甲斐谷忍「無敵の人」1巻

講談社コミックス マガジン

ネット麻雀をぶっつぶせ



 1988年公開の映画「レインマン」で広く知られることになったサヴァン症候群は、日常生活に支障がある程度に知的障害を抱えていながらも、天才的な能力を有した人々という認識がある。映画では、カジノのブラックジャックに興ずる場面で、見たことを瞬時に超人的な記憶力で覚えてしまう主人公の兄でサヴァン症候群のレイモンドが、配られたカードを全て記憶し、次になんのカードが来るのか確率を予想、ことごとく的中して主人公が大勝するエピソードがある。結局、主人公たちは怪しまれて追い出されてしまうのだけれども、何故記憶力がゲームの勝敗に影響したのか、実はよくわからなかった。
 甲斐谷忍の新連載「無敵の人」は、そんな長年の疑問に応えてくれた麻雀マンガである。
 一般的に賭け事は大きく二つの事象に分類される。「独立事象」と「従属事象」である。サイコロの次の出目を賭ける場合、確率はどのような場合でも6分の1である。前回1が出たからと言って、次は2から6の出る確率が上がるわけではなく、やはり出目の確率に変化はない、毎回の確率は独立している事象というわけだ。一方、福引などで多く見られる回転籤引器の類はどうだろうか。出た玉を箱の中に戻さない限り、くじを引くごとに玉は減っていくわけで、次の出目の確率は変動する。外れ玉が出続ければ、それだけ当たり玉が出やすくなる感覚である。前回の結果に確率が従属している事象である。
 ブラックジャックと麻雀の共通点が従属事象にある。どちらも山から引いたカード・牌を次々と捨てていくけれども、捨てられたそれらは1ゲームが終わらない限り山に戻されることはない。ブラックジャックにおいて、Aが場に4枚出ていたとすれば、次にAを引く確率は0だということだ。麻雀も同様の理屈である。すでに西が場に4枚出ていたとすれば、次に西を引く確率は当然0である。
 場に出たカードを全て記録して臨む行為をカードカウンティングと言い、禁止しているところもあるようだが、「レインマン」のように記憶してしまえばどうなるだろうか(「ラスベガスをぶっつぶせ」というカードカウンティングで荒稼ぎした実話を元にした映画もあるんだが、私は未見)。今、場にどんなカードがあって次に出るカードが何かまで確率で予想できる。そんなことが出来れば、勝率も自然と上がるに相違ないだろう。「無敵の人」は、超人的な記憶力でネット麻雀界に伝説を打ち立てた少年Mと、彼を支える青年の物語である。
 いくつものバイトを掛け持ちして家計を支える麻雀好きの青年・順平を主人公に始まる。麻雀にはてんで疎い私には、導入部の麻雀解説はとてもありがたい。「運7実力3」、素人がプロに勝っちゃう事もあるほど運に支配されるゲームであることが強調されたところで、ネット麻雀「雀仙」というオンラインサービスで伝説を作った「M」が紹介される。
 300万人ユーザーのうち、雀仙の最高位である「雀仙位」に到達したプレイヤーは過去9人しかおらず、10人目となったのがMだった。通常、1万局以上こなしも到達できない高段位、雀仙位のプレイヤーも例外ではないが、Mは、わずか320局で雀仙位となったのだ。驚異的な勝率で「無敵の人」とネット麻雀界で名を馳せたものの、同時に、イカマサ師として蔑視されてもいた。だが、その手口が一切わからないのだから、どうしようもない。
 順平は、ファミレスのバイト中にMと遭遇する。17歳の高校生がMの正体だった。彼の境遇と超人的な記憶力で麻雀を勝ち続けるMに共感した順平は、Mをネット麻雀から追放しようとイカサマの手口を探り大負けさせようと目論む雀仙側との戦いを決意する。
 巨大組織とそれに挑む少年という熱い展開が期待される向きもあるが、そもそもMのキャラクター設定がとても素晴らしい。超人的な記憶力は、サヴァン症候群ではなく、脳に大きな損傷を受け瀕死の重傷を負うほどの事故が原因であり、超人的記憶力を得る代わりに脳の機能の一部を失ってしまう。それが感情だった。だから、敵対する相手に出会ってもMは一切無表情のままで、順平がオーバーリアクションで状況に右往左往するというのが基本的なキャラクター配置となる。
 また、私のように麻雀がわからない読者にとって、麻雀を知らないMの姉の存在が解説を促してくれる。美人設定の姉で絵的にも映えるのはもちろん、順平が姉にMの状況を解説してくれる展開が自然と生まれると、Mの表情の変わらなさは勝敗の行方が全く読めない緊張感を生むと同時に、順平のリアクションと姉に対する解説により、Mが負けそうだという解説でさらに緊張感が増すという構造が出来上がる。おそらくMが勝つだろうという読める展開であっても、何故勝ったのかが順平にも理解できないのだ。読者の楽しみとしては、やはりそこなのだ。記憶力だけで何故勝てるのか?
 手牌の記憶力と相手の手筋を記憶することで今後も勝利を積み重ねていくだろうMと、彼を支える順平の物語はまだ始まったばかりだ。Mは、雀仙をぶっ潰すことが出来るのか。続刊が楽しみで仕方がない作品がまたひとつ増えた。

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