初雷

チクマ秀版社 坂口尚短編集 第4集「きずな」より

坂口尚


 代表作「石の花」の主題を継承した短編が「初雷」である。86頁2コマ目の言葉からそれとわかるだろう。人間性とか死生観とか文学らしい語り口になりがちな展開を抑え、作者の個性たる際立つ風景描写を交えながら、なぜ生きたかを命を賭けて問い続ける佳作である。
 荒廃した地球を見限って宇宙へ逃げ場を求めた人々が漂着した星もまた荒涼とした土地で、人々は残された食料を巡り殺し合いを始める、主人公は少女を連れて生き延びるべく戦い続ける男である。どこまでも荒れ果て、でこぼことした土地が地平線まで続き、風さえ感じられない。風の描写に巧みな作者が風のない景色を延々と書き続けているのだから驚いた。81頁4コマ目、見事に風がない。日本の風景は山によるところが大きいけれど、山さえないから、拠りどころがなくて不安になりそうな景色がずっと続く。点描になり得るものは人と乗り物と宇宙船くらい。乏しい材料の中でも、きっちり描くべきことは描くのだから、坂口尚の風景に対する感性には感動してしまう、上手いなー、ほんと。さっきのコマだけでも、手前に主人公、真ん中の立ち上る煙が彼の目的地であることがわかる、その先に陰をつけて大気の重層感とともに空と溶け合う地平線を描写。あっさりだが作者の筆感にふさわしい風景だ。こういうのが自然に読める、精確に描けばいいってもんじゃないんだよな、風景は。
 で、中盤から点描になるのが死体・白骨。これまた景色になっているからすごい。いや、実際終盤でほんとの風景に成長するのだが、気持ち悪さがほとんどないのである。長所でもあり短所でもあるけれど。どんなに気持ち悪いものを描いても描線がやわらかいから恐怖感がないのである。そして均一な描線。元アニメーターというのが影響しているのだろうか。人物の輪郭は大抵の場合、背景より太かったり、あるいは背景をぼかして描くが坂口尚はどれもきっちり描いてくる。だけど、構図がしっかりしているからどこに何があるかわかる。94頁3コマ目の寂寥感はどうだ。その後に居直る主人公の言葉が「石の花」の強制収用所の描写と重なり、「石の花」の読後感に満たされてしまう(つまり「石の花」を読んでこそ、この短編は生きてくるわけで、それがこの作品の短所といえるだろう)。
 95頁で骸をじっと見つめる少女が描かれる。後の展開から少女はすでにそれを察知していたことがわかり、主人公の虚無感・絶望感と対比させている、しかもほとんど言葉を使わずに少女の純粋性を読者に伝えてしまうのだから素晴らしい。この場面に至っては台詞なし。102頁の「発見」から、少女が見ていたものを思い出させ、殺し合いが終わって漸く少女のような心(あるいは生死に執着しない余裕ある生き方とでも言おうか)を得た主人公の遅すぎる「発見」が絶望を払拭する。もっと早く気付けば、ここまでの殺し合いに発展しなかったはずだ、という後悔もあろうし、殺しあわなければこれらの苗床は得られなかったわけであり、非常に矛盾した気持ちに陥ってしまう。短編ゆえに読者を考え込ませるほどの迫力は薄いのが残念で仕方ない。やっぱり「石の花」は必読だな。
 100頁は少女の指し出された右手が痛々しい。「顔は見れなかった」というより作者自身が描けなかったんじゃなかろうか、それくらい壮絶な場面である。淡々とした描線は変わらない。けれども誰にも想像できない少女の顔、描けなくて当然だ。100頁最後のコマで震える主人公の恐怖、影まで震えているような感じ。少女に「怖い」と言われ動揺した彼は思い出したように恐怖する。絶対生き延びると誓った彼に染み付いた恐ろしい内面の形相が一気に崩れた瞬間に、彼自身気付き慄然としたのか。作品中でもっとも印象深い場面である。
 106頁ラストシーンで読者は緑を得た風景を目の当たりにする。荒れ果てた大地を楽園に仕立てた人間は、人間自身を土台にしたのである。作品の主題とは別に、人間によって成長する風景を作者は知らず知らず描いていたのであろうか。坂口尚の作家性に「風」を指摘する人々がいることを考えれば、この作品の風景が荒涼地から楽園に発展したのも必然といえるかもしれない。そういう作家なのだ。ただしかし、最後の老夫婦に「石の花」のクリロとフィーを重ねてしまいそうな自分がいるんだよな……「石の花」の影響は大きすぎるよ。


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