「地球の放課後」第1巻

秋田書店 チャンピオンREDコミックス

吉富昭仁



 人がごった返す街の中心部が容易に想起できる場所として新宿がある。地方の人間にとっても、とりあえず常に人でいっぱいという印象があるし、実際いつ行っても人々が闊歩しているのだから、そこに誰もいない景色が広がっているというのは中々に想像しがたいものがある。吉富昭仁「地球の放課後」第1巻では、無人の、静寂に満たされた新宿の街の中を、少年たちが歩き回る場面が冒頭に当たる第1話に用意されていた。少女たちの際どい場面が多く散りばめられていることで、うっかり忘れがちだが、誰もいない街を表現するのは、多分とてつもなく難しい気がする。
 こういう点においては、むしろ映画の映像が説得力があるのかもしれない。無人という舞台設定がいかに作られたのかに頭が働くことがあって、CGかな、誰もいない隙を狙って撮影したのかな、と邪推した挙句、その場面の物語上の意味を見失いがちになってしまいかねない危うさがありつつも、やはり動いている景色が、異常な事態であることにかけて雄弁であろう。「回路」(黒沢清監督)で主人公が車で町の中心部を走るシーンの不気味さは、倒れた街路樹や紙くずなどが散乱し道路が永いこと車が通らない状態であること、車中からも異様な空気の音が聞き取れるほどの静けさであることなどによって強調されていた。「ターン」(平山秀幸監督)では、主人公が真昼間にスクランブル交差点・つまり横断するには多くの人々と交錯するだろう地点を悠然と一人で闊歩するシーンで、誰もいない街の静けさを強調していた。「地球の放課後」は、消えていく人々と残された人々の話としての「回路」と、誰もいない(かもしれない)世界の孤独とちょっとした希望としての「ターン」を足し合わせたような街の描写である。
 強いて言えば本作の静けさは「回路」の表現に近いだろう。人々がファントムと呼ばれる謎の物体に消される事態が起き、世界中から次々と人が消えていく、という設定は、幽霊(?)によって人々が消えていく「回路」そのものでさえあるのだが、無人の街の描写という点においては、人々が消え去った異常事態騒動が終息して1年後という物語の始まりが、本作の描写をリアルにしている。17歳の少年が車を運転するという設定からも1年間の濃度が想起でき、他の3人の少女との共同生活というハーレムな状況下にありながら先々の生活・特に食料の確保について農業を勉強する姿が印象深く、確かにこんな構図で少年が性について積極的にならない点は気がかりといえるけど、それは読者の妄想によって十分に補完されるということにして、街の話に戻ると、雑草が道路の至るところで茂っている描写が象徴的なのだ。
 いくつかの花も確認できるのだが、中でも驚くのがひまわりである。実際に道路の真ん中に無人の街中でそれが生えてくるのかはわからないけれども、背丈の高い植物が真ん中に堂々と鎮座している場面ひとつで、無人の状態が容易に読者に伝わっている。冒頭の道路で寝ている(夏なので野外が涼しいという理由)のも車の往来が全くないから出来ることだが、本当に誰もいなくなった世界なのか、どこかに生き残りがいるのではないかという予感がひっそりとあるのも否定できない。それはファントムが人を消す方法が描写されているからだ。この方法(ひとりずつ捕らえてカシャカシャと分解あるいは分断していく感じ)なら逃げられた人がいるんじゃないだろうか、という思いである。生活力も体力もなさそうな少女三人が生き延びられた理由は明かされていないが、彼らが認識できる範囲に人々がいない、というのが正確な状況だろう。1巻終盤でファントムが再登場して少年を追う展開も描かれることで、決して安穏と生活しているわけではないこともわかると、その後のサバイバルさえ想起されるだろう。波乱を秘めつつも全体的に静寂に包まれた背景を作品世界に湛えているのが、不気味でさえある。
 さてしかし、静か過ぎるのは何も街の描写のせいだけではない。空高く舞い上がっているトンビの鳴き声であったり、昼間のカラスやスズメの鳴き声であったりといった環境音が小さく描かれるというのもあるかもしれないが、人工音に乏しいのも一因だろう。作風なのかもしれないが、特に車のエンジン音がほとんど描かれていないのである。21頁2コマ目がわかりやすい。
 この場面は開けたサンルーフから上体を出して「気持ちいい」と爛漫に叫ぶ少女が描かれている。ばたばたばたと服がはためく音があるけれども、エンジン音が皆無なのだ。この車は後に給油される場面があることから、ガソリン車であることは明白なので、正直言えば、大きな違和感を伴っている。総じて車が走っていると思われる場面は、音はもちろん、走行を演出するような流線もない。1コマだけを取り出してみれば、止まっているようにも見えるのである。だが、そうした動線という情報を排除したことで、画面上はすっきりとしており、キャラクターの表情やセリフに焦点が当たりやすい構成になっている。21頁の後に車内で会話する各キャラが描かれるが、運転する少年が正面を向き続けているので、当然、車の描写があっても、どこに向かっているのかは自明となる。また、146頁は突如現れたファントムに少女が驚愕して泣きながら膝を崩してしまう場面が描かれる。ここでも少女のアクション線はなく、尻をついたときにあるだろう擬音もないので、少女の表情と戦慄に焦点が絞られるはずだ(文字は人の目につきやすいので視線がそちらに流れる傾向が強い)。
 単なる作風だとしても、これらの演出によって作品世界は静寂さを獲得しており、ファントムにだけほどよく付いている「ブブブ」「ブウウン」といった擬音が、作品世界を乱すものとしての印象をより一層増しているのかもしれない。
 いずれにせよ、今後の展開が楽しみな作品であることは間違いない。
(2010.3.15)

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