人の涙は黒髪ロングに還る 岩明均「寄生獣」

岩明均「寄生獣」

講談社 アフタヌーンKC 全10巻

岩明均




 言わずと知れた傑作であり読み継がれる名作、岩明均「寄生獣」を改めて読み返すと、この作品が女性の黒髪に大きな意味を与えていたことに気付かされる(ホントかよ)。
 この作品の二大ヒロインと言えば、ひとりが主人公の新一のガールフレンドであるショートカットの里美であるのは論を待たない。そもそもヒロインなんているのかよ、という声を無視してもう一人を挙げるとすれば、他ならぬ田村玲子(あるいは田宮良子。ここでは田村と呼称する)である。
 田村は寄生獣・劇中で言うところのパラサイトであり、外見は女性であるが頭は寄生生物である。人間よりはるかに生命力の強い細胞を礎に、そして誰よりも強い好奇心から、田村は昆虫さながらの本能で行動するパラサイトでありながら、自分たちの存在意義を問い詰めた。
 さらに自分自身にも好機の目を向け、実験台のように子を宿し、人間を育てようと企む。およそ計画性とは無縁な、傍から見れば単細胞でリスクを無視した行動原理による妊娠であったが、それでもなお田村は島田や倉森といった者どもを使って執拗とも言えるほどに、新一を観察しつづけた。その姿勢はいささかの楽観を含みつつも、さまざまな形で物語に介入した。
 それは時に暴走して新一の通う高校で大量殺人が発生する事態にまで発展するものの、新一の成長は田村の好奇心をただ刺激するだけでしかなかった。
 何故、田村は新一にそこまで拘り続けたのだろう。もちろん劇中で田村自身が説明する場面もあるけれども、感情に乏しく合理的な判断によって人間を殺戮する生物としては、やはり新一という存在はパラサイトの敵として十分に認識し得る。彼が偶然によって右手でパラサイトと共生することになった経緯、死の淵から蘇った際に得たパラサイト的能力、また短期間で経験した多くの死は彼の人間としての感情を刺激しつづけた。本来であれば、それら彼だけが知り得た真実は誰かしらに打ち明けられ、また協力者や理解者を得るという形で、彼に安堵の場を与えたに違いないし、その役割は里美であってもおかしくはなかった。だが物語は、田村同様に安息を与えることなく緊張を強いて新一を追い詰める。何故我々(人間あるいはパラサイト)は存在しているのか? たった一つの答えを求めて、物語は多くの死を捉えた。
 中でも印象深く、そしてこの作品の主題に大きく寄り添うことになる物語の分岐点が、新一の母の死である。
 新一の母・信子は、長い黒髪を後ろで束ねた俗に言うポニーテールである。彼女が熱せられた油の入った器を思わず素手で掴みとる、幼少期の新一を描いた挿話が、彼女の母親としての象徴として描かれ、右手に火傷の跡と刻印された時も、彼女は同じ髪型だった。
 本作に登場する主要な女性キャラクターでポニーテールの髪型は新一の母だけであり、ポニーテールは本作における母親的位置づけと捉えられるというのは冗談だが、長い髪を垂らしたままでいる他の黒髪ロングキャラに対し、彼女はほとんど記号的とも言えるスタイルで、後ろで髪を結んだ姿で描かれた。
 BSマンガ夜話の「寄生獣」の回で、夏目房之介は岩明均の絵についてこう語った。「マンガの記号の絵がこの人は実は苦手なんじゃないかなと思わせるところがあって(後略。パラサイトである三木の「わざとらしい表情」を例に。また、加奈と里美の足の太さについて語る)」
 女性キャラクターの描写全般に言えることだが、類型的な描写に留まっている。母親の髪型は、おそらくその方が家事などをしやすいからという理由だけかもしれない。というのも、他の母親の描かれ方は短髪なのだ。おばさん、と言われて一般的に想起し得る範囲内の描写でしかない。
 この記号的なマンガ絵が描けないというのは、この後の作者の作品も含めて、極めて無機質な表情を持つキャラクター達を生み出し、コマの構成や魅せ方により、無表情なキャラクターたちに様々な感情を含ませている・読者に読ませている源泉に他ならない。特に本作では、感情表現に乏しいパラサイトたちが次第に感情を得ていく様子と、次第に表情を描けるようになっていく作者自身の記号的マンガの描写力の進歩と合致した、奇跡的な作品とも言えるのである。
 さて、母親が短髪にする代わりに髪を結んでいた例として、もう一人挙げよう。探偵の倉森の妻である。登場回数こそ少ないものの、仕事帰りと思われた直後の描写で彼女は髪を束ねていたが、家で倉森とくつろいでいる場面では、髪をおろして黒髪ロングとなるのである。
 この変化を見たとき、いつなん時でも髪を束ねていた信子の異質さが意識されるだろう。信子が母親像として固定されたキャラクターで描かれていたことも想像できる。新一の前で、信子はひたすら母親であり続けたわけである。
 しかし、信子がついに黒髪ロングとなって登場する物語の山場とも言える場面が訪れた。人間の子を産んだパラサイト・田村の死である。  田村は死の直前に新一の自宅に侵入してアルバムの写真を見ていた。幼児の新一を抱く信子は、やっと肩に届いた程度の長さの黒髪である。束ねているようにも見えるが、ポニーテールではない、実際にそのくらいの長さだったのだろう。ロングとなってからも倉森の妻のように、信子にも髪をおろして夫と談話することがあっても不思議ではない(夫と旅行中の信子も終始髪を後ろで結び続けており、新一の母親という物語的に固定された役割から離れることはなかった)。
 結果から言えば、田村は赤ん坊を攫った倉森を殺したことでパラサイトを追う刑事に発見され、銃殺される。同じく田村を追っていた新一は、銃弾を浴び続ける田村を用心して警戒するものの、逃げようと思えば逃げられるのに逃げない田村の行動に理解できずにいたが、それが死を覚悟したものであったことを漸く悟った。田村は、母親の気持ちを最後に理解したかったのではないか。信子の顔に変形した田村は、神々しいほどの描写を施されて新一の前に立った。血だらけであることさえ神秘的な雰囲気が漂う真っ白な服で、信子と新一が見つめ合うのである。
 思えば、彼女は信子亡き後の新一にとって、常に試練を与え続けた母親のような存在だった。観察と言う体で陰から見守り続ける、パラサイトと人間の中間的存在としての生き方をともに模索する家族のようでもあった。彼女は、赤ん坊を新一に託すことで、実際に家族になろうとし、それを欲してもいただろう(里美が新一を想う気持ちを彼女は「うらやましい」と呟いていた)。何があっても身を挺して・利他的に行動する存在としての母と子の関係を通過点として、人間(信子)と人間(新一)の信頼関係を擬似的に体験し、死を持って説明してみせた彼女の満足気な表情に、新一は涙を回復するのである。その涙は、母の死に対するものでもあれば、田村という一人の「人間」の死に対するものでもあったことは言うまでもない。
 同時にそれは、田村にとっての回復でもあった。
 単行本の表紙に描かれる田村の髪の毛の色は紫がかっている。パラサイトである以上、紫色というのは実際にそう見えるのではなく、あくまで髪の毛もパラサイトの一部であることを示唆する表現として捉えられるはずだろう。あるいは実際に紫色だったとしても、信子への変形により、彼女は人間としての黒髪ロングを得るのである。
 彼女の長く伸びた髪は赤ん坊を守るために。彼女の黒く艶やかにおろされた髪は新一のため。黒髪ロングが名作の山場でこれほど輝いていたことを忘れてはならない。
(2013.09.09)

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