「コンプレックス・エイジ」3巻 魔女の末裔

講談社 モーニングKC

佐久間結衣




 趣味と加齢という問題に取り組んだ短編「コンプレックス・エイジ」が連載化されて単行本も3巻に至った。主人公・渚の強気な性格は、しかし、世間では表に出来ない趣味に関して臆病なほど慎重だった。趣味のあり方と自分の生き方に焦点を広げることで、加齢だけでは済まされない、世間と言う他人の目がより強調されていくことになる連載は、同僚の葉山がレイヤーであることが職場にばれてしまう2巻を経て、主人公にも世間と関わらなければならない事態が訪れた。千田という彼氏が出来たからだ。
 親に趣味が知られるのは作品にとって想定の範囲内だったろう。短編からの流れもあったし、もちろん短編を作品の中に取り組む展開としては自然であるが、他人の視線というものを常に意識しているはずのレイヤーが、2巻ではその視線に耐え切れずに会社を去っていくとはつまり、渚が勤める会社は、渚をもその視線に晒される展開を予想されよう(実際、連載中の展開はそんな感じのようだ)。
 だが、何故彼女たちは視線にこうも翻弄されるのであろうか。イベント会場では見られること・カメラを向けられることに喜び感激しつつも、いざその視線に性が意識されると、途端にカメラの前を塞ぐ。そういうのが目的ではない、という前提がありながらも、きわどい格好をしてカメラの前でポーズをとっている渚たちレイヤーを捉えた写真に千田が悩んだように、理解しようとすればするほど遠ざかっていくような、不確かな存在であるように思える。
 そのキャラクターに成りきることが、レイヤーのひとつの条件であるとして、短編は成りきる理想とかけ離れて行こうとする現実に自分で抗うことが出来なかった。それはゴスロリというひとつの完成形しかなかったためであろう。だが、本編の主人公は、3巻に至ってすでに実在のゲームなどのコスプレを披露し、いろんなキャラクターに扮してカメラの前に立っている。短編と同様の問題が絡んできたとしても、それはそれでそれなりのキャラクターに愛情を移していくのではないだろうか。となれば、加齢もまたレイヤーとして一つの受け入れ先がいくらでも用意できそうな気もするが、それはレイヤーではない者の楽観だろうか。
 ともかく、親しくなった千田という異性に、自分がどう見られたいのか、という問題に直面したとき、彼女は自分がレイヤーであると告白することを決意する。親友の公子が明け透けに話してしまう性格を羨ましがる一方で、だが当の公子もまた、レイヤー趣味を知らせることで様々な面倒事に出くわした経緯が台詞から窺えるわけであり、この趣味を不愉快に思う人がいることも承知していた。千田はどう思うのか?
 親にさえ長らく秘密にしていた趣味を、付き合って一月の彼がどの程度理解を示すのか。
 親しくなったきっかけの子どもアニメ「マジルル」の話題は、千田にとっては告白とは異次元の、世間話の延長であろう。8年ぶりの同窓会、久しぶりに会った彼は、仕事の関係で見始めた「マジルル」に夢中になっていた。マジルルのコスプレに執着といっても過言ではないリアリティを求めるほどのキャラクター愛を抱いている渚は、彼の話題に惹かれ、彼そのものに惹かれていく。
 さてしかし、千田へのレイヤー告白が予想外の反応で引かれてしまった結果、自分がどのように見られているのかを俄かに意識することになった。
 いや、彼女が千田にどう見られているかは、付き合い始めてから意識されていた。千田を見る彼女の視線は、その描かれ方から好意が感じ取れるし、千田の表情をうかがうようなコマでもって、彼女自身が千田の好意を推し量っていた。カメラの先が何を狙っているのかを察知するように、彼女は千田の視線が自分の何を求めているのかを探ろうとしている節が、常に垣間見えるのである。それは、コスプレのアルバムを見せる挿話で頂点に達する。
 「何これ?」と言ってアルバムを受け取る千田。彼の表情は描かれず、あれこれと写真の経緯を説明する渚の表情が描かれ続け、アルバムをめくる彼の動向を注視する。だが、彼は渚の顔を見ることはなかった。次に会ったとき、千田が渚に向ける視線、そこには、邪な視線を向けるカメラ越しのそれと同等の、興味が澱んでいた。
 だが彼女は気付いてはいない。パンツが見える盗撮と思しきネット上の渚の写真を見せられた彼女の表情は、コスプレアルバムを見せられた千田と同様だったのである。アップにされて描かれてはいないし、そこが重要でない展開ともなっている。あくまでも千田が彼女の素性を知った、その後の態度に焦点が絞られている。だが、彼女の本性があらわになった瞬間でもある。
 独りになったときにだけ描かれた逡巡・懊悩は、他人とのかかわりによって隠せないものとなっていく。それは趣味に限った話ではない。レイヤーとしての自負は、友人たちとの交流を通して、渚というキャラクターを一個の煌く人格に仕立て上げたが、それは仲間内でしか通じないキャラクターであり、他人にとっては過ぎ行く人々の一人に過ぎない地味な白黒でしかない。だが千田によって、彼女はペンタグラムを刻まれた過ぎ行く人になり、誰彼ともなく通り過ぎるたびに指差される存在になったのである。
 コスプレという趣味に託された寓話として、「コンプレックス・エイジ」は、魔女の物語でもある。
(2015.3.2)

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