「猫の好きななまり節」

集英社りぼんマスコットコミックス クッキー 「女の子の食卓」3巻より

志村志保子



 幼い頃、遊びにいくと必ず焼いたお餅をおやつに食べさせてくれる友達の家があった。好きなものは何でも喰ってしまうクソガキとはいえ、さすがに餅はお腹がふくれてしまい、夕食があまり進まず、何か食べたのと母に詰問されて正直に答える気まずさは何に由来しているのか未だにわからないけれども、餅は正月のものという先入観しかなかった私には、その家の習慣がとても奇妙に思えたものである。
 志村志保子「女の子の食卓」は、食を巡る短編連作である。その家庭にしかない食の習慣が、人間関係の一部を形作っている、という点を鮮やかに切り取って人生の一頁を綴る筆さばきは3巻に至っても冴え渡る。今回は、その中の一編「猫の好きななまり節」をとりあげたい。
「なまり節って 人間も食べられるの?」
 小学生の実果は友達と遊んだ帰り道に、お使いの帰りだったクラスメイトと偶然出くわした。何を買ったのかと聞いてみると、その中に父が酒の肴に好んで食べるというカツオのなまり節もあった。実果は思わず、それって猫の食べ物じゃないの? と訊いた。素直な疑問だった。実果の家では、飼い猫のミミにたまにあげているものだったからだ。だが、その問い掛けにクラスメイトは怒ったような泣き出しそう複雑な顔をして黙り込んでしまう。その時、実果はとてもいけないことを聞いてしまったのではないかと後悔しはじめ、帰宅して母に訊ねたのだった……
 なんといっても横顔の描写が印象的である。特に口元。そのクラスメイトの、この子とは分かり合えないという絶望のような、分かり合いたくないという憤りのような描線。真っ黒の背景で一瞬開きかけた口が頁左隅に描かれた。父の好物をみんなに教えるという気恥ずかしさと嬉しさがない交ぜになったような彼女の笑顔が、その背景で途端に消え失せたことが暗示される。実果はその表情の変化に気付かず、猫の話を他の友達としたまま。彼女の感情が様々に想起されるものの、次頁でただ彼女の表情を大きくひとコマ描くことで、実果が受けた衝撃が、言葉にならない、としか形容できない状態で画面にほとばしる。
 うまく説明できない感情・クラスメイトの表情を汲んだのは母である。子どもの頃から生臭さが好きになれず、猫の餌にしてきたことがこのような結果を招いてしまった、責任はお母さんにもあるわねと、やおら立ち上がって、残っていたなまり節を使ったサラダを作るのである。
 娘の話を聞く母の表情は、やはり横顔である。名状し難い視線で娘を見つめる彼女の表情がある予感を呼び起こす、この目は、さっき口元しか描かれなかったクラスメイトの目ではないかと。頁をめくると、真っ黒な背景に「食べてみる? なまり節」というフキダシだけ……この時も実果はうつむき加減で母の顔をあまり見ていないのだった。
 母に作ってもらったなまり節のマヨネーズ和えサラダは、思いのほか美味しくて、実果の中でなまり節の位置づけが変化した瞬間でもあった。だが、娘の食べる姿を、母はじっと見つめているだけで何もしゃべらない。その子に謝るね、と言う娘を、そうだねと一言応えるだけである。母の少し暗いような表情。
 クラスメイトと仲直りできる機会を得られたと思われた実果だったが、その子はそれから実果を避けるようになってしまう。謝りはしたけれど、彼女の実果にしか見せない嫌悪は、あの時の彼女の口元の意味と無言で食べ続ける母の表情の意味をなんとなくではあるが理解させるものだった。だが、私がもっとも衝撃を受け、かつ、不可解なことが、そのクライメイトの名前が一切明かされていない点である。
「クラスの友達」「あのこ」「その子」と実果は名指しするだけだ。回想という形式がとられることの多い連作である、この話も例外ではない。主人公は今何歳で何年前のことを振り返っているのかはわからないが、「この頃」と結ばれるラストのモノローグから、自分をかなり客観視できる年齢であることが推察できるけれども、それでも実果にとって忘れ難い味であるはずのその子の表情は覚えていても、名前が出てこない。不可解でありながら、奇妙な現実感を感じているのも事実である。
 おそらく本編にとっては主人公の名前さえ余計な飾りなのかもしれない。美味しさを知った時の表情、その子にはっきりと拒まれた時の表情、改めてひどいことを言ってしまった・嫌われてしまったことを実感した時の表情……主役は、それを思い出す食材そのものなのである。
 この作品は他にも、言い尽くせない登場人物の表情が至る所で描かれる。悔しそうとか泣きそうとか、名付けようと思えばいくらでも出来るかもしれないが、それは結局のところ読者一人ひとりの解釈でしかない。では、その表情の行く末は何に託されているのかと言えば、作品の主題となっている食べ物、もっと具体的に言えばタイトルどおり食卓なのである。食卓そのものの場所だけではなく、どういった心境で食べたのか、どんな理由で食べたのか。いつ食べたのか、その日は晴れだったのか、その日何が起きたのか……彼女たちの人生の一瞬が食卓を彩っている、昨日と同じ場所・同じ状況で同じものを食べても、気持ちの違いが食卓の意味を激変させる。実果は、その日のサラダがきっかけでなまり節が好物になったけれども、初めて食べた時の食卓は二度と味わえないだろう、けれども食べるたびに思い出すのである、クライメストのあの表情を、打ちひしがれたかのような彼女の口辺を。
(2008.1.14)
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