「電波の男よ」

小学館 フラワーズコミックス

西炯子



 アマチュア無線の交信で言葉を交わすジュリーとマリン。二人は声だけの関係である。互いに学生であるらしいこと以外は何者かもよく知らないまま、交信は唐突に途切れた。春。ジュリーこと大河内寿三郎は上京し、都内の某会社に就職した。
 西炯子「電波の男(ひと)よ」は、3つの短編が収録された作品集「電波の男よ」の表題作である。「ひらひらひゅ〜ん」で西作品を知った私は、たちまちその面白さに惹かれて勢い「STAYシリーズ」を全巻購入、その映像化のDVDまで買ってしまった。「電波の男よ」は、西作品に出会った私にとって、最初の短編集となったわけである。
 西作品の面白さの一つが行間を読ませる技術である。これはもう作品のひとつのテーマと言ってもいいかもしれないほどの密度である。多くを語らないキャラクターたちは、それ以外のことについては滔々と語って本心を明かさない。モノローグにしてもそれは徹底され、確信・キーワードともいえる言葉はひた隠しにされたまま物語は山場を迎え、その言葉を読者に実感させることでキャラクターの心の動きを描ききってしまう。しばしば挿入されるキャラクターの過剰ともいえる妄想の描写に読者自身が巻き込まれているようだ。
 さて、もともとキモイと周囲から嫌われている寿三郎(別にブサイクではないんだが、暗い性格と妄想癖が特に女性達から距離を置かれている原因らしい)は、社内でも孤立、友達らしい友達もいない。無線機もアパートに持ち込んではいたものの箱の中。彼にとってマリンこそが唯一心を許せる相手だった。だが、物語は早々にマリンを登場させる。
 「マリン」という説明書きが入るわけでもないし、その若い女性がいきなり無線をしている姿が描かれるわけでもない。寿三郎他同僚と乗り合わせたエレベーターで彼の声を聞いた女性の姿が描かれるだけである。彼の「別に」という一言を耳にした彼女の姿が・閉まろうとするエレベーターの中で目を見張った彼女の表情がただ描かれるだけだ。でも読者は悟るだろう、マリンはこの子だ、と。寿三郎が女子社員から気持ち悪がられる描写を挟みつつ、彼の思索を受けるようにして彼女が再び登場し、なおかつ社員名簿で彼と思われる顔写真を確認する場面に至って、その確信は、いつ二人は出会うだろうかという期待と同時に、ご都合展開はゆるさねーぞという批評眼に変化するだろう。
 タイトルの「電波の男よ」という呼びかけからも察せられるとおり、寿三郎のモノローグを中心としながらも、マリンの姿を合間に描き、彼女の内心はほとんど描かないことで、主人公に「早く気付けよ」という突っ込み感が生じる。この感情は、当然マリンと等価である。
 社内の間違い電話をきっかけに会社にマリンが勤めていることを知った寿三郎であったが、どうやって探せばいいのか見当もつかない。そんな折に彼は、先日の胃の検査の結果を立ち話する看護師の会話を偶然耳にしてしまう、末期の胃癌……物語は後半から一気に動く。卑屈だった寿三郎がなんとしてもマリンに会おうとそれまでの印象を一新、マリンの声に似た社内の女の子に近付きまくって無線をやってたか聞きまくろうという強攻策に打って出た。それに協力することになったしまうマリン、突っ込み感が強くなっていくことで彼女の気持ちの高ぶりが感じられる。そうしたところで、彼女の無線時代の回想がようやく入る。
 短い描写だが、彼女の高校時代の境遇が明かされる。寿三郎と同じように彼女も孤独の中におり、ジュリーとの交信が心の拠り所だったのだ。今はモテモテの社長秘書の彼女は、他人が自分をどう思っているのか、ということに恐怖する・ひょっとしたら全然関心がないかもしれない、友達らしい人がいないのである。同じ境遇でありながら、常に人から悪口を言われ続けながら他人を「死ね」と呪い続ける寿三郎とは正反対の対処である。
 さてしかし、無線で知り合った互いに素性の知らない男女がなんとか出会ってハッピーエンド、というような展開に至ったようで至らない、一筋縄ではいかないのが素晴らしい。だって二人が出会えばすぐに恋人関係、という発展も全然ありなわけだけれども、寿三郎の鈍感・早とちりが効を奏して物語はマリン探しに進みつつも、突っ込み感を絶えず維持することで、マリンの視点が次第に増えていくことに対する物語の描写の変化をやんわりと読者に浸透させてしまう。服装を改めかっこいい男になった彼には全然ときめかなかった彼女、同僚の女社員が色目を使ってくる中、マリンは彼の指南役としてお守りをするんだが、彼が社内の給湯室で上半身裸になって残業の汗を拭っている・その背中の肉体美に、彼女はときめくのである(ちょっと目のやりばに困っている感じ)。外見を変えた彼の容貌に惚れた女達と、彼の生身の背中に見とれた彼女を対比することで、彼の本当の姿に惹かれた彼女という像が浮かび上がる。
 この作品には好きとか愛してるというようなあからさまな告白場面がない。だが、マリンが「マリン」という言葉を発した場面は、彼女の話し方・表情・それを聞いた寿三郎の態度等、まったくもって一大イベント・告白である。だがこの告白をもってして物語は終わらず、信じられないという表情の上に戸惑いを隠せない寿三郎と、ついに突っ込んでしまったマリンの決意は、再び無線による交信が描かれることで、「会ってどうしようとは考えてなくて……」という彼の弱音を吹き飛ばしてしまった。あれほど遠回りしていた二人の距離が、たったひとコマ挟んで一気にくっ付いてしまう瞬間の描写が最高だ。「ゴン」「いた」という小さな擬音が二人の恋にちょっとした可笑しさを添えている。
(2007.12.3)
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