「GOGOモンスター」

小学館より 書き下ろし

松本大洋



 松本大洋は私にとってそれほど大きな存在ではない。特に熱心に読むわけでもないので、全ての著作に目を通していないし、読む気もない。良い意味で評論家好みの作家だろう。私が松本大洋に求めるいるものといえば、「花男」のような画面の隅々にまで行き届いたおかしみであったり、短編「だみだこりゃ」のようなばかばかしさであって、「鉄コン筋クリート」のような抽象的で素直に読み難いものは、他の作家に求めているので格別な思いはない。だから「GOGOモンスター」を買って読むことは正直戸惑った。なによりもこの一作に2年近くも費やしているのが気になった。それだけ腰を据えられた作品となれば、恐らく「鉄コン」よりも自分の世界に閉じこもったものになる予感があったからだ。で、蓋をあけたらその通り、初っ端から暴走しているのである。これはまいった。絵は好きな部類なので、背景からなにまでじっくり読んでみたのだが、結局、一言で言えば「トトロの出てこない「となりのトトロ」」といった感じだった。もっとも、主人公のユキは、サツキやメイのように飛んだり跳ねたりせずに端から見れば生意気なクソガキ以外の何者でもなく、ひたすら嫌な子供である。私の知っている範囲で言えば、「何も始まらなかった一日の終わりに[ハルオの巻]」の死にこだわる少年・ハルオの物語に感じが似ている。本編ではハルオのような直截的な表現を冬野さほが補っているのが救いであり、それがなければ、小さな小学校を舞台にした二つの世界の物語は到底成立しなかっただろう。それくらいに冬野さほの協力は大きく、ほとんど合作に等しいような気がする。
 では面白いのかどうかという話になれば正直に、「鉄コン」より面白いと言える。子供の頃ならば誰にでもあるだろう恐怖感がわかりやすい。つまり影だ。冬野さほ「What happened last night?」という短編(マガジンハウス「ツインクル」収載)にその源泉が見える、カーテンのしわや天井のしみが人の顔に見えて、一度そう見えてしまうともう拭えない、怖くなって仕方がない。劇中では、立入禁止の4階にあるトイレで、木の枝や葉っぱの影が人の顔に見えて怖がって泣いてしまう少女の描写(45頁)が好例だ。ところがユキは水滴に人の顔が浮かんでも怖がらないし、むしろ親しみを込めて挨拶する。普通の人には見えない何かを感じ取ってしまうユキの言動は理解されるはずなく孤立し、教師からも疎んじられてしまう。で、そんなユキに心惹かれるのが転校生のマコトであり用務員のガンツ、登場人物の配置方は実に簡略されている。無駄がない、というか、無駄がほしいくらい殺風景だ。冒頭の暴走ぶり(いきなり突拍子もない空想)は止まることなく最後は自転車の疾走場面(この作品の名場面だろうな)につながり、結局速度は落ちないので、一気読みするのはなかなか辛いし、まして連載となれば読者は一度落とした速度(集中力)を再び劇中のそれに高めなくてはならないので、書下ろしという形は自然だろう(連載にしたところで人気は出ないだろうし)。物語の軸もこれが結構入り組んでいない。「あっちの世界」に乗り込んで「奴ら」を退治しよう、あるいは「スーパースター」を含む「彼ら」に会いに行こう、とでも言えてしまう。結論から言えば「奴ら」も「彼ら」もユキの(ある意味で)想像物なのだが、それにしては450頁は長いだろう。この半分くらいですんでしまう長さに違いないが、作者としてはどのコマも削れない確信があったのかもしれない。
 ところが、この作品は個々の好みが定まり難い構成をとっている。一読でわかることと言えば「大人」になる過程を描いた子供の成長物語というようなことで、具体的にユキが感じたものがなかなかわかりにくいのだ。同時に5年生の佐々木ことIQの存在が物語を混乱させている。いや、作者のねらいはむしろそこだが、このIQという奴、箱を被っているのである。これはもう私にはいただけない、なにが駄目かって、私は安部公房の代表作「箱男」を読んでしまっているからである。これがどうしても脳裏にこびりついてはなれず、IQを正面から見ることが出来なかった。もう一度読んで箱が「箱男」のそれと意味が違うことを飲み込んだけれど、暇に任せて「箱男」を読んでしまった。まあ、それは置いといて、子供の成長譚となれば、大人になることへの憧憬と不安が描かれてしかるべきであり、劇中では白いものが黒くなることで暗に(限りなく明に近いけど)訴え、ユキには「醜くなる」「腐る」と形容させている。
 だんだん黒くなるものたちを列挙していくと、まず目につくのがIQの箱。118頁と326頁に対比される果てしなく高い校舎を覆う木の枝とうさぎ。276〜278頁の廊下に立たされる生徒や289頁の真っ黒な顔の生徒たち。IQが「奴ら」に毒されていく様子は単純明快だし、後には「奴ら」とIQの人格がごちゃごちゃになる。校舎が蝕まれていくのも教師たちの嘆きからわかり、うさぎも白うさぎが後に失踪する。生徒の言動が目だって乱れていくのも細かく描写されている。
 荒廃する学校の世界のなかで唯一自分を保ちつづけるマコト。読者にとってはユキとマコトが正常であり、他の生徒たちは異常に見えてしまうし、ばかばかしい言動でそれを誇張しているが、本来このばかばかしさは松本大洋作品の基底の一部だったはずだ。私が求めていたおかしみ・ばかばかしさが、この作品ではまったく逆の効果でもって迎えられ、ユキに同調し、挙句マコトまでもクラスで孤立するに至っては、まるで今までの滑稽な表現を拒否するようだ。
