「守屋観察ノート」

宙出版 「ease vol.3」に収載

岩岡ヒサエ



 なんだかよくわかんないけど必死になって働く人っているよなー。なんでそこまでするの? と訝るほど熱心で真面目で、いい加減にその場をしのごうとしている身にとっては見ているだけで辛くなってくる。そのうち身体壊して休む羽目になって、穴埋めにこちらが忙しなくなってしまうなんてこともあって、だから言わんこっちゃない、この程度の仕事でそんなもりもり働くなよって肩をもんでやりたくなってくる。
 岩岡ヒサエの短編「守屋観察ノート」は、レンタルビデオ店で誰よりもきっちりと仕事をこなす守屋さんの物語である。彼女に興味を持った同僚・リョウちゃんの視点から彼女の姿が描かれる。いつも笑っている彼女、いつかボロを出すんじゃないのかと観察を続けていくうちに、彼女の姿が立体感を増していく。そして、本当に笑っているんだろうかと疑りたくなるくらい終日にっこりしているもんだから、近づき難い存在にもなっている。ある日過労で店長が倒れると、店長代理に指名された彼女は、前にも増して懸命に働くも胃痛に苦しみ、ついにリョウちゃんの前で少し本音を漏らすのだった。
 か弱い描線・ふわふわした質感のある筆致とは裏腹に、かなりテーマ性の強い作品が多いように感じる作家である。同人誌を中心にした活動が今では商業誌に移りつつあるようだけど、どちらでも描きたいものを描いている、そんな印象がある。で、私は岩岡氏の作品では「しろいくも」の中なら「おウチに帰ろう」が一等好きで、ちょっとしたおかしみを交えつつ描かれる故郷の思い出話にほんのりと幸福感を覚えたものだが、今回の「守屋観察ノート」も、滑稽なやりとりを挟みながら、一人の女性・というより一人の人間の不器用な生き方に、とても共感してしまったのだ。
 おかしさの演出がまことに生々しいというかリアリティとは言いたくないんだけど、現実的なのである。知り合い同士で軽く交し合う冗談みたいなのである。突拍子もない設定を用意することなく、実際にありえる会話で物語を推し進める。だから、平凡といえば平凡である。「守屋さんは目標の人だったのに!」と言うリョウちゃん(もちろんこの言葉も冗談交じりっぽい感じ)に対して「私は夢を砕いて生きているのよ」と返す守屋さん。他愛もない会話かもしれないが、それらを積み重ねることで、いつも笑顔の守屋さんに加えて飄々とした守屋さんという印象が植え付けられる。リョウちゃんのモノローグが入りながらも、モノローグという感じがしないのも不思議だ。それは結局、モノローグの文章自体も平凡だからだろう。心に残るような言葉よりも先に状況が描写されるので、言葉による呪縛がない。これはつまり、コマと絵で表現することに長けているということだ。リョウちゃんの言葉は、あくまで補足説明なのである。こんなことがありました、という語りから物語が始まらず、こういうことなのです、という進行形なのだ。
 16頁の短さに、そんな進行形の雰囲気・テンポのよさが、すいすいと読み進められる起動力があり、またぐいぐいと話題に引きつけられる吸引力もある。ひとつが前述のおかしさであり、もうひとつが、抑えた演出である。実際、描線はよれよれである。コマ枠以外のほとんどがフリーハンドで描かれていると思われ、どの線も均一に細い。一般的に大きなコマにアップの物が描かれる場合、線は太くなりやすい。気持ち太くなることが多い。だが、コマの大きさ・アップロングにかかわらず線の太さが変わらない。ほかの作品もそうなので、作者の癖なのかもしれないし、そういうことにはこだわらないだけなのかもしれないけど、結果的に表現を抑制した。なのでありがちな台詞群が強調され、ありがちな場面が印象に残り、守屋さんという人物像が盛り上がってくるのである。
 ところが、店長代理として仕事に励んでまもなく、彼女は「ぽろ」と商品を落としてしまう。落ちたときの音はない。ただ、「ぽろ」というおとなしめの擬音があって、店長は何であんなに仕事してたんだろう、と呟く。仕事きっちりの彼女が商品を落とすこと、思わずもらしてしまう店長への想い、彼女の本音が「ぽろ」と出てくるのだ。さらに、これまでのテンポがここで唐突にゆっくりになる。テキパキ動いていた彼女が商品をかがんで拾い集めるも、そのまま動けなくなってしまう。後ろに回っていたリョウちゃんのモノローグもここで前面に出てくる。守屋さんの涙。笑顔の理由。ここまで本音か冗談かわからなかった守屋さんの言葉、動けなくなる直前まで冗談を言うくらいだった彼女の言葉が、リョウちゃんに自室まで運ばれたところで「ぽろ」と漏らすのではなく、真ん中に登場する。
「ありがと もういいよ」
 13頁目の最後のコマ、リョウちゃんに支えられていた守屋さんが布団に倒れこもうとするところはコマの左端に押しやって、この台詞が鎮座する。右側は空白。特になんかあるわけではないのだが、この場面が妙に深く脳裡に刻まれた。やっと本音を言ってくれた、というリョウちゃんの嬉しさ。守屋さんも多分嬉しいと思うんだ。16頁目の2コマ目では、いつもずるっとしてない靴下が、リョウちゃんの前で初めてずるっとしたまんまの靴下を見せるんだ。人前で常に緊張感もってたけど、どこかで抱えた涙を吐き出さないと、急に倒れてしまう。栄養ドリンク何本も飲んで過労死するんじゃないかってくらい働いて、だからまあ、あんま無理しないでたまには休んでよ、ほんとに。

戻る