「ふしぎの国の有栖川さん」4巻

出会ってから付き合うまでのあの感じ

集英社 マーガレットコミックス

オザキアキラ



 主人公の有栖川さんは恋に奥手というよりも、もっと何かこう違う言い方で形容すべき、人とのかかわり特に男性との関係性の構築に控えめな女性である。女子高に通う彼女には仲の良いクラスメイトがおり、可愛い容姿で成績も悪いわけでない。ただ、おじいちゃん子で落語鑑賞が趣味とくれば、落語好きの方々にとってはちょっとイラッとするような設定かもしれないが、門限を律儀に守ることを何の疑問に思わない、古式ゆかしきといえば聞こえはいいが、ようは男女交際に免疫が全くないどころか、異性と付き合うって何でしょうか?と、まるで結婚するまで相手の顔を知らなくても当たり前みたいな武家の結婚を信じて本気で言いそうなキャラクターである。そんな彼女がクラスメイトに半ば騙されるようにして連れ出された合コンで、ある男性と出会って恋に落ちるというのは、実にわかりやすくドラマチックであるのだが、この物語の面白さは、いずれ訪れるわかりきった展開への期待感よりも、有栖川さんの周囲をにぎやかす脇のキャラクターたちの楽しさである。わちゃわちゃと一緒になって彼女を恋に煽る姿は、そのまんま読者との思いに共鳴し、私までも有栖川さんの言動にトキめいてしまうのである。
 有栖川さんと仲良くなる男性・野宮は誰もがイケメンと認める超絶にかっこいい男子である。男子校に通うために彼の周りもまた彼女を求めるキャラクターでいっぱいだ。野宮の親友として登場する菅谷がその代表である。一方の有栖川さんには、夏子というご近所のクラスメイトがなにかと彼氏を欲張れと世話を焼き、有栖川さんを恋愛に煽る中心的なキャラクターだ。演劇部で男役を演じたことがきっかけで学校中の女性からモテモテの花森さんが、女性でなく男性にもてたい、彼氏欲しいよ彼氏欲しいと登場すると、野宮のかっこよさに惚れこむも有栖川さんの、まだ嫉妬という感情を知らない態度を察して、これまた有栖川さんを夏子と共にニヤニヤ見守る立場にさっさと翻るのである。
 物語序盤から、出会った二人は特に反発もせず、野宮の過去になにやら女性にかかわる何かがあったらしいことをちょっと仄めかしつつも、もちろん、それは後々の展開にとってサスペンスチックな味付けになるのだけども、あまりにも仲良く、互いに自分の気持ちに気付いていないような……少なくとも有栖川さんはモノローグによって、恋愛という感情を知らないが故に、その言葉を用いずに己の気持ちをなんとか説明し自分を納得させようと必死に思案する姿が、読者をもニヤニヤさせるのである。お前らサッサと付き合っちまえよ、という突っ込みを毎回してしまうほどに二人はイチャイチャしながら距離を縮め、いい加減その気持ちを恋っていうんだよっと語りかけてしまうほどに、有栖川さんには、じれったさという距離感が常に付きまとっている。
 そんなニヤニヤポイントと読者の突っ込み待ち満載の物語が、単に有栖川さんを漠然と描いているわけではなく、意図をもって演出されていることが象徴的に描かれたのが、4巻の誕生日プレゼントの回である。野宮の誕生日はクリスマスと同じ日ということもあり、皆で計画したクリスマスパーティーは必然、野宮の誕生日パーティーにもなった。電車内でおじいさんの腰巻を編んでいた有栖川さんの隣に不意に現れる野宮……、この作品では、有栖川さんが物思いにふけって周囲に目配せが足りない状況下、目の前に野宮が唐突に現れて彼女を驚かすという場面がしばしば描かれるのだが、彼女はいつも自分の気持ちの自己解説を試みては野宮のことばかり考えている羽目になってしまう恋愛脳を自覚できず、ここでもまた読者の突っ込みを受けつつ、同時に野宮の登場で野宮にも突っ込まれたような錯覚を与えよう。しかも「何を作ってるの?」という無粋なことを、このイケメンはいきなり聞かない。ここが素晴らしい。「どんどん転がってきちゃってるけど」と毛糸玉を手にしながら、彼女が物思いに耽っているさまと併せて、自分の登場にユーモアを交えつつ表現するセリフを何気なく仕込むのである。そして、彼女が慌てふためいて編み物の紐がこんがらがって滑稽な姿になったところで、冷静に「何をつくってたの?」と絡まった紐を取ろうと手を伸ばしつつ尋ねるのである。

