「生きるススメ」

戸田誠二個人サイトコンプレックス・プール 宙(あおぞら)出版

戸田誠二



 「生きるススメ」は戸田氏がこれまで自分のサイトで発表していたマンガを出版社に目をつけられ単行本としてまとめられた、日常と真摯に向き合い続ける小品の大成である。何気ない疑問や発見に傷つき、悩み、成長する少年少女たちの姿や、日々の平凡さの中にある小さな幸せ・不幸に笑ったり泣いたりする大人たちの生き方を、丁寧な筆遣いと誠実な言葉遣いで描写した平凡過ぎるほど平凡で、だが決して無視できない平凡さに満ち溢れた短編群の中で、ひと際虹彩を放つ作品が、「小さな死」「2009年の決断」「花」の三本である。
 戸田氏の作品の主題は、「生きるススメ」巻末の「ラスト・ムービー」が象徴している。いや、ほんとに絵は平凡なんである。読めばおそらく何人かの漫画家の名前を列挙できるだろうくらいの影響を受けた絵である、構成も際立っているわけではない。ただ、普通の言葉を普通に、日々の挨拶のように積み重ねているだけで、人生の一端が克明に描写される(平凡さを決定的にしている点がweb作品故のこじんまり感だろう、見開きを意識したコマ運びはもちろん構成も演出も出来難い。一頁ずつ丁寧にわかりやすく描かれる。だからこそ、とてもやさしい思いが作品を包んでいる)。またモノローグの多用が一段と平凡さを煽っている。これら作品群の大きな弱点がそれなのである、さてしかし、長短30の作品がひとつにまとめられると、平凡さが薄れていくだから侮れないし面白い。
 「ラスト・ムービー」は死を目前にした男が自分の人生の記録映画を見る、という作品である。ラストシーンこそ安易なものの、それまでの普通の男の普通の人生が普通に語られることによって、自分の人生の半分が他人のものであることに気付き、人生そのものの意味が問われてくるという苛酷な内容である(もちろん筆致は極めておとなしいままだが)。戸田氏の作品のもうひとつの弱点が物語の既視感にあるだろう、それだけ誰もが一度は感じるだろう経験するだろう出来事が淡々と綴られているわけで、その忠実ぶりは素晴らしい。この作品からも読者によっていろいろな過去の物語を思い出すだろう、私の場合は是枝裕和「ワンダフルライフ」(自分の人生の中で最も印象深い一瞬・楽しかったり幸せだったりした瞬間をあの世の入り口で映画にする人たちの姿と映画にされる人たちを描いている映画)や、イ・チャンドン「ペパーミントキャンディー」(自殺直前の男の半生を時間をさかのぼって描いた映画)が思い出された(どっちも個人的名作でおすすめです、暇なら観てね)。  私に指摘されるまでもなく作者自身が強く感じているだろう弱点をもっとも色濃く描いた短編が「花」である。不治の病の人々と付き合うことで実感されていく死を描いた「小さな死」、人生最大の決断が他人の死を受け入れることになる「2009年の決断」、そして「花」、死を主題に綴られたこの三本が続けざまに掲載されているのだから、すっかりやられてしまった。つまり「花」には感動したのだ。
 物語としては手塚治虫「ブラック・ジャック」の一挿話「しめくくり」を思い出した。人気小説家が余命いくばくもないところまで自らを追い込んでライフワークとなった長編小説の最終話を書く、という話だが、「花」はある漫画家の最後の作品にアシスタントとして付き添った女性・タカコの話である。脱サラして漫画家を目指す彼女は、漫画家になりきれない何かを自覚しながらも何かがわからずに悩み続けていた。そんな時にアシとして師として尊敬していた漫画家が余命半年であると告白し、連載を中断して最後の作品の執筆を始める。幾人かのアシの中から彼女だけが最後のアシスタントに指名され看病をかねた作業が始まった。闘病と執筆の苦悶の中で壮絶な作品を描き続ける師の姿に彼女は圧倒されながらも自分の本分を全うせんと尽くす。やがて訪れる死、そして。  まいった。題名の由来となる花は、創作に悩む彼女にある日師が与える植木である。育ちはするけど一向に咲く気配のない花。この植物の使いっぷりが素晴らしいのだ。何故咲かないのか、という問いが己の人生への問い・漫画家になるに何が足りないのか、という彼女の思いと直結するわかりやすさ、そして読者をして忘れてしまう植物の存在、いやうかつにも本当に忘れていた。主人公のように遺作に没入する作家の気迫に注目してしまった。だから不意を突かれてしまった。この本は忘れられない一冊になりそうなほどの衝撃だった。
 絵柄同様に地味な物語である。地味だから、ちょっとしたことに動揺したり羞恥したり悟ったりする姿だけで劇的な展開を呼ぶ。格別な設定もいらない、ただ花が咲いた、これだけでもって「花」は佳品になった。私にとっては「花」だった、だが他の人が読めば他の作品が一番だろう。けれどもどれがどれだけ優れているとか劣っているという相対評価は意味がない、「生きるススメ」とい本全体が持っている力が作品一つ一つの力となり感動となっているのだ。

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