 だがユキの周囲の世界も、大人から見ればよくわからず、290・291頁のIQの担任教師とガンツの会話「まるで宇宙人みたい」が象徴的なセリフであり、ユキの描く世界がいかに小さなものであるかが暗に示されている。しかし、ユキにとってその世界はとても大事なものだ。だからこそ「奴ら」の退治に躍起になり、その言動はますます孤立を深める原因になる。では、その「奴ら」とは一体なんだろうか? これについて考えると自然「スーパースター」の正体もはっきりするのだが、ときに劇中の描写をたどりながら考察してみる。
 ユキの描くらくがき(冬野さほが書いたのものか、それを下絵に作者が描いたものだろう)は冒頭から時折出てくる。これは文字通りらくがきに過ぎず、ユキの想像上のものでしかない。57頁には「彼ら」も登場するが、これも想像でしかない。では、ユキが実際に描いた「奴ら」のボス(191頁)もそうだろうか? これは違う。これはユキが確信をもって画用紙に描いた「奴ら」のボスである。ユキがこれを書いたのは「スーパースター」の存在が希薄になっていくことへの憂いであり、ボスを具現化して闘志をかき立てるわけだが、敵意をあらわにしたユキの態度は単なる孤立から周囲に嘲笑される対象になってしまい、いっそう心を鋭利にしていく。そのきっかけこそがIQである。185頁からのうさぎ小屋前での二人の会話、これが、これまで不審な言動で読者を混乱させていたIQの真の姿だった。ここでユキは理解する、「奴ら」のボスがIQであることを。いや、断言するほどの確信はないので、…と思う、としておくものの、後の展開からIQが「奴ら」のボスに支配されていることは容易に読み込めるはずだ。ボスの姿が、315頁のIQの影に似ているのも偶然ではないだろう。それだけにユキはマコトを一人ぼっちにさせたのも気付かず、IQに接近して「奴ら」のねらいを探る、もっと突っ込んで言えば、本当のIQと話がしたくて会話を重ねたのかもしれない。「スーパースター」と会話が出来ないといって泣くユキもいつのまにやら「奴ら」に侵食され、マコトの涙も理解できなくなってしまう。そしてマコトでさえ、ユキと親しくしたいのに叶わない気持ちが憎しみを生み「みんながずるく見える」とガンツにもらすことになる……なんとも哀しい展開になったが、このまま終わったら松本大洋ではない。ちゃんとハッピーエンドを用意する。
 黒い扉の向こう側で待っていたもの、それがなにか私にはわからない。具体的には言える。飛行機であり、馬あるいはロバであり、木々であり、山であり、夕日であり、そして箱を取ったIQである。ほとんどベタで見難い画面だが、目を凝らすとユキに話しかけている人物がソファに座ったIQであることを判別でき、436頁の帰って来たIQの姿に通じる。当初は、彼が「スーパースター」の正体だと思っていた。それが自然な読み方だろう。ユキが運動よりも勉学に励んだ理由は、IQの影響が大きいし彼を尊敬していたからこそ、ユキの無意識裡の中に絶対的存在としてのIQが君臨しはじめる。ユキの中で肥大したIQはやがてスーパースターと重なり同一視されるものの、ユキ自身はそれに気付かないからいつのまにか混乱し、「奴ら」とか「彼ら」とか、もうごちゃまぜになってしまう、それこそ机の上にらくがきを書きつづけて真っ黒になっていくように。そもそもユキに「バイバイ」と言ったのは誰なんだ? それこそ「奴ら」かもしれない。そもそもそれが誤解の発端か。あれ? 私が混乱してきたよ、箱を取ったIQは「奴ら」のボスなのか? どっちだろう……わからない。ただ一つはっきりしていること、「彼ら」とはスーパースターとその仲間を指していたのだが、黒い扉のなかで「彼」はマコトを意味している。消しゴムをポケットに入れたチャンスも、彼だった。「彼ら」がここで「彼」となり、マコトが俄かに大きな存在となるではないか。この感動、喜び! プールの深い深い底に「奴ら」の息を感じて(おぼれた高橋くんが148頁で大蛇を見ている)、積極的に泳ごうとしなかったユキが突然プールに飛び込む場面だ。そして乱れ咲く花々たち。松本大洋の筆がうなっている、うーむ、巧いな(マコトが一人ハモニカを吹く場面も好きだな)。
 これ以上言葉を費やすのは正直恥ずかしいので、校長先生の入学式の挨拶に代弁させておこう。つまりそういうことだ。
 そうして最後の疾走場面。二人はどこへ行くのだろうか……否、二人は学校という狭い世界から飛び出して行くのではない。学校上空を飛ぶ飛行機が何処へ行くのかというユキの言葉にマコトは言う、「何処から帰って来たのかと思うんだ」と。ひょっとしたら、これまで気配を現さなかった「家」に二人は帰っていったのかもしれない。 (とまあ、ここで書き終えてもいいのだが、どんでん返しがその前にあっんだよな。水滴に浮かんだ顔を「おじちゃん」と呼ぶ少女、そして冒頭のユキと同様に「バイバイ」と呟く校舎。……いや、よそう。深読みはこれまで。素直に松本大洋の「マンガ」を楽しむことにしよう。)

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