に中心をすえ始めた。6巻では、ついに新人漫画家同士が結託して連載をボイコットするという事件まで描かれると、もはやジャンプ誌という舞台の存在意義自体が怪しく思えてきた。
 「まんが道」の場合は、主人公の作品が載る=藤子作品という切り替えが可能であり、はじき出される実在の作品はほとんどなかっただろうし、いろんな雑誌・出版社で連載し関わることで、掲載誌によって作品のテーマを変えたり、出版社によって異なる編集者の性質も、満賀や才野を通して感じることが出来た。だが、「バクマン。」はジャンプしか描けない。二人が他誌に移って活躍するだなんて展開も見えない。物語のはじめから作品世界は狭い暗所の中に閉じ込められていたのである。
 「バクマン。」を暗所に封じている巨大な蓋が、聖域である「ONE PIECE」をはじめとした劇中で触れられた実在のジャンプ作品である。物語は、そこに天才漫画家エイジの「CROW」という架空の作品を突きつける。2巻の表紙で本屋にいる二人が描かれているが、そこには「ONE PIECE」「NARUTO」「BLEACH」のコミックスを脇に抱える秋人がいた。6巻では、場所を集英社の神保町3丁目ビル前に移して最高と秋人の立ち姿が描かれた。このビルは実在するわけだが、2巻7頁で原稿を持込する場面でも描かれているとおり、入口には社を代表していると思しき作品のイラストが入ったパネルが3つ置かれている。6巻表紙は、このうちのひとつが「CROW」であることを明示し、他の2つは二人の背後で隠れていることがわかる。架空の作品である「CROW」は、ジャンプの看板作品の一角を確実に食っているのである。いずれ巨大な蓋はエイジという存在にゆっくりと挿げ替えられ、最高と秋人はそれを突き破るべく努力するだろう。その時初めて、この作品世界は風穴から広大な漫画界を覗き見ることになるのかもしれない。
(2010.1.17)

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