吉川マモル「もう森へはいけない」

森を背負う

講談社 週刊モーニング2018年45号掲載



 母親を殺した高校生の娘と叔父が死体を運ぶ道中を淡々と描く。叔父にとっては姉であるその死を知らされても、彼は動じることはなかった。物語の序盤で唐突に明かされる母親の姿は、大仰に訴えられることもなければ、悲劇として描かれることもない。ただ娘の表情だけが、全てを語る。彼にとっては姪である彼女を、黙って見守る。物語のラストまで徹底的に抑制の効いた画面構成とセリフ回しは、一編の良質な映画を観たような感覚だった。
 突然の電話で高速を3時間飛ばして呼び出された叔父は、姪の告白のままに、姉の死体を見せられて「マジじゃん」と呟く。とにかく遠くへ捨てに行きたいという彼女、死体を車のトランクに運び入れると落ち着いたのか、出発する直前の彼女の哄笑は、彼の冷めた態度から察せられたとは言え、後ろのトランクに向かって罵倒する姿が、劇的な効果を生んでいる。
 下図は、他の頁にある同一の構図のコマを並べたものだ。
  9頁目
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  11頁目
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  12頁目
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 真ん中がその罵倒する場面である。本編は基本的に単調で水平な視点から捉えた構図がほとんどで斜めに切り取られたようなコマ割りは、おそらく1コマしかない。映画のフレームのように切り取られた画面は、だからこそちょっと傾ける構図によって、その事態の変化を訴える。座席を掴んで後ろ姿を読者に向けた彼女の、その掴んだ手の力によって画面が・車自体が傾いたかのような錯覚さえ起きよう。その後描かれることになる彼女の表情の変化や周囲の人々のざわめきに対する態度、大人になり切れない自分に対する葛藤(タバコを吸おうとして咳込んでしまう)など、セリフ上から窺えることだけではなく、こうした構図によってキャラクターの意識の在り様が仄めかされる。
 簡潔に言えば、彼女は母親に虐待されていたことがすぐに理解される。痣だらけの身体、その痣の存在だけが、まだ母が生きている証であるかのように、彼女を苦しめる。自分が殺人を犯してしまったという衝撃、束縛していた母からの解放感、無関係な叔父を巻き込んだ罪悪感、いや、そもそも殺人に罪悪を感じろよって話であるが、序盤の彼女の見開きのクロースアップが殺人も致し方ないと感じさせてしまう圧倒的な言葉のように、読者をぶん殴る。
 それは、ホテルで泊まってシャワーを浴びた彼女が浴衣の下から覗かれた足の痣で曝け出された。制服姿の彼女の、やや上目遣いの薄暗い中の陰鬱な表情が、殺人に至る経緯を簡潔に言葉を一切用いずに表現した。その後も彼女は言葉によって母とのあれこれを断片的に語るけれども、読者の予想を補足する程度で、それさえも過剰な説明と感じるほどに、この見開きのアップは雄弁である。
 道中、水族館に意味うかという話になるも、昔、叔父に連れていかれたその場所は移転して新設されたと聞くと、途端に彼女は興味を失う。浮き沈みが激しい彼女の内面を、叔父は静かに見守っているものの、どこかで姉のことを考えている様子を見せる。ちらっと見やるトランクへの叔父の視線に後ろのガラスから覗かれた道路も見えると、場面は車の上を捉える。こうした視線の動きをカメラに託した場面転換は、作者が言うロードムービーそのものである。
 彼女の告白は時に激して母の言動を責め立てた。それでも表情を変えずに話を聞く叔父は、自分が姉を殺したことにすればよい旨の言葉まで漏らし、いったい何を考えているのかわからなくなっていく。彼女の良き理解者と思われた寡黙なキャラクター性は、物語の進展に伴って明かされてくる彼女の心情と正反対に、読者の興味はこの男が何故彼女にそこまで同情的なのか・あるいは彼女の言われるがままなのかを想像し始める。彼女はそんな叔父の内面の核心を突く。「おじさんって やさしいんだか薄情なんだか わからないときあるよ」
 叔父の立場から彼女を眺めていた読者の視線は、しばしば描かれる叔父のトランク・死体に向けられた視線によって、彼自身が姉に対してどのような感情を抱いていたのか。感情移入の先が宙ぶらりんになり、二人のキャラクターを客観視していく演出・仕掛けにより、全力疾走によって胸のわだかまりをどうにかしようとする彼女の言動がむしろわかりやすく解しやすい一方、叔父は何を思うのかという読者の期待は、戦慄と言うには大仰だが、知りたいようで知りたくない、そんな気分にさせてくる。そして、作者は見事に期待を裏切らない。「姉貴のことを考えていた」という叔父の内面は、四角で囲われた特別なモノローグとして活字になった。タバコの煙をくゆらす彼の言葉は、拍子抜けするほど、そっけなかった。それはつまり、姉弟について何も知らない読者と同じだということだ。そうすると、あらぬ疑惑が頭をもたげてくるから厄介である。
 苦しむ彼女が滑稽に見えるほどに、彼は静かに彼女の想いに寄り添う。ただ寄り添っているだけだけれども、ひょっとしたら、二人はかつて性的な関係が一度はあったのではないか、という推測である。死体を山の森に埋めた帰り道、遊園地で無邪気に遊ぶ彼女と、それでも過去から逃れられない中学時代の告白は、痣を晒した服装が1コマ挿入されるだけに過ぎないが、最初のホテルで背を向けて見えないはずの彼女の痣だらけの足を思い起こす場面、「シャワー先いい?」という彼女の慣れたセリフとともに、ひょっとして……いやいやそれは穿ちすぎだろうと一人で考えすぎてしまう、そうした余白が、この短編にはたくさん詰まっている。たとえば、今朝母を殺したという彼女が、叔父に連絡するまでの時間、何をしていたのか? 無言の母と過ごした数時間にこそ、彼女の本当の闇があるのかもしれない。
 遊園地のベンチで佇む二人の背後には、奥の知れない闇を抱えた森が控えている。日常風景の人々の嬌声と、森の中の静けさ。人を殺した人間としての人生、それに協力した人間としての人生、いずれにしても、いくら日常の中に身を置いたとしても、二人の人生には、どこにいて何をしていようとも、常に暗い森がついて回っている。
 ブキミなのは世間ではない。おまえ自身の抱えている闇なのだ。

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