「げんしけん」10巻 斑目晴信の青春パート4

講談社 アフタヌーンKC

木尾士目



 連載終了から4年以上が過ぎてからのまさかの続編に驚いた。「げんしけん」については長文感想で思いのたけを全てぶちこんで吐き出したつもりだったが、続編が雑誌に掲載されたという一報におもわず普段買わない雑誌を購入してしまったのは、この作品が私にとってかけがえのない存在だからである。
 もともと木尾士目作品には主に男性のコンプレックスに由来する性が赤裸々に描かれていた。童貞とか初めての彼女とか、倦怠期のカップルとかとか、キャラクターが恋愛に四苦八苦する様子が生々しかった。それが「げんしけん」において、恋愛という状況と対極にいるような存在としてのオタクの性癖を、これまでの写実的な描写から、キャラ然とした作り物としての僕たちとでも言える描線のキャラ造形で暴きたて、シニカルに多くのオタク読者の支持を得たという印象がある。  ところが、その作り物である僕たちが、現実の恋愛を意識してしまったとき、作り物という意識そのものがコンプレックスであり、その克服に苦悩してしまう自己撞着っぷりが、やっぱり生々しく描かれることになったのである。その象徴的な存在が斑目というキャラクターであった。
 斑目晴信は、「げんしけん」の主人公の笹原にとっては、当初、オタクとしての生き方を指南する役目を負っていた。またそれ以外では、「痛い」オタクの一例として、マンガやアニメなどの名作で引用されるセリフを普段の会話に交え、自らをキャラとして作り上げた挙句、本当の自分をひたかくし続けることになる。それは、春日部という女性への好意を殊更に隠そうとする本人の苦肉の策でもあり、本心をさらけ出すということは、彼が考えるオタクの沽券にかかわる、ということなのだろう。
 荻上を会長として・主人公として迎えた続編となる10巻「二代目の壱」においても、このコンプレックスと向き合わざるを得ない場面と、隠さなければ維持できない(と本人が思い込んでいる)自身のキャラ性が、さらに深化したキャラクターの登場によって強調された。波戸である。
 新会員募集の初日、矢島と吉武という女性二人に加え、後からやってきた波戸は女の子として登場した。だが彼は、四年生でなおかつ唯一の男性会員だった朽木によって女装した男の娘(こ)であることが速やかに明らかにされてしまう。ひょっとして彼女は男なのではないか?というスートリーの盛り上がりよりもキャラクターの設定によって作品を盛り上げようという初期から一貫した潔さが素晴らしいという個人的な感想は置いといて、何故彼は女装に拘るのかが、女っ気の極めて薄い矢島によって追究されていった。つまり、波戸というキャラクターの設定上の意味が、矢島の視線を通して詳らかにされていくというわけである。
 すでに読者は、似たような光景を目の当たりにしているはずだ。荻上のオタク嫌い発言である。いみじくも、たまたま部室を訪れた笹原の妹・恵子が斑目に向けた言葉によって核心を突いた、「お前ちゃんと 失恋できてねーんだよ」
 コンプレックスの克服は、過去の自分と決着を付けるという形で「げんしけん」は描いてきた。荻上の高校時代のトラウマは、彼女にしてみれば黒歴史であるが、笹原との恋愛を通して氷解していくことで、彼女は「ちゃんと」けりを付けることが出来たわけだ。もちろん彼女の女っ気のなさは、おそらく矢島と通じる意識がありそうな気がしないでもなく、今後の見所の一つなわけだけれども、斑目はいまだにけりを付けられずにいた。サークル内で斑目的なキャラー演じるスーの存在が、今後斑目にとってどんな影響を与えるのかに個人的な期待を寄せているのだけれども。(ちょっとスーに触れておくと、もともと彼女は得体の知れない大野の友人の一人として登場した。何かのキャラの言葉によってしか会話しない彼女は、斑目の虚構的言動を過激にした存在であり、内面を感じさせない造形(他のキャラクターが多少の誇張があるにしても、人間らしい表情をある程度維持していたが、スーは初めから、描かれる表情が記号化されていた)だった。それが荻上と出会うことで、内面を獲得していく。斑目が春日部を意識していくことで内面がリアルに描かれていく・あるいは内面を獲得するように、スーも荻上によってキャラ的存在からキャラクターになろうとしているのだ。だから、スーの言動が斑目と被るのも、ほとんど同じ記号的表情で二人の顔が描かれるのも、必然なのだ)。
 さて、10巻のハイライトは、波戸が女の子として振舞うことに固執するのかが明らかになる場面であろう。何気ないセリフでありながら、斑目やスーのキャラ的セリフだけでは覆せない、本当の自分を隠す意志の強さが表れていた。
 構内では男性のままで過ごしていた波戸だが、部に顔を出すときは女装をしていた。問題は着替える場所である。女子トイレでことを済ませていた波戸も、大野のコスプレルールによって厳しく叱咤されてしまう。大学と波戸の自宅は往復で一時間以上もかかるとなれば、彼のサークル活動に大きな支障をきたしてしまう。となれば、近距離でなおかつ安全に着替えを出来る場所の発見が急務であった。スーの発案により、徒歩数分の斑目のアパートが候補地となり、ほとんど強制的に斑目の家は波戸の更衣室として確保されてしまった。
 波戸は、男性としての自分と女装した自分を弁えていた。高校時代の迫害経験に触れ、自分の生き方を女装に見出し、目覚めていったわけだが、そう簡単に女性に化けられるほどに甘くはない。もとから女性に近い顔立ちだったとはいえ、声まで女に変えてしまうというのは容易ではない。波戸は言う、「(訓練で女声が出せるようになるまで)僕は3ヵ月くらいかかりましたけど」。「そんな根性ねーって」と斑目は応えた。
 斑目が経年積み上げたオタク的知識によって武装し本心を隠し続けているのに対し、波戸は、男性としては少数派のBL趣味も腐女子ならば問題ないという事実を、短期間の訓練によって自らを女性化することで隠すことに成功したわけである。恵子の先述の発言を受けてスーは言っていた、ちゃんと失恋しなくてもいい方法がある、「新シイ恋ヲスレバイイ」。波戸は、女装という新しい恋を見つけたわけだ。
 一方の斑目は、春日部という過去と決別することが出来るのだろうか(もちろん決別しなくても良いんだけど)。作者は決別できずに他の作品で悶々を晴らそうとしているようだが、「げんしけん」の斑目は、これからどんな楽しみとめぐり合い、どんな「新シイ恋」と出会うのであろうか。
(2011.5.30)

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