「クジラの子らは砂上に歌う」4巻 血塗れの希望

秋田書店 ボニータ・コミックス

梅田阿比




 子どもが矢を射る場面に戦慄するとは思わなかった。「あたった!」とちょっと嬉しそうにしゃべる子どもの表情に、人を殺したかもしれないという意識は感じられない。1・2巻のワクワク感なんて吹き飛んでいた。「クジラの子らは砂上に歌う」3巻から始まったスキロスと泥クジラの戦いは、泥クジラで暮らす子どもたちにも武器を取らせて戦わせた。仮面を付けた無感情のアパイトアと呼ばれるスキロス兵に対し、子どもたちの表情は豊かに変化する。この物語の世界にとっては当然の成り行きなのかもしれないが、一読者である私には、子どもが戦争で人を殺すという展開に驚く自分に、改めて驚いていた。
 これをどう言葉で表現すればよいものか、自分でもわからないけれども、4巻冒頭、感情ある異質な存在として描かれていたキャラクターであるアパトイアの一人・リョダリが死にたくないと這いずりまわる姿が、他のアパトイアと異なる描写がされているのは明らかである。彼にしか認知できない言葉をモノローグに、リョダリは砂の海に落ちていく。その後の意味ありげな描写から、彼はきっと生きているだろうという妙な安心を感じながら、キャラクターの感情を丁寧に記録し続ける物語にリアルを生々しく感じた。
 泥クジラを防衛するサイミアの一人・マソオは、敵中を一人無防備に歩くクチバを見つけた。クチバは、亡きタイシャへの想いを噛み締めながら、仮面の兵士たちと対峙する。マソオの援護によってクチバは窮地を脱するが、クチバとマソオの口論を醜いと語る瀕死のアパトイアは、仮面をはがされ止めを刺そうと、剣を突き立てようとしたクチバを凝視した。仮面に隠されていた少女の無表情には、何もない。リョダリに矢が当たったと喜色をあらわにする子どもと変わらない年恰好でありながら、この違いは、リョダリが生きようと最後の最後までもがき続けた姿と両極端すぎて、本当にこの少女には感情がないことが知れる。だが、クチバは躊躇した。子どものキャラクターである名もない一兵士の目が、クローズアップされる。その輝かしい瞳にキラキラした眼差しだけは、子どもと変わらないからだ。
 クチバに代わりマソオが止めを刺すわけだが、マソオは、私が図りかねてた感情を簡潔に述べてくれた。「後味が悪い」。
 記録者としてスキロスに侵入したチャクロは、目の前の出来事に圧倒され続けた。仲間の死、オウニの覚醒、ヌースの暴走、チャクロのモノローグは冷静かつ詩的に、その状況を描写した。一方、ヌースが蒐集した人間の記録・ある人の感情は、映像として直接チャクロを刺激し、また読者にとってはSFという架空の世界の物語を一瞬で身近に引き寄せた、見覚えのある光景だった。
 もちろん、それらは物語の世界が、現代文明が滅びた遥かな未来の出来事であるだろう当初の予測を補填するに過ぎないのかもしれない。けれども、人の感情だけは未来にも残り続けるという設定に、物語の語り部たるチャクロというキャラクターもまた、そのひとつの感情なのだろうことがうかがい知れる。となれば、私たちが見知っている花火などの景色もまた、この架空の物語と地続きなのだ、という感覚を呼び起こす。読者とクジラの物語は、時空を超えて繋がっているからこそ、マソオは「後味が悪い」と代弁してくれたのである。文明は滅んでも、人の感情は滅ぶことはなく受け継がれていく。
 それは記録も同様なのだ。作者の梅田が、チャクロ然と記録に拘り、記録された言葉を絵に起こしている立場を貫いているのも、作品世界に余分な景色を与えないためだろう。この作品を書くにあたり参考になった物語はいくつも想像できるかもしれないが、そうした推測を退け、自分もまた記録者の一人であるという作者の姿勢も、作品全体をクジラの物語の一部にしようという強い意志を感じることが出来る。
 キャラクターの口を借りて、作者はクジラの世界を少しずつ塗り固めていく。この世界がどのような世界なのか、まだまだ予断を許さない部分もあるけれども、その全容はこの戦いやリコスの口から、ある程度想起できるところまで展開されたと思われる。
 希望という言葉が頻繁に登場する物語にあって、その言葉も過ぎると白々しくなってしまうのだが、クジラの人々には、縋るものが希望しかないという切実さが迫っていた。戦いを終え、死者を弔う葬儀の場面は、希望の名の下に敵兵を殺したという過去の描写をうやむやにする(もちろん各キャラクターには戦いの記憶が刻まれており、おのおの苦しんでいる描写はあるわけだが)。感情のあるクジラの人々が、敵味方区別なく死者を砂の海に送る姿は、彼らの慈愛を説明しているけれども、「あたった!」と喜ぶ少年の顔も同時にそこには存在している。
 スキロスが沈んで戦いは終わったとはいえ、クジラの人々の希望は血に塗れた。希望の味は、思いのほか、後味が悪い。
(2015.2.23)

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