「灰色の乙女たち」

スクウェア・エニックス ステンシルコミックス 全2巻

加藤理絵



 センチメンタル漫画文学作品なんていう惹句は誰が考えたんだろう。気持ちはわかるが、いらないだろう。何故ならこの作品は真っ当な漫画だからである。
 作者があとがきで記すように、絵はド下手である。表紙の飾り気のなさはこの作品の特色とあってはいるけれども、いかんせん地味すぎる、実際物語は地味である、少女漫画の王道的な展開を予感させつつも執拗に描かれる主人公の独白がこの作品に独特の味を与えている。それをより文学的と思わせるための惹句だとしたら、小賢しいといえるかもしれない。
 で、私がこれに惹かれた最大の点が最終回なのである。正直、1巻はだらだら読んだ。いかにもありがちな登場人物の配置、これが萎えた。まず高校三年生の主人公・ミサキ、幼馴染のアキラ、そしてミサキが惚れる春原(はるばら。これを「すのはら」と読ませないところに作者の偏屈というかひねくれ根性を見る)。これだけで、あーあれだろ、ミサキがある時に幼馴染に男の魅力を感じてドキドキして春原への恋情が一気に冷めて、だけど春原にとってはミサキはかけがえのない存在になってて、ミサキが恋に悩んでどうしようと独りめそめそして、絵はキャラのアップばかりでみんな美形で、くだらない恋愛コントが繰り広げられるんだろ、という先入観が脳裡を渦巻いた。ところが絵が下手なんで、主人公の造形は美しくない。おまけに第1話の悲惨さ、無職の父(母は故人)をバイトで養う貧乏生活の娘という設定にいきなり勃発する父の失踪による自我の崩壊が根底にある。私の存在って何? という青少年なら誰もが通過するだろう懊悩が恥ずかしげもなく展開されるのである。すなわち、少女漫画的展開・紋切型の構図を施すことによって促される読者の偏見を利用した物語の理解の容易さを表にしつつ、裏でひたすら悩みまくる私小説めいた主人公の姿が隠れているのである(いや、別に隠れてはいないんだが、どうせ恋愛が主人公の自我を解決しちまうんだろ、という心理が私にあったので)。
 こうした私の諸々の予想を打ち砕いてくれたのが第6話・第7話なのである。第6話はミサキの母の話。母はミサキにとって憧れであり目標であった。亡くなっているだけに存在感はただ事ではなく、母がどれだけ意志の強い人間であるか、精神的に自立しているかということが描かれる。悩みまくるミサキとは対照的で、重圧にもなった・強く生きろといい続けた母の言葉が幾度もミサキの心にとどろくからこそ、ミサキは気丈に振舞っていた。台詞にかなり依存していた物語がこの2話では絵による心理描写が少し出てくるところも印象深く読後に残る。第7話はあとがきで単行本化に際し追加した大事な挿話という意が書かれている通り、本作品に欠かせない出来となっている。幼馴染のアキラがミサキに「好きだよ」と告白するのである。これからどろどろの三角関係の始まりだーなんてことはなく、「ありがとう」と受け入れるミサキ、少女漫画の一形態を装いながらもまるで予想し得ない展開に傾き始める物語が衝撃だった。小さい頃から癖毛でいじめられていたアキラはミサキに助けられてばかりいて、その後髪を伸ばすんだが、これをばっさりと切ってもとの癖毛が目立つ姿になる。その理由は推して知るべしといった感じで淡々と物語は終盤へなだれ込んでいく。静かにミサキの孤独感を煽る描写がいい。しつこく自分の存在について考えていたミサキの状況が生々しくなっていく。
 ミサキは生徒会長であるのだが(この設定もなんだかなーといった感じでさ、なぜか勉強が出来てなぜかみんなに人気があって、というご都合設定がもわもわと湧いてきたんだけど、そんなありきたりな方向に転がらない)、自分がいなくてもしっかり回っている生徒会の運営に気付き、アキラは精神的に自立し、父はなく、いつも遠くを見ている。視線の先に海を持ってきて、何気に母との共通点も描写する。「ある人は死ぬ瞬間まで海を見ていたという」という第1話冒頭の言葉、それが母であることを読者に発見させ、主人公も母に似ていることを認識させてくれる。おー、漫画で表現しているではないか。絵が下手と語りながらもきっちりと漫画にしてしまうんだから、やはりプロだよなこの辺り。
 それにつけても最終回の余韻鮮やかなること。大団円みたくミサキの友人知人が集まって、ミサキという人物を語る。回想場面でしか登場しない彼女は、それまでの暗く閉じこもりがちだった性格・自立心旺盛が思い余って独りで生きていくことに執着しすぎた心がほぐれて、笑顔で描かれる。そしてアキラのモノローグでひっそりと終わる物語がさらに好印象である。主人公の本音が直接描かれず、友人達によって補完されるっていうのがいいんだ、それによって自立しなきゃ強く生きなきゃと気張っていながら常に他人に支えられていることに負い目を感じていた彼女の気持ちが開放されるのだ、これはその前の第9話の先生の言葉があるからこそだけど、2巻168・169頁の見開きによるアキラに握手を求めるミサキの図、お互いに支えあっているという単純だけど認めたくない(何故ならプライドが高いから)事実を発見させ、一応の決着を読者に指し示してくれる。単に感動しただけなんで言葉に表すとしっちゃかめっちゃかな文章になってしまうが、しみじみと嬉しさがこみ上げてきましたというお話でした(一応とことわりを入れるわけは、雑誌の休刊による連載の打ち切りが背景にあるからで、収拾できなかった展開(春原の追っかけ3人組との関係)もちょっとあり、にもかかわらず上手いことまとめてしまったことで、この作品の私の評価が少し上がったという次第)。

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