「岳」第1巻

小学館 ビッグコミックス

石塚真一



 うわー、思いっきり地元が舞台だなーとかのんきに構えていたら、ちょっとたどたどしい描線とは裏腹の厳格な山岳救助の物語に胸が締め付けられた。その甘さは劇中の久美のような能天気なもので、それだけに140頁の描写は衝撃的だった。
 山を舞台にした作品はいくつかあるが、私にとっては「蒼天の白き神の座」という登山シミュレーションゲームがもっとも強烈な経験である。ベースキャンプから隊員を指示する設定の下、登攀ルートの探索・確保、ルート工作、テント設営とかなり本格的な内容かつ難しいゲームである。たかがゲームと侮るなかれ、指示によっては隊員たちは遭難し、時には死んでしまうのである。隊員一人ひとりに感情移入してしまうと、もうこのゲームから逃れることは出来ないし、リセットで済まそうだなんて考えも思わなくなる。悪天候のなかで遅々として進まないルート探索、尽きかけた食料、一か八かの登頂アタック……うーん、いいゲームだったなー。で、死んでしまった隊員は、そのまま放置するとゲームではゴミとして扱われてしまうのである。はっきりいって、情けがない。だから残った隊員に搬送させるんだが、当然重い、重いし遭難した場所って雪崩やら落石が多かったりするもんだから、二次遭難も考慮しなきゃならない。ゲームの目的は登頂だげど、それ以外の場面でもちょっと感動してしまうのである。ゲームとはいえ、死なせて済まなかったという感情がやってくると、次こそは絶対成功させるんだ……結局リセットかよ。
 久美ってのは読者に一番近い立場の登場人物だけど、遺体捜索場面の緊張感のなさやトレーニング中の不真面目さなんかが、現場で死を目撃していくことで、いろいろな情動に悩むことになる。これは読者というか私自身もこれ読んでて助かって欲しいとか思いっきり劇中に没入しているんだけど、雪崩にあった二人のうち一人を助けて、もう一人は探す時間がなく次の雪崩の危険性を考えて諦める、という場面が簡単に出てきて、お気楽に読んでいたのですっかり面食らった、衝撃だった。そして遺体をヘリで運ぶ場面、航空法上遺体はモノとして扱われるために吊り下げられたまま運ばれる……現実というと浅はかだが、二次遭難を避けるために徹底されている山の法律の厳格さが、地上でのほほんとしている私を打ちのめす。140頁はその極めつけとでも言えよう。
 転落して瀕死の登山者を捜索・発見した主人公・島崎三歩は、手足がありえない角度で折れ曲がっている・血だらけの彼を、旧友にあったかのような態度で接して背負い、昔話なんぞしながら登るのだが、途中で力尽きた彼は生気を失う、まさに失ってただのモノになってしまう瞬間が描かれていた。モノだからってぞんざいな扱いなわけではなく、ただの重い塊になってしまったってことへの想いが三歩の表情に表れていて、141頁で三歩は彼の左手を握ってあなたのことは忘れないよって約束するのである。
 登場人物たちが遭難者に様々な表情を見せつつも、描写はいたって平凡というか稚拙かなって思えるところもあるんだけど、それがかえって淡々とした印象を与えてくれる。死んだ彼はテキパキと収容されヘリで吊り下げられて運ばれる、この展開の速さ(わずか3コマ)なんか演出の上手さ下手さとか言うんではなく、描きたいものは登山者の思いなんだなってのがわかってくる。谷口ジローのような圧倒的な筆致も表現力も持っていない作者が唯一拮抗し得る武器が、山への愛情なのだろう。
 雪山描けったって難しいじゃん。水を描くのと同じくらい難しいかもしんないし、そんな厳冬期のヒマラヤに挑むようなことをいきなりしている作者の冒険心は無謀でもあり素晴らしくもある、誰でも挑戦権は持っているからね(なんちて)。豊かな物語で描写の巧拙を吹き飛ばして読ませてくれるってのが嬉しいのだ。そして山を知る者だけが表現できる瞬間が時々現れると、感動が促されるリアリティってもんが目の前に開けて、176頁のようなこてこての感動話にも深く胸が熱くなってきてしまうのである。重厚な描き込みや迫力ある筆遣いなんて必要ないのだ、ただ印象深い描写がひとつあればその漫画は十分に面白い、「Thanks!!」と。
 さてしかし残念なのは第7話のラストだ。それまで、各話のラストシーンには山の景色・山から見える空の景色を織り込んでいたが、ここでいきなり地上に降りてきてしまうのだ。まあね、ついさっきまで命がけの救出劇をしてみせた男達が下世話にわいわいやっているってのもまたいい味わいではあるんだし、この展開からラストを山々にもっていくのは無理があるけど、なんか勿体ねーんだよな。まあでも、いい漫画だ、ほんとにいい作品である。今度登山客を見かけたら、がんばれよ生きて帰れよと心中呟くことにしよう。
「山頂から雲海の上に浮かぶ神々しいまでの朝焼けの山を眺めれば本当に美しいし、神や仏がそこにいて、山が信仰の対象になるのは不思議ではない」(「蒼天の白き神の座」に寄せられた登山家・八木原圀明氏の文章より)

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