鶴谷香央理「メタモルフォーゼの縁側」5巻

やさしい世界

KADOKAWAコミックス



 高校生のうららと75歳の雪がBLマンガを通して偶然出会い、交流を深めていく様子をこまやかに描いた「メタモルフォーゼの縁側」が5巻をもって完結した。1巻で仄めかされた雪の老いによる残された時間と海外にいる娘の存在から、私は雪の時間すなわち老いや死に焦点がやがて当てられるのではないかという予想は外れ、結果的に娘の存在がクローズアップされる(もっとも自分が死んだ後のことを考えている様子も描かれているので、死の問題が横に置かれたわけではないだろう)と、劇中で描かれた様々な別れと連動しながら、うららと雪の別れを、淡々と描き切った、素晴らしい作品だった。
 本作では、二人の主人公を取り巻く出来事に対して、二人の反応を丁寧に描写し、かつ、わずかなセリフで感情の拠り所をそれとなく示すキャラクターの表情と風景描写が特に作品の世界観を決めているように思えた。主人公としては活発さに欠ける・物事に対して受動的なうららが、少しずつ少しずつ本当の気持ちを雪との交流や劇中マンガ「君のことだけ見ていたい」を通して学び成長し、ほんの些細な言葉だけれども、それを他人に言葉にして伝えられた時の喜びは、うららもまた、雪の書道教室の生徒の一人だったのかもしれない(そういえば、書道教室の雪さんに恋心抱いていたらしいおじいさんは元気なのかな)。
 もちろん、もう一人の主人公・雪にとってもまた、うららの存在は実の娘との関係性を考え直させる大きなきっかけになった。私の想像を受け入れる余白が、作品世界にはたくさんあって、それが表情と少ないセリフと風景なのである。
 5巻22頁4-5コマ
 5巻20頁から3頁続く雪の駅構内の場面。整体からの帰り、構内で電車待ちのため椅子に座った雪は、近くの椅子にドサッとやや乱雑に座った女性がその勢いとは別の可愛らしい表情をし、スマホを見ながら俄かに表情を崩すに、動画を見ているのかと気付いた。雪は、ふと上に視線を向ける。うららを思い出す。雪から見た、うららという女の子の性格を理解している様子(特に俯くうららの横顔の頼りなげ・寂しげな姿勢がうららのキャラクター性を体現している)がうかがえるとともに、初めて参加した同人誌即売会の、嬉しそうなうららの正面の表情(俯くコマとは別にやや下から煽る構図で、うららの興奮がより一層引き立つ)を雪の目線を通して確認できる。そうして雪の少し頬を紅潮させた表情と、再び現実の景色が小さなコマに描かれると、「ふふ」と笑うのである。動画に笑った女性と、思い出し笑いする雪の、二人の笑いに相違はない。なんてことはない構内から覗かれた空と電線の景色が、雪にとっては色めいて見えた。
 あるいは45頁のうらら、予備校の自習室で勉強中、隣の席の子が癖のように筆記用具を「カッ」「パシッ」と音を荒立てて勉強する様子に、何も言わずに離席し休憩しようとする場面。または171頁、図書館で勉強しているさなかに隣の人がシャーペンをくるくる回すのが気になって集中できずに避難しようと外に出る場面。
 猫背になって少しでも目立ちまいとするかのようなうららの繊細かつ消極性は、他人の言動を受け止めるのではなく、避けることによって・それはひょっとしたら現実から逃げるなと根性論から叱責されるかもしれないけれども、他人とのかかわりに疲れてしまうこの性格は、積極的な孤独へとかえって突き進む起動力にもなっている。うららというキャラクター性の丁寧な孤独感の描写に、作者のやさしい視線を感じずにいられない。つまりそれって、この作品の世界が、とてもとてもやさしい、ということなんである。ひらがなで、「やさしい」のだ。
 高校生活で友達もできずに過ごす様子に説得力のある場面がいくつかあって、例えば70頁のこのコマもそうなんだけど、周囲の会話に耳を傾けつつ、その輪に加わることができない。聞きたいけど、聞いたら疲れる。
 5巻70頁3コマ
 孤独でも・いやそもそも本人は孤独である実感すらないかもしれないが、誰かと好きなものの話をしたい欲求は物語当初から描かれていて、決して誰かと関わりたくないわけじゃないんだけど、それでも、気を遣うってことにとても疲れやすくて、個人的に共感してしまうキャラクターである一方で、自分の気持ちを他人に伝えるってことが、知らず知らず不得手になっていたのである。雪が気軽にできる他人と交流できる様子を間近で目撃し、遠慮しながらも、タクシーの場面で、やっとの思いで、ほんの些細な一言を言えた。雪のように何の気もなく運転手と他愛のない日常会話をするとことも、うららはままならないけれども、言葉として表現できたという喜びは、最上なのだ。同人誌という形で作品への愛情と感謝を10頁のマンガに出来た、そしてそれが売れることで、誰かと気持ちを共有できたという体験と通じ合う対話から、さらに一歩進んで、言葉にして他人に伝えることで、それは「完璧な」形になって、うららの人生の糧となるのである。
 断捨離を思いがけず始めたころから、雪は娘との同居を考えていたのかもしれない。でもちょっと待てよ、考えてみれば、あの時、雪は何て言ってただろうか。3巻137頁、寒風の中、庭の手入れをしていた雪は、うららに手伝ってもらってひと段落つくと「花が咲くのが楽しみだわ」とひとりごちた。
 だが、最終話の縁側で庭を一瞥したかどうかさえ定かではないうららの視線は、雪に送る大事な本をまとめながら、未来を捉えようとしていた。
「船の舳先みたいだな」
 ささやかな光に陰いるようなうっすらとした筆致で描かれる庭の花壇や鉢植えに育った草木は、主人の留守も知らずに、二人がかつて憩うた縁側を今も見つめているような、現実感を残している。このラストシーンを噛みしめながら、ふっと作品の様々な場面を思い起こすと、空港でうららを待つ雪の今にでも寝入りそうな表情に「市野井さん」と声を掛けて駆け寄るうららの姿はまさに、同人誌即売会で売り上げを報告する笑顔に似ていて、読んでいる私も、思わず「ふふ」と微笑んでしまうのだ。
 5巻1584頁4コマ
(2021.1.25)
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