 3巻では文化祭で頬にキスされ、その後、居眠りしていた野宮に思いがけずキスしてしまった有栖川さん。二人の距離はかなり縮まっているのだけれども、積極的に相手に近づこうとすることに関して、二人とも実に慎重なのである。そもそも野宮の女性慣れした対話をたびたび目撃している有栖川さんは、自分に対しても社交辞令だろうと言い聞かせる場面が何度もあったが、それが徐々に崩れ、自分に対してだけの優しさや笑顔、有栖川さんが言うところの「とくべつ」な友達関係を認め合った段階だ。まだ、いきなり真横に身体を押し付けあうほどではない。
 上の引用図のように、横並びからの距離感演出が抜群なのである。近づいているようで近づかないし、近づきたいけどちょっと離れる。4巻では、さらに関係が進むのだが、遠慮がちな距離感は、次の図がぴったりと当てはまる。

 この物語のすべてと言っても過言ではない、絶妙さだ。互いの気持ちをおおよそ察していながらも、ひょっとしたら違うかも・独りよがりかも、という不安が今一歩踏み込めない一因で、特に有栖川さんはモノローグで事細かに解説してくれるから、その言動から演出される仕草や野宮への態度もまたニヤニヤポイントなのだが、先の図より身体は近づいているけれども、まだそことなく自分だけの気持ちを押し付けることを横柄と考え、また電車内という公共の場も弁えての自然な間である。恋人同士ではない男女の距離感に戸惑いつつ、互いに相手を思いやる気持ちが、少し捻った身体に表現されていよう。特に有栖川さんが思い溢れて捻っているようでひねりきれていない、ほぼ正面を向いた身体を、単に膝を外側に向けるだけで少し離したように見せる。彼女の抑えられない気持ちが、頭、身体から膝下から足の角度に至るまでの、全てに詰まっている。全身で野宮への感情を表現した、素晴らしいポーズなのだ。
 一方の野宮はモノローグがほとんどないため、実際に何を考えて有栖川さんと接しているのか、本当のホントのところが読者にも断言できない、有栖川さんと同じ不安を抱えて読むことになる。さっさと告れよとばかりに迫る菅谷との対話でも、意味深なことを語ったり菅谷に突っ込まれたりするものの、肝心な心のうちは「……」というセリフでごまかされてしまうのだ。けれどもこの図では、身体をやや外に向けて距離を取りつつ、顔はしっかりと彼女に向け、見詰めあい、左足だけが想いを止められずにいる、抑制された想いが表現されている。
 1巻の頃と比べると、この距離の取り方が明白である。恋心がなかった当初は、そういった距離感への配慮はほとんどなく、いきなり隣に座ったり、電車内で手を取って危ないと引き寄せたり居眠りを黙って見守ったりと、野宮は、おそらく他の女性に対して、いつもやっている自然なイケメン言動をしているだけだし、有栖川さんにしても、野宮との距離感は赤の他人と同様で、近付かれたことを意識すれば、恥ずかしさや不安を感じてさっと離れてしまう。
1巻の頃
 1巻の頃の二人の距離感である。顔は相手の目線に合わせず、近づくそぶりも近づきたい想いもまったく見えない野宮と、微妙に嫌なそぶりを見せる身体の向きと無遠慮な足の置き所が、野宮に興味がありつつ不安のほうがまだ大きい有栖川さんを演出している。
 さてしかし、前述したとおり、野宮の女慣れ感は物語の当初から準備されていた。すぐに身を引いたとはいえ、花森さんも彼の優しい女性の扱い方にあっという間に惚れてしまうし、親友の菅谷たちは、野宮の存在自体が女の子を引き寄せ、接すればたちまち恋に落ちてしまう現場をたくさん目の当たりにしては、狙っていた女の子から相手にされない過去が想像できる。4巻は、そんな波乱含みで終わるわけだが、その一端を描くキャラクターが登場した。
 いよいよ告白をしようと決意しつつある有栖川さんの前に、野宮が中学時代に付き合っていたらしい女性が現れるのである……
 兄弟の存在を明かしながらほぼ登場させず、料理上手な面からおそらく親に代わって食事の世話もしてそうな一面を想起させつつも、野宮には何かと謎が多い。プライベートをほとんど描かずに有栖川さんの一方的な想いと、その気持ちが届いたり届かなかったりにヤキモキする、二人でいることが当たり前になってはいるんだけれども、まだ「とくべつ」なままでいたい。いずれ二人が付き合い始める展開も用意されてはいるだろうが、今はまだ、この付き合う直前の状態が延々に描かれる物語の幸福感を味わっていたい。というわけで、この作品には、まさにこの曲が相応しい!! SHE IS SUMMER「出会ってから付き合うまでのあの感じ」!!!

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