安藤ゆき「町田くんの世界」全7巻

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集英社 マーガレットコミックス



 四大ゆきマンガ家ってのがあって、いや、ひとりで勝手にそう言っているだけなんだが、「夏目友人帳」の緑川ゆき、「蟲師」の漆原友紀、「坂道のアポロン」の小玉ユキ、「ちはやふる」の末次由紀と、みんな名前が「ゆき」なんだが、このほど「町田くんの世界」の安藤ゆきが加わり、五大ゆきマンガ家となった(異論は認める)。
 というのは冗談だが、7巻にて見事に完結した「町田くんの世界」は、「不思議なひと」「透明人間の恋」「昏倒少女」とすぐれた短編を上梓していた作者の、初の長編連載漫画となった。主人公の町田一(はじめ)は、町田家の長男として家族を想い、困った人を助け、時には子どもたちを元気づけたり説教したり、善意に溢れた性格は触れあう人々をことごとく恋させていく少年だ。と言っても本人は「モテない」と自称し、実際に彼女ができる様子はない。みんな町田くんのことが大好きだけど、それは他人としての愛情であって、ドキドキするような好意が高じた恋ではないのだ。そんな彼の言動は、行く先々で人々を魅了し、惑わせ、劇中でドキドキさせて告白されることもなくはないのだけれども、本人はその想いを理解できない。眼鏡をかけた委員長タイプの優等生は見掛け倒しで、テストでは赤点を取るか取らないかの微妙な成績だからなのか、彼は物事の理解力がちょっと怪しいのである。
 とっかかりとして道徳的な物語が続くと、悪意が満ちた世界もあるんだぞとひねくれた気分になってしまうし、そのようなキャラクターが登場もするけれども、ほどなく町田くんに取り込まれてしまう。町田くんの頑なに正直な家族愛は、読者である私もついつい強張らせた頬が緩んでしまう。出来すぎな物語も、ここまで我を通すと個性となってキャラクターを引き立てるのだ。
 そんな町田くんに負うところが大きい物語とはいえ、もちろん、それだけでこの世界観が成立しているわけではない。物語は、ゆっくりと町田くんの成長を積み上げながら、シンプルな装置によって他のキャラクターとのつながりを描く。
 まず手の感触である。猪原さんという仲の良い女子がいる。彼女は町田くんに恋をし、周囲からも認められるほど町田くん愛してるっ子である。町田くんの鈍感さに自分の想いをいつしか引っ込めて接するようになるけれども、後に町田くんが彼女を好意の対象としてはっきりと意識する契機となる出来事があった(実際にはその前から伏線が張られている)。
 クラスメイトの長崎さんの恋を応援する挿話で、猪原さんは意を決して想いを伝えようとする長崎さんに化粧を手解きするついでに、遊び心で町田くんの中指にマニキュアを塗ると、町田くんはその輝きに「重い」と感じてしまうが、ニコニコしている猪原さんと長崎さんに「楽しそうなのは かわいらしい」と見とれてしまうのである。彼は気付くのである。器用な人の手はきれいだ、と。
 町田くんは料理が苦手で勉強も苦手で、工作の類も不得手だ。そのため自分自身、不器用であることを自覚している。けれども、彼の手は、しばしば人々の心を癒していく。頭をポンポンと撫でるように叩くのは序の口である(それで落ちてしまう女性もいるのだが)。例えば誰かの口端にご飯が付いていれば、そっと手を伸ばしてそれを取ってしまう。なんの見えも照れもなく。誰かの口端に餡子がついていても、そろりと取ってしまう。そんな彼の指が、誤って彫刻刀でサクっと自分で切ってしまう。保健室に駆け込んだ町田くんは、そこで成績優秀の猪原さんと遭遇する。血塗れの手を見て驚いた彼女は、ハンカチで傷を抑えた。人と関わりたくないという彼女が人の怪我をほっとけないのだから、本心からの言葉ではないだろうと察した町田くんと触れ合ううちに、猪原さんは彼に恋をしてしまうのであった。不器用な手と器用な手の出会いである。
 町田くんの一途な優しさは、誰もが家族だと思っているからだ。家族同士であれば、手を触れても失礼ではないし、誰だおまえとも思われない。もちろん、実際に触れたられた相手にとって町田くんは他人だし、何だこいつと思ったり恋に落ちたりもするけれど。幼い頃にいろんな人に求婚したという母の思い出話を町田くんは覚えていないわけだが、それが高じて幼稚園の先生と写真を撮る挿話が生まれた……と、ただそれだけではない。誰とも家族になろうとする町田くんの性格が、その頃から醸成されていたのである。この挿話は、後に猪原さんを泣かせてしまう挿話にもつながったいるのだが、そんな彼女の家族との不和を描いた中学時代の回想により、人付き合いの難しさも描かれていた。スクールカーストのトップのクラスメイトの女子と付き合うも、彼女たちの下層民に対する悪口を彼女は嫌っていた。その民の一人である真木さんの誘いで彼女は友達になるものの、ある下校時、トップの女子のカラオケのお誘いを断ると、それをきっかけに真木さんがトップに取り込まれて彼女は孤立してしまう。この回想も後に真木さんが登場することで解消されるわけだが、いくつもの挿話が手を取り合ってつながっていき、町田くんの世界というタイトルに相応しく、ひとつの大きな本流として世界を構築していく。
