「偶然か 運命か」

集英社 マーガレットコミックス「偶然か 運命か」収載

南塔子



 南塔子の短編はいくつか読んできたけれども、女の子の主人公が気になる男の子にあれこれ振り回されたり振り回したりしているうちに好きになるという基本的に同じ展開を繰り返しつつ(これは南作品に限らず他の少女漫画にも言えることだが)、短編集「偶然か 運命か」の表題作を私は結構気に入っている。いや、ありきたりといえばありきたりなんだよ。高校生の女の子・ありと男友達のレン、この二人が出てきた時点で、二人がどう恋愛関係になだれ込んでいくかという読者の期待が生じる。私も少女漫画に読みなれてきたとはいえ、また似たような話かよと、しかし南作品の良さは、登場人物が必ずしも正義ではない・だからいつも葛藤している様子がかわいらしく描かれている点にあるわけで、いかに告白の場面を盛り上げてくれるかという、まるで「水戸黄門」や「忠臣蔵」のお約束時代劇を見るような一種生暖かい視線がないわけではないが、実はもっとも大きな決め手がオノマトペの字体だったりする(もちろん絵が私の好みでもあるってのは大前提だけどね)。
 ベタが少なく白っぽいコマが多いかもしれないが、南氏はペンによる手書き感の残る擬音をよく用いる、ていうかまんまペンでざっくりと描かれた擬音だ。一般的にはマジックで太く描かれたものとか、大きな書体にトーンはったりとか、アクションでは紙面を覆いつくすような擬音が入ることもあるけど、南作品は(単なる手抜きかもしれないが)ペンでちょこちょこっと縁取って書いたような「ドキドキ」とか「キーンコーン」(学校の予鈴の音)とか、白抜き文字っぽいものばかり。たまに太く描かれた擬音があるけれど、この手書き文字擬音がいい効果を発揮していると思う。
 いわゆる手書きのモノローグ(ちょっとした独り言とかの写植されていない文字)と区別がつかない。ペンで描かれているために、人物の線との区別もない(擬音をわざと写植文字にする作家がいるけど、それと正反対)。描線によって作られた作品世界に、擬音が溶け込んでいて全く違和感がないのである。本作を例に説明してみる。
 「偶然か 運命か」は、それなりにカッコいいレンが好きな女の子に好意を見せてその気にさせるも、いざその子に告白されると、もう好意が失せているというやっかいなキャラなんだが、その友達のあり(名前が有沢なので「あり」)は、その都度自分の性格に落ち込むレンを見かねて度々一緒に遊ぶ仲の良さ。そんなレンが、ありの「ほんとの恋」をすれば好意はなくならないはずだという力説に感化されたのか、ありに惚れてしまうのである。あくまでレンとは友達として距離を置きたいありだが、レンの執拗な好き好き光線と友達の「いっそ付き合えば?」に疲弊するも、ほんとに恋人として付き合えば、これまでみたく気持ちが冷めるかもしれないというアドバイスに乗っかり、レンと付き合う振りをしてみることにしたのだが……まあ、この後は予想通り実は本気で惚れたとか嘘ついてたとかなにやらごちゃごちゃと通過儀礼を経て告白に至るわけだけれども、レンの本気に次第に心を傾けていく描写がかわいい。ではなく、擬音である。
 たとえば、ありがレンを校舎裏に連れて行く場面。友達にレンと付き合っていると思われたくないありは、レンが友達に「ありと付き合ってるの?」と聞かれそうになったところを引っ張りすっ飛んできたわけだが、「二人になりたかったから」という苦しい言い訳にレンは顔を赤らめる。この時の擬音が「まっかー…」と、顔が真っ赤になった様子そのままを文字に起こしただけ。特に珍しいもんではない。けれども、この独り言めいた擬音、独り言と同じ書体だけあって、ありの主観による音が多い。この辺は統一されていないけれども、短編で主人公の女の子視点による物語ということもあり、音に関する描写も彼女の視点に依拠しているわけで、「まっか」という音を聞いたのは、当然彼女自身である。「まっか」とひとりごちたかどうかはわからないが、そうかもしれないと思わせる擬音なのである。
 次のコマでは、ありまで照れてまって黙ってしまう始末だが、レンに抱きしめられると、途端に「ドキドキ」してしまう。雑といえば言えるかもしれない「ドキ」という文字が、かえって同じく真っ赤になる彼女の頬・特に眼の描写と一致しているだけに、その音が外に漏れているかのような気がしてしまう。レンを好きになっちゃいけないって思い込む彼女の姿も、傍から見れば「まっか」になって黙ってしまうのだ。だからどうかは知らないが、レンはひょっとしてありの本心に気付いているかもしれない思いもある。結局ありは友達との体面を選んでレンを邪険にしてしまうのだが(当然すぐに後悔する)、レンは彼女の「ドキドキ」を知っているのでは? という期待もあって、告白という山場がどう描かれるのか、いろんな期待が盛り込まれていく。
 さて、線についてもっと直裁に書くと、眼は基本的にペンで網を入れた感じである。ぐちゃぐちゃと黒目を描きつぶすときもある。ペン先がそうなっているのか輪郭がたまにやや二重になっているときもある。技術的なことはわからないけど、適当な言葉が見つからないので、語弊を恐れず下手と書くが、下手な描線の味わいを擬音に活かしていると言える。ていうか、基本的に人物しか描けないから(これは南塔子に限った話じゃないけど)、場面転換は多くが空にモノローグで、遠近感・リアリティに乏しい建物がぽつぽつと描かれる程度。なんか貶しているみたいだけど、キャラクターだけではじめから話を転がせるってのは、やっぱりそれなりにかわいく感情移入しやすいキャラクターを造形できるからこそだと思われ、そこに「ドキドキ」というキャラクターと同じ描線の擬音があると、その音が感情として奇妙にもリアルに感じられるのである。
 しかし、このタイトルはどうにかならなかったのだろうか。もう少し普通に。そこだけは合点がいかない。「偶然か 運命か」の次に載っている「ラインハート」も何気に好きな話だが、もう少しタイトルに工夫が欲しい、好きな作品なだけに。けれども、絵の上達を祈ってもう少し読み続けてみたい作家である。
(2007.9.29)
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