知るかバカうどん「君に愛されて痛かった」1巻

喜劇のはじまり

新潮社 BUNCH COMICS



 高校生・かなえの承認欲求と精神的に不安定で満ち足りない日々を、暴力やセックス、苛烈ないじめ描写という目につきやすい展開で訴えながら、かなえは如何にしてそのような結末を迎えるのかを描く物語である。
 実に分かりやすいキャラクター設定だ。冒頭から「居場所」という副題や「友達」という言葉に感激する主人公を描きながら、彼女たちのグループの力関係を仄めかしつつ、かなえが何に怯え何を恐れているのかが、きわめて明瞭に描写される。中学時代のいじめ描写に至っては、記号的とも言える机の落書きや給食時の侮蔑に牛乳を頭からぶっかけるという陰惨な光景を簡潔に描き、一目でかなえの人格形成の一端が読者に理解される。場面が変わってカラオケボックスでは読者の予想を裏切らない範囲でかなえの作り笑いや周囲に合わせようと必死に自分を押し殺しながら、自分が如何に場違いな存在なのかを卑下してもしたりないくらい卑下し、そこに優しく手を差し伸べるヒーローの寛が颯爽と現れる。
 このような書き方をすれば、かなえがいずれ彼に支えられながら困難を克服していく道程を丹念に描くような気がしないでもない。だが、読者をそのような気分にさせない、正確には私をそんなのんびりとした気分にさせない冒頭が、この物語の根幹とも言える描写である。彼がかなえを刺殺する、という結末である。結末と言うには早計だろうが、ここに至る過程を読者は注視することになる。
 そのため、かなえが被害妄想が昂じて精神的には分裂気味に幻聴が聞こえる場面や、知らない相手とセックスをするときにだけ感じ入る、求められる・必要とされるという承認欲求が一瞬満たされる場面が描かれても、彼女を常に客観視する余裕が読者に生まれる。この場に寛が登場せずとも、彼とかなえの関係性がどのように変化していくのか、両者の感情を汲み取ろうともするだろう。1巻の段階では、二人ともお互いに愛情とも言えるような感情は、かなえに芽生えたかもしれない程度で、寛に関しては同情はあっても恋愛的な意識はそれほど感じられないものの、いずれ寛のモノローグによって彼の感情も描かれるかもしれない。
 いずれにせよ、序盤はまず、かなえの人格を丁寧に掘り起こしながら、破綻した性格の歪みっぷりや下品さを前面に押し出し、どれほどの人間なのかということを、彼女の友達や家族、幼馴染と思われる鳴海という男友達との繋がらなどから浮き彫りにしていく。安直な性格破綻をセックス場面と同様の手法で執拗に描き、同時に周囲のキャラクターの歪さも明け透けに、そのまんま描く作風は、個人的にやや煩いなぁと思うことがある。
 たとえば、1話で中年オヤジとセックスをする場面では、かなえとのキスや愛撫などの描写で、こすれ合う擬音や息遣いが画面を埋めるように描かれる。カラオケボックスの方がよっぽど騒音でいっぱいだろうに、静かな室内に響き渡るような擬音が耳を突くように、細かく念入りに描写される(あまり読んだことはないが、読者を性的に煽るような擬音などは、作者の慣れ親しんだエロ漫画の表現手法と言っていいだろう)。「こう言ったら いいんでしょ」「こうしたら 興奮するんでしょ」「こう言ったら喜んで くれるんでしょ?」というモノローグは、それら擬音をたちまち虚構化してしまう。まるで読者に対して、こういう描写をしたら嬉しいんでしょ? こういう展開なら心の闇とか言って深読みしてくれるんでしょ? と挑発しているような錯覚さえ感じる。いや、錯覚ではないだろう。かなえというキャラクターは、私たちが潜在的に抱えている暴力への快楽を起動させるスイッチを抱えている。私たちは、いつでも押せるスイッチに指を置いたまま、ひたすら堕ちていくキャラクターたちに自らの暴力性を発動する・発動させられてしまう場面を、彼女たちと自分は違うと思いながらも、どこかで心待ちにしているのだ(もっとも、かなえに共感してしまう読者も少なからずいるだろうし、そういった読者は、すぐにでもかなえの暴力的快楽に同調し、知らずスイッチを押しまくっているだろう)。
 1巻では、寛に思いを寄せていた一花が、寛とかなえが抱き合っている(実際には自我が崩壊してゲロったかなえを寛が介抱している)状況に出くわし、裏切られたと都合のいい正義で事態を解釈し、友達の力関係を利用しながら、かなえをあっという間にグループから弾き出してしまう。