 家族と他人という区別の気付きは、町田くんに猪原さんを強く意識させることになっていくのだが、手の描写とともに印象深いのが涙である。思わずキャラクターが涙をぽろぽろとこぼしてしまう挿話がいくつもあった。猪原さんも結婚写真を見て、町田くんはいつか誰かの家族になってしまうと気付き、町田くんも猪原さんは家族ではない・他人なんだと気付く。長崎さんが好きな人が転校することに泣き出して町田くんがフォローすると、猪原さんも交えて女子トークが盛り上がるや、猪原さんが長崎さんに応えて好きな人の話をする。ここの町田くんの微妙な心境の表情を眼鏡を光らせることで隠しつつも気にしてしまうコマがそっと挟まる。直接言葉にしない、演出や構図、キャラクターの配置の仕方によって心の変化や気付きの前兆を描く時に、手で触れるという直接的な描写が心を動かす起動スイッチとすれば、涙は言葉にならない言葉を、まだ言葉にできない感情を表現する装置として描く。モノローグも多い作品だが、町田くんが言葉にした時には、手や涙の描写が先だってキャラクターの心を起動させており、もうすでに実は物語が大きく動いた後だったりする。
 猪原さんが泣く場面は、最初電車内でそれを目撃する吉高というキャラクターの視点の挿話として描かれていた。その前話では、みんなを見下す優等生の小学生・桐谷くんと町田くんの挿話があって、嫌われキャラで実際に彼には友達がいない。そんな彼が実は町田くんに出会い改心していく……という展開でないのが素晴らしいんだけど、町田くんの弟との交流により、人の善し悪しの測り方は「モノサシはひとつではない」という真っ当な・多様性を認めようみたいな安直な言葉で締めそうになりながら、町田くん自身が桐谷くんの他人を見下す理由に気付くことで(ここでほろりと桐谷くんが泣くのもいい)、優しさや思いやりってものの形も一つではないことを学ぶのである。けれども、そんな思いやりを全ての人に如何なる時にも振舞えるわけではないことを、吉高は訴える。余裕がない。急いでいる。仕事で忙しい。いろんな理由がある。吉高はそれらを「悪意」と呼ぶも、自分自身が知らず悪意を他人に向けていたことを痛感し、恋人の葵が泣いた理由すら気付けなかった彼だが、町田くんの堂々とした振る舞いに反省し、葵ときちんと向き合うこととなる。
 涙の理由は様々だ。桐谷くんのように自分の本心を認められた時、三輪先生のように教師としての自信を保証された時、あるいは前述した猪原さんの涙に葵の涙、家の鍵を亡くしたワンオペ母の涙。それら涙は、だからといって町田くんの世界観によって安易に拭われるわけではない。作品を読んでいない人が、あらすじや作品紹介を読むと、一見、本作は優しい人々の優しい世界でしかない印象を与えかねない。けれども、本作にはいい人も悪い人も当たり前のものとして登場し、町田くんと出会い、自分の性質に気付くことで自分の元々の振舞い方を再発見していく。
 前向きな生き方を主題とした第26話、猪原さんの中学時代の友達の真木さんが登場する挿話が物語の山場となった。これまでいろんな人々の心をその手で掴んできた町田くんは、いざ猪原さんの心を前にした時に、怖じ気付いてしまう。ワンオペ母の恋に落ちた瞬間の話、クラスメイトの栄さんと氷室くんとの交流、好きなら迷うことはないはずなのに、他人であることを意識した町田くんは、家族との接し方しか知らない、猪原さんが初めての他人、どうしようもなく他人であることを、涙が教えてくれた。
「もう そういうの ダメなのかと 思ってた」
 本来ならば他人と自分との間にある壁を崩していく過程を経て、人々は繋がっていく。だが、町田くんには最初から他人との間に壁がない。何故なら、みんな家族だと本気で思っているからだ。だからこそ、唯一の他人として意識した猪原さんが、手のきれいな彼女が、思いがけずポロポロと泣いてしまう彼女が、愛おしく、恋しくなったしまった。
 彼女がうれし泣きをした最終話。涙を拭う猪原さんの指が、一番きれいで、輝かしい。
 というわけで今回紹介する曲は、この作品に相応しいテーマで、日本を代表する「ゆき」、人と人の繋がりを明るく緩やかに歌い上げた、YUKI「Hello!」。

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