木尾士目「はしっこアンサンブル」1巻

始まりの歌

講談社 アフタヌーンKC



 そういえば木尾士目が今まで描いていた作品を振り返ると恋愛だったりオタク活動だったり子育てだったり、自分の人生を 切り取って作品にしていたような印象が大分強かった。この「はしっこアンサンブル」はひょっとしたら初めてのオリジナル作品なのかもしれないが、まあそれは思い過ごしかもしれず、本稿の主題とするところではないので本題に入ろう。
 本作は工業高校を舞台に合唱部を作ろうとする高校生たちを描いた青春物語である。主人公の機械科の藤吉は声変わりをきっかけに自分のあまりに低い声に自信を失い、人と喋ることにも憶するほどの引っ込み思案となり、人前で話す喋るということに関してひどく消極的なキャラクターである。それに対し、合唱部を作ろうと血気盛んな電子科の木村は、小さい頃から合唱部に所属した経緯を後に披歴しつつ、人前で歌うことをはばからず、一人で合唱部を作らんと様々な人々に声を掛けていく展開が、主人公の自分の声を何とかしたいという思いと並行して描かれていくことになる。一巻の段階ではまだ序盤の序盤に過ぎない印象で部員集めもまだまだ続き、1巻に出てきた何人かのキャラクターが合唱部に入部するしないというエピソードを2巻以降に繰り広げられることは容易に想像できよう。
 さてしかし、私は本作を読んで合唱を読む難しさとマンガを読む自由度の問題に直面している。漫画で音楽を表現する難しさは今更説明するまでもないし想像に難くないが、では合唱の場合はどうだろうというと、実際に合唱で歌われる歌が存在し、多くの人にとって聞き覚えのある旋律があるだろう。そうした歌詞の一部がコマの中に描かれた時、読者の脳裏にはその歌詞とともに旋律が流れることだろう。それはそのままそのコマを読む時間というものに成り代わり、そこにキャラクターが描かれているとすれば、その時間だけそのキャラクターがそこで何かしらの言動をしていたと言うことになりやしないか。
 本作では積極的に歌詞を作品の中に取り込んでいる。例えば、本作にとって重要なキーとなると思われるスキマスイッチの「奏」、その歌詞が引用される場面、歌い出し「改札前」の次のフレーズ「いつものざわめき〜うまく笑えずに君を見ていた」という歌詞が一つのコマに描かれている。歌声に聞き入る藤吉のこれから帰ろうとする姿を背後から描きながら、声が聞こえてくるだろう方向に視線を向ける。コマ・画面の奥には扉が開き、廊下を響いて聞こえてくる様子が想起できよう。どこかの教室にいる声の主を見詰めようとしつつ、藤吉の中学時代の回想がはじまるのだが、歌が歌われる時間が、このコマの中にはきっちりと存在している。どのくらいだろうか。
  1巻30頁
  1巻30頁
 歌を聴けば、その時間が約25秒であることがわかる。このコマで流れている時間そのものである。藤吉が中学校の合唱コンクールで歌った歌であることを思い出し、その歌のタイトルを脳裏に思い浮かべるシーンまでが後に3コマ描かれ、この歌詞の続きは次頁に繋がっている。実際の歌では、次の「君が大人になってく〜」というフレーズまでの間はほとんどない。よって、この25秒と言う時間は、このコマだけの時間ではなく、歌を聴き始めて曲名を思い出すまでの、このコマを含めた4コマにわたる時間ということが後に読者に理解される描かれ方になっている。中学時代の自分を思い出しながら、その歌詞がその後2ページにわたって描かれる。曲自体の時間が約5分であることを考えれば、主人公がここで感じている時間もやはり約5分であり、この曲を知っている読者にとっても、おそらくそれは変わらないだろう。
 もちろん、実際に描かれている歌詞はサビの前までであり、そう考えると藤吉が声の主である木村の声に聞き入る時間は、実際にはもっと短いだろう。主人公にとって苦い思い出である中学時代の回想はその後の歌詞が耳に入らないという演出とも捉えられる。「奏」の歌声が途切れ、さて帰ろうとすると、今度は違う調子の高音が聞こえてきた。カントリーロードだ。
  1巻37頁
  1巻37頁
 冒頭の歌詞のあと、「誰か入った……?」という呟きが入る。この間はどのくらいだろうか。この曲は冒頭の後に約20秒の間奏が入る。声に惹かれて教室を出た藤吉は、20秒掛けて移動したかどうかは定かではない。実際にはもっと短かっただろう。何しろ木村はアカペラで歌っているのだ。だとしたら、間奏は省略して次の歌詞を歌っている可能性も高いだろうが、引用した通り、冒頭の歌詞と次の歌詞の間には、明らかに間がある。また、木村に導かれてやってきた藤吉を認めた木村は、歌いながら彼に近づいていく。この歌の旋律から考えると藤吉と木村のやり取り、特に木村の動きは歌に合わせていると考えると、かなりゆっくりなのではないかとも思える。藤吉に向かって歌い続ける木村は、少しずつ距離を縮め、ついに向かい合う。歌い終わった木村は、大きなフキダシの中に小さな文字びっしりと埋められるほどの言葉を電子科ならではの説明でまくしたてる。
 歌詞と異なるのは説明するまでもないが、この彼の説明口調を「まくしたてる」と表現した私の感覚は、多くの読者も共有された感覚だろう。彼は早くしゃべっているのだ。興奮しながら。
 しゃべり言葉としてのフキダシと実際に旋律と言う時間が存在している歌詞の言葉には、マンガのコマの中を流れる時間が明確に異なっている。そして、これは歌詞だけに限った話ではない。
 後に藤吉が練習用に「奏」をスマホで聞いていたことを木村は知ると、木村と競うように部員集めを一人奮闘しながらも、なんだかんだ木村といつも行動を共にしている八田と藤吉にこの曲でしょと「奏」の合唱版を聞かせる。前奏を聞かせる小さなコマ。けれども、この曲、前奏だけで実に約30秒もあるのだ。
  1巻195頁
  1巻195頁
 30秒間がこの小さなコマに詰まっていると考えるべきか、否、そうではない。映像化した際には何かしらの小細工が必要とされるだろうこの場面も、マンガならばまったくもってその必要がないのだ。何故なら、時間を自在に操れるのがマンガの特性であるからだ。
 いくつかの例を見ながら、実際に移動した時間と曲の時間を測っても、そこには必ず実時間では推し量れないマンガの時間が存在している。それは読む速度であり、絵の密度やセリフなどの情報量であり、キャラクターを見詰める時間なのである。
 今後、この作品がどのように合唱場面を描いていくのか、とても興味深く見守っていきたいが、とりあえず連載が中途で終わらずに、げんしけん世界から解き放たれた木尾士目のマンガを読みたいものである。というわけで、このマンガにエールを送る意味で、この歌を捧げよう、緑黄色社会「始まりの歌」!!!


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