 中学時代のいじめ経験から、今回も自分を閉じたかなえは、頼みの援助交際による承認欲求もうまく果たせず、鳴海の先輩関係を利用し、一花を強姦をさせるようにと、これまで援助交際で貯めた金で釣る。1巻の一花は、グループ外の関係に冷酷な一面を見せつつ、自己の不利益に敏感に反応し、乙女チックな恋愛に憧れる金持ちのお嬢様のわがままっぷりを描き、かなえとの家庭環境の差をまざまざと見せつけることで、かなえの復讐にそれなりに同情されるような展開ではある。けれども忘れてはならないのは、かなえも一花も同類であり、可愛らしい面と残酷な面の両方をその内に抱ているということである。
 寛との交際を疑われたかなえは、読者にも誤解であり一花の一方的な思い込みであることが知らされているものの、これから発動される彼女の暴力性もまた非難される行為だろう。もっとも、物語のキャラクターに倫理を求めても致し方ないのだけれども、彼女たちの犯罪は、各キャラクターの不幸という物語的に良い意味でのご都合展開によって読者の留飲を下げることだろう。
 しかしながら、これらキャラクターの狂気、およそ共感しがたい言動をリアルなものとして支えているのが、写真から起こしたと思われる緻密な背景描写も無視できないけれども、それよりも一層重要な点が、各キャラクターたちの精緻な衣服の描写である。
 かなえの場合、1巻32頁、駅で中年オヤジとの待ち合わせに現れた彼女の姿が象徴的である。制服の上着の皺が大きな胸からお腹にかけて、引っ張られるように左右に伸びている様子がしっかりと描かれている。身体にぴったりかやや小さめの服だとわかる。短いスカートから現れる太もも、やや上気したような顔も、これから始まる展開に対する準備として十分な描写だろう。事が終わってホテルから出た二人の後ろ姿、かなえの風になびく髪の毛と、少しはためくスカート。妙な寂しさが背景から醸し出され、自然、かなえの手を繋ぎたいという甘えたセリフにつながる。
 キャラクターの表情だけではなく、服装の微妙な揺れや動きに、感情表現の一端を担わせることで、時にそれが、顔よりも説得力を持った迫力として描かれるのである。
 1巻79頁では、かなえと寛が付き合っていると疑った一花が激高し立ち上がった場面である。一花のスカートが、その怒りの様子を表している。おそらく実際にそのような形状にスカートはなるのだろうが、立ち上がった反動によって太ももに貼り付いて股の間に少し巻き込まれたスカートが、一見平静な一花の表情とは裏腹に、動揺しているかのような印象を与えようか。あるいは、かなえに近づこうとした刹那、彼女が思いの外はっきりとそんな事実はないと否定する言葉に気圧されたのか。個々の印象は異なるだろうが、この一花の動きにとってのスカートの描写は、胸を強調して描かれたかなえと対照的で、彼女の色気の描写として何に重きが置かれているのかを端的に表現している。
 胸を執拗になぶられるかなえのセックス場面と、服をはぎ取られて見知らぬ男に太ももを撫でられつつ股に手を入れられそうになる一花の場面。二人のキャラクターの相違が、着衣のどこを強調して描くかによって、偶然か意図的か確かめようもないけれども、表現されているのである。81頁で寛に会う一花のスカートもまた、胸よりも股を意識させるスカートの描写であり、付き添ったかなえは、胸を隠すように手前にカバンを持ち、表情もさえず色気がない。
 今後も登場するキャラクターがどのような衣服を着て、どう描かれているのか。筋肉質な身体を披露していた寛の簡素な姿も冒頭では、ずいぶんと髪を伸ばし、身体も幾分痩せているように思える。キャラクターの身体性と精神の描写は、どう折り合って変化していくのか。そして、物語がどのように転がっていくかは、結末以外予想できないが、女性の美醜に対する極端な描き分けや、セックス場面と同様に画面を覆いつくすかなえの破綻したモノローグ場面の言葉の数々、特に「父親そっくり」という意味深な文字など、キャラクターたちがどのような不幸に見舞われるのか、滑稽にさえ感じられるキャラクターの精神崩壊が楽しみでしかたない。私にとって本作は喜劇であり、暴力性の快楽のスイッチは、とっくに押されている。

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