「ハヤテのごとく!」10巻30・31頁

君はヒナギクが好きか

小学館 少年サンデーコミックス第10巻

畑健二郎



 「ハヤテのごとく!」は、三千院家の執事を務めるハヤテを主人公とした、多くのキャラクターが活劇する痛快執事バトルマンガである。連載当初こそ久米田康治の元アシという視点から語られることも多かった作品であり作者であったが、巻数を重ねるにつれて、作画の上達、緻密に張り巡らされた伏線など、読者個々にとっての楽しみが増え、作品だけでその魅力を語りつくせるほどになった。
 そんな「ハヤテ」が10巻に突入し早々、前巻からの続きであったヒナ祭り祭り編の山場を迎える。白皇学院の時計塔の最上階・生徒会室でハヤテを待つ生徒会長のヒナギクが、彼のあまりな遅参に激昂しながらも、ハヤテに導かれて臨んだ景色に本心を悟るという劇的な場面である。見開きで描かれた30・31頁は、ヒナギクの気持ちと同調し、感動的でさえあった。もちろん、この場面に至る道のりは容易でない。
 この作品には、鍵となる場面や設定が各キャラクターごとに設定されている。勘違いやくだらないオチなどのごまかし(作者の照れ隠し?)によって時々うやむやにされてしまうが、主人公を中心に、それらはいずれ作品の展開で様々な効果を挙げるに違いない。たとえばハヤテならば負け犬公園であり、貧乏なら12円であり、西沢姉弟なら一目惚れした場所であり……好きな人に初めて会った場所が、巡りめぐって物語の結末の場となる予感さえある。では、ハヤテとヒナギクが初めて顔を合わせた場所(4巻)を見てみよう。
 高所恐怖症であるヒナギクがなんの拍子か木に登ってしまう。そのせいであろうか、久米田マンガの影響をまだ脱し切れていない4巻当時においてメインヒロインの一角にやがて食い込むヒナギクが、初登場時から多段コマぶち抜き全身描かれて登場、という定番ではなく、目のアップから登場する。全身を描けば、すぐに彼女の間抜けな状況がわかってしまうからだろう。ヒナギクの生い立ちにも関わるこの場面において、彼女がハヤテを見下ろす、というのは、10巻を読み直せばあまりに意味深である(ちょっと考えすぎかもしれんけど)。そして、受け止めようとしたハヤテの顔面に飛び蹴り。後に西沢が同様に受け止めようとしたハヤテの顔面にマウンテンバイクで突っ込む場面(9巻)と相似していることは言うまでもない。
 ハヤテは生徒会室に案内され、そこで「すごい景色」を見ることになる(4巻72頁)が、それがどのような景色であるのかは判然としない。白皇学院のシンボルとも言える時計塔を遠めに、学院内の全景が大雑把に描かれているに過ぎない。本来ハヤテに見られる立場であるばすの景色からの視点によって、時計塔が眺められているという奇妙な構図なのである。確かに白皇学院のすごさというか広さは伝わるけども、画面の下に(院内の?)茂みが描かれていることから、この視点そのものが学院内に過ぎない。つまり、ハヤテは遠くまで見たのかさえもここでは曖昧にされているのである(もっとも、コメディなりギャクなりで重要なのはキャラクターのリアクションによるところが大きいので、そんな雄大な景色とか美麗な風景なんぞ必要としないってのもあるが)。
 久米田の影響としてのわかりやすい多段ぶち抜きキャラ絵は、巻を重ねるごとに減少していく。ハヤテ、ナギ、マリアという主要キャラクターに加え、伊澄、介護ロボ8、牧村、咲夜といった連載初期から登場するキャラクターも、そんな描かれ方をされている(あ、クラウスもあるし)。けれども、4巻から登場したヒナギクは10巻までにまだ一度もそのような登場場面は与えられていない。生徒会三人娘でさえあるというのに、ヒナギクもあってしかるべきだろう立ち絵がなく、常にコマの中に収められて描かれている(久米田の立ち絵も、もともとそんな深い意味があるわけではないだろうけど。というより、意味はないけどなんかカッコがつくから、という程度の理由かもしれないが、読者としては、あれはあれで読むテンポに影響あるんだよな……)。
 キャラの立ち絵は、久米田風を抜け出して作者自身の描きやすい形になっていくので、9巻の女装ハヤテやヒナ祭り祭りで熱唱するヒナギクの描かれ方が作者にとっての立ち絵なのだろう。久米田よりも四角四面なコマ割で進められるストーリーが急展開や山場を迎えるところで大ゴマを使って変化や劇的を煽る演出・日常と非日常の落差が、ストーリーに起伏をもたらしている、つまりギャグ的演出がストーリー的演出に移行しているという極めて自然な現象なんだけど、それがかえってヒナギクをコマ(ストーリーの中)に閉じ込める結果になっているのが面白い。この偶然は、彼女が本心を解放できないという苦悩にも通じており、それだけに10巻の見開きによる物理的な解放は感動的なのだ。
 10巻24頁で視点が茂みの中から時計塔を臨むという4巻72頁「すごい景色」に戻ると、それまでヒナギクに費やされたいくつもの引っかかり(伏線)が収斂しはじめる。寝待月をこれでもかと描いて月の輝きを主張させるのも忘れない(ちなみに、3月3日に月があの形に近くなる最近の年は2001年か2012年しかない)。木刀・正宗を持つと感情が高ぶるという効果まで加わり、ヒナギクは身の上話を始める。ヒナギクのモノローグとハヤテへのセリフによって、彼女の感情に読者の思いが寄せられていく……するとハヤテに見せた絶景がついに明かされた。ヒナギクに感情移入している者にとってはまさに格別な瞬間だ。この世界の広さが夜景によってきれいに見える点も素晴らしい。
 ハヤテは親との関わりと小さい頃からのバイト生活によって世界の広さも美しさも醜さも知っている。だから彼は4巻で遠くの景色を見ることによる感激よりも、近くの学院の生徒たちの雰囲気にこそ絶景を見る。借金を抱えた彼にとって、学生生活が目の前に展開されながらも遠くから見ることしか出来ない。4巻72頁の学院内の景色は、ハヤテにとって実はほんとうに「すごい景色」だったのである。曖昧ではなかったのだ。ハヤテの喜びをヒナギクの感動によって悟らせてくれたこの場面を私は忘れない。そして、この余韻をやっぱり高いところは苦手というヒナギクの描写によってオチを付けるのも忘れない作者に拍手喝采、アニメ化おめでとう!
(2007.4.16)
戻る