「ハックス!」

講談社 アフタヌーンKCより全4巻

今井哲也



 2010年5月31日に放送されたNHK「クローズアップ現代」は、水島新司「あぶさん」にも度々登場している画家・中島潔の特集だった。氏は、清水寺の襖絵46枚を4月に完成させる。番組は、氏が特に拘っていたイワシの群れの絵に焦点を絞り、氏のこれまでの人生を振り返りつつ、完成に至る過程を追っていた。金子みすずの詩「大漁」をモチーフにして5年かけて研究され続けたイワシの絵を見て、これは「ハックス!」に出てきた絵じゃないか、と思い至ったのである。
 「ハックス!」は高校一年の女子・みよしが、新歓で観たアニメに衝撃を受け、自らあんなアニメを作りたい!!という勢いのままにアニメ制作に没入し、それに巻き込まれていく周囲の人々を描いた青春マンガである。走り出したら止まらない主人公が、あっちこっちにぶつかりながら少しずつ成長し、文化祭でのアニメ上映に向けて盛り上がっていく山場は、圧巻ですらある。やや駆け足の感がある後半の展開だけれども、私は、彼女が作る仲間の輪に加わっていくさまざまなキャラクターに一人ずつ思いを馳せたものである。熱心にアニメ製作過程を説明する者、感化されて俺もやってみるかとペンを執る者、なんとなく現場に居続けながら不満を漏らして去ろうとする者、そして、彼女と一緒にアニメを作ってみたいと想いつつも、最初の一言が出ずに、ずるずると他の仲間の輪に意想外の展開によって関わっていく者、邪魔する者、共感する者、無邪気に戯れる仲間たち……
 私が特に気になったのは、不満たらたらだけど居続けた三山と、みよしを気にし続ける同級生の秦野だった。
 三山は、劇中のほとんどを嫌な奴として扱われる傾向があった。彼は熱心にアニメ制作に加わることもなく、ペンを奮うこともなく、なんとなくみよし達の横に居座り続けた。みよしを指導するアニメに詳しい児島が彼を疎ましく思うのも無理はないし、やがてみよし自身にとっても、三山という存在がどうでもよくなっていく。居ても居なくても変わらない。彼女はそこを気にかけ後悔するけれども、読者でさえ見捨ててもおかしくないくらい、徹底的にどうでもいい存在として立ち上がってくる。
 もともとアニメ研究部(以下「アニ研」)は部長の後藤が一人在籍しているだけで活動は何もしていない状況だった。そこにみよしと児島が入部し、廃部寸前のところをネット上にニコニコ動画を模した動画UPサイト(劇中で言うところの二○動)に自作アニメを投稿することで活動実績を積み上げ、文化祭に怒涛と突入していくわけだが、三山は部員ではなく、後藤とつるんでゲームをして遊んでいた他の部の者でしかなかった。長く閉ざされていた部室は生徒会長の興味本位(これが後に映研会長の暴挙に繋がっていくわけだが)も手伝ってこじ開けられ、三山は、後藤に付いていく形で、部室の中に入っていった。
 彼はゲームをよくしていた。みよしたちが来るまで、後藤とそうして放課後を過ごしていたのだろう。時間をもてあますキャラクターだった。現実的に想像すれば、彼は後にこの時間の使い方を激しく後悔するに違いないのだが、まあそれは置いといて、彼は、目を開けてみよしたちの会話に加わっていた。前髪に目が隠れて何を考えているのかわからない、そんなわかりやすい記号として描かれた三山だが、登場当初は、時々目が描かれていたのである。
 ところが、後藤がみよしの熱情に引きずり込まれていく。ゲームは一人でやるだけになり、教師に辞めろと注意されても、おそらく挌闘ゲームの類を彼はひたすらやり続けた。横で後藤や児島が熱心に手描きMADの話をしていても、耳を傾けるでもなく、彼はだるいような格好でコントローラーを持ち、隠された目をモニターに向け続けた。アニ研部員ではない彼にとって、アニメ制作は自分に関係のないこと、というスタンスを彼は頑迷に守り続けていたのである。それでも後藤やみよしに一緒にやろうと声を掛けられれば、仕方ねーなとばかりに制作に加わる態度は、読者にとってもわずらわしい存在になっていったことだろう。けれども、私はどこか彼に期待せずに居られなかった。彼の心さえ動かしてしまうみよしの感情が物語に織り込まれているのではないだろうか、と。だって、三山はキャラクターの一人として画面に描かれ続けているのだから。セリフも少なくなり、ほとんど傍観者というかその辺の石ころみたくなっていたとしても、彼は制作風景の中で小さくとも登場し続けていたのだから。
 後半に入ると、彼は主語を持って描かれ始める。「……」という何か言いたげなフキダシが彼の横にまとわり着くようになっていく。その多くは、張り切って前進し続けるみよしへの視線に付随していた。文化祭でアニメをやってみたいと後藤たちに明かした下校途中の雨の日、三山の読みきれない表情に焦点が当てられた。傘を差しながら、彼は明らかに不快感を表明していたのである。机の一つを陣取り、膝を立てて雑誌類を読む姿が1コマ抜かれるようになっていく。みんなの中の一人だった彼が異質な存在として、輪の中から弾かれようとしていた。そして、自ら「俺 もうできねーから やめたっ」と部室を去っていくのである。当然の成り行きだと冷静に状況を分析する児島に対し、みよしは動揺した。
 その頃、並行して描かれたのが、引っ込み思案の秦野が生徒会活動に成り行きで参加していく展開である。なんとなく断れなくて、なんとなく集まりに加わって、なんとなく自分の立ち位置を見つけていって……。彼女は、三山と同じような性質として出発していた(二○動をぼうっと眺めている場面が、ゲームをやり続けている三山と重なる)。内面がほとんど描かれない三山の代弁者とも言える彼女は、自分もみよしと同じように何かに熱中したい・出来れば自分もアニメ制作に加わりたいと思いつつも、ずるずると生徒会に自主参加し文化祭実行委員会の仲間に巻き込まれていった。そして、彼女はまたも成り行きで、文化祭の恒例となっている壁画の原画を担当することになったのである。
 イワシの大群だ。正直、すげー感動した。
 イワシは、一尾だけなら弱弱しい存在である。おそらく生きていけない、簡単に鮫の餌食になるだろう。だからこそ群れを作って外敵に対抗する。みんな一緒になって突き進んでいく。画家・中島潔は、「大漁」を描きながら番組の中で語った、「大きいイワシもいれば、小さい、弱いイワシもいる。結局、ちょっと恥ずかしいイワシもいれば、おおらかなイワシもいる。それぞれ生命を持って喜んだり悲しんだりして、それがみんな集まるから美しいんですよ」
 三山は児島と対立し、みよしにも見限られる形で完全に部から去っていった。受験対策で活動から退いた後藤の代わりにならんとしたのかどうかはわからないが、彼は彼なりの哲学で劇中の一キャラクターとして群れの中にいたのだ。そして、みよしは彼の存在を最後に思い出し、群れの中に引き入れる。最終回でようやく綴られた彼の内面、「何も出来ない俺がまるで ただみじめなバカみてーじゃねえかよ ふざけんなよ」、そう、三山はバカなんだよ、どうしようもないバカだ。そんなバカでみじめな存在であっても、一人では作ることの出来ないアニメに、群れの一人として、ちょっとでも関わることが出来たラストに、青春物語の美しさを感じた。
(2010.6.7)

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