「春行きバス」1〜3巻

小学館 ベツコミフラワーコミックス第1巻〜第3巻

宇佐美真紀



 かわいいなー。実に清々しい小品である。とある関西の通学バスなどのバスを舞台にした宇佐美真紀「春行きバス」は、高校生の恋愛を主に扱っている一話完結の連作である。
 まあしかし、これが初々しいことといったらないんである。初恋が多く描かれることもあり、少年少女の振る舞いにいちいちにやけてしまっている。おそらく主人公と同年代の読者の妄想を存分に満たしているだろう作品群のなかにあって、私が最初に引き込まれたのが2巻収載の「忘れ物を乗せて」である。
 律子が高校を卒業してから1年以上過ぎ、後輩のコータローから一報が入る。一年前に亡くなった親友のチヨの忘れ物がバスで見つかったというのである。律子とチヨは、放送部の仲間で毎日昼休みの校内放送をラジオのDJよろしく楽しんでいた。後輩のコータローも部に加わり、笑いの絶えない日々を過ごしていた。ところが、律子とチヨは卒業を目前にしたある日、ささいなことでケンカして仲違いしてしまう。卒業の3ヵ月後に事故死したチヨとは、結局そのまま口を聞くことも叶わず、律子にとってチヨの思い出は禁忌に等しかった。コータローが差し出したチヨの忘れ物は、最後の放送分の台本だった……
 恋愛要素が必ず入っているので、律子とコータローがいずれくっつくことは期待というより確定している感があるけれど、一方で話の中心となる律子(生きている者)とチヨ(死んでいる者)の和解がいかにして成立するのかというところに面白さがある。たとえば終盤でチヨの手紙やら日記やらで律子に対する言葉があったとか、そんな展開なんぞ望んではいない。律子がいかにしてチヨの思いをくみ取ることが出来るかという点が重要だ。コータローは二人の間を繋ぐ触媒みたいなもんである。
 チヨとの思い出を懐かしみつつも、罪悪感も付きまとってしまうだけに、律子の感情は複雑だ。忘れたいけど忘れたくないような心の動揺も、コータローからの台本を失くしてしまったという続報によって、忘れたくないという確信に至る。高校時代に利用したバスに乗って、律子は学校に駆けつけた。
 このあたりで、コータローの策略もおぼろげに浮かんではいるわけで、それでも死んだ者といかにしてわかり合えるのか、作劇の妙に目を向けると、チヨが残した台本に様々な感情を乗せている律子やコータローに出くわすのである。好きとか何とか言い合う直接的なやり取りよりも、チヨが台本に託したであろう心を読みとる行為そのものが、律子のチヨへの思いを物語る。もちろん、チヨの真意は不明である。だから、劇中で語られた律子の言葉が、どれだけチヨの心を読みとっているのかは誰にも判定できない。けれども読者は、ほんとにそれがチヨの気持ちだったのだろうか、という疑念をほとんど抱かないだろう。情報量の制御を働かせることで、読者を一種視野狭窄の世界に引きずりこんでいるからだ。
 台本を読んで溢れてくるチヨという人物の性格が、律子のモノローグと回想により余白なく描かれる(もともと間白も含めて余白がほとんどないくらいトーンやらなにやら描き込んであるネームで、コマ構成が錯綜している)。多層化されたコマにひとつひとつ描かれるのは、しかしチヨの姿ではない。三人が笑顔で写っている写真である。真ん中で笑っているチヨに律子は焦点を合わせていくと、涙とともに律子はチヨの思いを悟るのだ。ここ(2巻40・41頁)は見開きなんだが、モノローグも「チヨが」「チヨ……」しかない。ノンブルがわからないくらい断ちきりが多用され間白もないのに、さてしかし隙間があるように感じられるのは、おそらくモノローグの量によるものだろう。ただチヨの台本が浮かんでいる。律子と同じ視線でそれをじっと見つめる感覚が周囲の夾雑物を排していくと、背景はふわふわしたトーンとか、時間帯に合わせて夕方の薄暗さを醸したトーンとかで構成されていく。律子の感情そのものに集中させる装置がここに投入されているのである。次頁も見開きだが、ここで一気に律子のモノローグが溢れた。律子に同調した読者にとっては感動ものだろう、いやまあ私のことなんだが。
 でも、基本的にこの作品(というより、作者の資質なのかな。宇佐美作品は他に「サクラリズム」しか読んでないからよくわからん)は、合間合間に入る滑稽さに支えられている面もあろう。これに限った話ではないけど、照れ隠しのように挟まれるくだらない会話や他愛無いやり取りの傍でドキドキしている高校生たちってのがまたほのぼのとする。
 滑稽なほのぼのさと恋愛のドキドキ感を詰め込んだ3巻収載の「エモーショナル・エンジン」が、実は一番好きな話だったりする。恋愛巧者を称する見た目ギャルの女子高生・北園愛、かくしてその実態は恋愛未経験の恋愛超初心者という、なんだか聞き覚えのあるような無いような設定(個人的には木尾士目「陽炎日記」が思い出された)ではあるが、彼女は毎日利用する通学バスで出会う有名進学校のお坊ちゃまに夢中で、遠くから見ているだけで幸せ、目が合った日には、それだけで有頂天みたいな少女なのである。そんな彼女が突然その彼に話しかけられ、それがきっかけとなって交流を深めていくわけなんだが、この後どうすればいいのか悩む姿がまたいじらしく(我ながら気持ち悪いが)、にやにやが止まらない。
 この本を読んでいる姿は、誰にも見られたくないな。
(2007.3.5)
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