「神戸在住」再読

講談社 アフタヌーンKC 全10巻

木村紺



 神戸市に住む美術大生・辰木桂の日常を描いた物語「神戸在住」の連載が始まったのは、1998年だった。力のない線、決して上手いとは言えない絵の中で、ぽつぽつと挟まれる彼女のモノローグが、どこかエッセイ風であり、私にとってとても魅力的だった。当時、まだ「神戸」という言葉には特別な意味が込められていたように思う背景の中、日常風景で次々と彼女の仲間が紹介されていく淡々とした第一話にあって、突然、彼女の友人・タカ美が戦慄して桂の腕にしがみついた。
 読者がそれぞれに思いを抱くあのときの光景・テレビ中継から伝えられる崩れ倒れたビル群や激しい火災、あるいは実際に体験した人々の記憶が想起された瞬間だった。時間が経っても、体験した恐怖は消えないわけである。「神戸」という言葉には、それほどまでに名状しがたい感情を喚起させたのである。
 第二話では、仮設住宅に住む桂の友人・和歌子が登場し、まだ復興は終わっていないことが、激して訴えず、細い線で淡々とした調子で描かれた。和歌子の彼氏の林浩(リンハオ)が登場すると、物語は私がうっすらと感じていたあの時の曖昧な感覚(それは時にテレビゲーム・シムシティのようだった、と形容されただろう。あるいはCGで再現された架空の世界を描く映画の一場面か。現実感のなさを、フィクションのようだと喩えることしか出来なかったし、それは今も変わらない)をやがてぶちのめしてしまうわけだが、そうした物語を予感させる一方で、桂にとってかけがえのない存在となる車椅子の画家・日和洋二も初期に登場していた。
 和歌子や林浩が体験した物語と、タカ美や日和洋二との交流の物語が、作品の方向性を二つ捉えたままに作品は進行した。だが、連載は月刊誌である。一年経てば、あの時の記憶を今よりも薄れているだろうし、「神戸」という言葉の意味も、変化していくだろう。物語は、そんな記憶が薄れる前に、ひとつの確かな「あの時何が起きたのか」を私の脳裏に刻んだのである。
 過去の感想文でも書いたけれども、和歌子と林浩の体験を描いた二つの当時の物語(和歌子編が1巻、林浩編が3巻)は、被災者として状況に翻弄される和歌子と、同じ被災者でありつつもボランティアに奔走する林浩を対照させた。避難先で偶然出会った二人が、やがて再会して付き合い婚約することが必然であったかのような錯覚が物語の中には仕込まれているけれども、その出会い・わずかなすれ違いが、ある人にとっては人生の道すら変えるかもしれない言葉なのだと、強く思わされた挿話である。
 桂の日常からかけ離れたこれらの挿話は、それぞれ桂が二人から聞いた、という設定である点も、テレビでしか状況を知ることの出来なかった私にとっても受け入れやすい話だった。いつもどおりに桂のモノローグが和歌子の当時の気持ちを代弁する。また、林浩の場合は、実際に話している様子も描かれ、物語の構図として厚みが増していたように思う。回想形式で硬くなりがちなモノローグが、彼の隣で聞く和歌子を彼が茶化す場面を挿入することで、今ではいい思い出なのかもしれない、と思わせてくれた。
 だが、私が一番この物語に興味を惹かれたのは、それがごく自然に当時のリアルを、やはり淡々と描いていたからだ。死体である。
 和歌子編、体育館に避難した彼女は、隅で膝を抱えて最初の夜を迎えようとしていた。持ち込まれたテレビ映像から流される見知った町並みの様子に、誰ともなく「神戸も終わりや」と呟く。そして、数人の男性たちが大きな荷物を運び込んでくる。どこに置くべきか迷っていた。彼女の隣の気のいいおじさんが、そっと言う、「死体や」。おじさんに寄り添っていた子どもが泣き出した。
 林浩編では、ボランティア活動の厳しさと同時に、死体とも向き合わなければならない状況を描き出している。棺桶作りだった。1巻に比べて細い線は変わらないけれども、芯のしっかりした線となり、キャラクターも町並みも地に足の付いた上手さを醸し出していた。実際の線以上にどこかか弱弱しい印象だった初期の絵とは異なり、物語は語るに足りる線をようやく得たといえる。と同時にそれは、桂の変わらないモノローグの調子を際立たせる結果にもなった。
 ある日、友人が住む場所を訪れた林浩は、倒壊した家屋に出くわす。作業をする男性に声をかけ、何体もくるまれた遺体をひとつずつ捲って確認する。友人は、その中のひとつに、いた。「3日目過ぎたらもう死体ばっかりや」と男性は言っていた。男性は林浩の反応に気付き、そこのマジックで名前や引取り先を書くように頼んだ。男性の態度は、いくつもの死体と、同じような状況にあううちに慣れているのだろうし、それは林浩も同様だったはずだ。しかし、見知った友の顔の「変わり果てた姿」という俗な言い方でしか形容できない場面に自らが遭遇したときに、桂のモノローグは「林君は言う。」と間を置いてから、彼自身の言葉を鍵括弧でくくり始めた。コマとコマの間に手書きで描かれた特徴的なモノローグである、桂の口を借りた伝えられる彼の言葉は、「一歩間違えば自分がああなっていた」という平凡な実感である。しかし、多くの死を間近にしながらも感じられなかった感情が、知った人間の死に直面して、初めて、感じられたのである。数頁の場面の中にこの作品の中でも白眉と言える演出がある。呆然と歩く彼の後ろに、走って通り過ぎる二人の子どもを描いたのである。
 この作品の大きな特徴は、桂の淀みのない静かな印象を与える手書き文字によるモノローグである点は確かである。だが、もう一つ忘れてはならないのが、この作品の中で描かれる子どもたちだ。無邪気にはしゃぐ子どもたちの口調が、日々の鬱屈した生活から、一瞬解放してくれる。真面目で物思いに耽ることも多い桂とは対照的に、言いたいことを大きな声で言い、感情を抑えることをせず泣き叫び遊びまわる姿は、時に桂を困らせる存在でもあったが、それでもどこか和やかで、作品にとっても、安堵できる場面になっていた。
 林浩の悲しみを際立たせるための演出としてはありがちなのかもしれないけれども、子供の一人が潰れた家を指差して「かっちん ここまだうまっとんねんでー」と言うのである。そして、「近道できんねんでー」と、変わり果てた町の姿を想起させる一言を残し、ケラケラと笑いあう子どもたちの声を余韻として描いた。
 中盤以降、「神戸在住」から和歌子と林浩の出番は少なくなっていった。変わりに、親友となるタカ美との交流を中心に、身近なの人の死が物語に影を落としていくことになるわけだが、序盤で描かれた死があるこそ、「神戸在住」は日常の中にある死んだ人の想いを描けたのかもしれない。
 2011年の3月11日に東北・関東で起きたこと。あの時と同じように、これから多くの体験者の声がテレビから本から伝えられるだろうし、いくつかは物語となって、感動的・教訓的などなど、いろいろな口調で語られるに違いない。だが私が一等望むのは、そんな扇情的なものではなく、日常の中にひっそりと佇んでいるような、あの時の記憶を刻む「神戸在住」のようなマンガが生まれることである。
(2011.3.14)

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