「おまえが世界をこわしたいなら」

ソニー・マガジンズコミックスより全3巻

藤原 薫



 運命や輪廻について散々考えた過去のある私にとって、「すべて意味がある」と正面から言われればたちまち困惑する。なんとも明快な楽天家だな、と苦笑い半分にあざけることも出来ようが、これが臨終の言葉だとしたら、その心中わからないでもない。しかも、それを語るのが主要な登場人物ではない登場2、3回の、山下刑事の妹紗希・10年も植物状態で眠りつづける人間の言葉なのだから、なにか引っかかるものがあるものの妙に「そんなものか」と思ってしまう。医療技術で生かされていた紗希にとって、自分の運命は他人に作られたものだと直感しても不思議はない。事実、彼女にはなぜ生きるのか? という問い掛けはまるで意味がないように思った。歩くことさえ出来ずにベッドの上で横たわりながら口は聞けず目は閉じられ光もない。生存そのものを機械に頼っている…。
 三巻105頁から10頁ほど続く蓮と紗希の交感に、この作品の主題が詰め込まれていた。無意味な登場人物を廃し、あらゆる場面に主要な登場人物を絡ませて、作品の隅々にわたって意味がこめられている構成をとり、物語自体を輪廻させた。作品が主題を体現したわけだ。もちろん、物語は物語であり全て用意された展開であり、辻褄あわせだろうが都合が良すぎようが、ことごとく作者の意のままであるから、この作品における世界は藤原薫の作った世界であり、読者はそれを外から眺めているに過ぎない。必然とか偶然とかもがいたところで、登場人物の運命は作られていたものだ。手塚治虫の短編や筒井康隆の小説にもあったと思う、作られた人生に気付いた人々が神である作者にあらがう姿、そんなのを思い出した。
 自分の人生が何者かに作られたものだとしたら、自分はなんのために生きているのだろうか。紗希は「罪の償い」だというが、果たしてその償いそのものに意味はあるのだろうか。一体、なんのために償うのか…そもそも罪とはなんなのか…この当たりまで作品は突っ込んで考えないし、私が考えすぎているだけだろう。しかし、運命が全て作られたものだと知ったときの衝撃が蓮の口を借りて訴えられている。「なってこった」。ほんとになんてこったと言いたい。一読した印象はその後に「そりゃないだろ」と付け加えたのだが、今となっては作者のしたたかさに舌を巻く。
 ところで作品の真意(と私が思い込んでいること)は最後に述べるとして、作品の魅力について語ろう。まず第一にそのタイトルだ。この本との出会いが偶然なのか必然なのか知ったことではないが、表紙の絵に惹かれる以前にタイトルが目に焼き付いて買わずにいられなかった。この作品のどこが面白かったのかと問われれば、一も二もなくタイトルに惚れたと答えるだろう。なんだか気恥ずかしいことであるが、正味の話、それしかいいようがない。では作画はいかがなものか、と問われれば、ぎこちなく「まあまあかな」と言うだろう。はっきり言えば稚拙である。一巻124頁で刑事が「あそこだけなんというか…美しいな」という台詞を思い出す、美しいというか美しすぎてかえって冷たい感じの描線、特に眼だ。人を惹きつける魅力的なものである裏に、人物のの表情を奪い去る凶器を隠している。吸血鬼という設定が無表情に近いがそうではない、作品にとってこれ以上なく冷血で平静な表情を醸し出すことに成功したが、表情の乏しさはどうしても繕いがたい。どうしてもみながみな緊張感ありすぎてこわばった演技になってしまう。そこで砕けた表情を出すために美しい眼をただの黒目や点目にしてしまうわけだ。もっともこの作品はとてつもなく笑顔が少ないので、あまりそれが目立っていないが。
 第二がやはり眼である。前述と矛盾するようだが、否定できない魅力が作者の描く眼にある。岡崎京子と岩館真理子の描く眼を混合したような…いや、少女漫画に疎い私には詮索できない。(でも、この眼はひとつひとつトーン貼ってあるので、大変な作業だな。眼にトーンを貼る作画を最初にはじめた人って誰なんでしょうか、偉いよ、その作家は。)
 さて、以下深読みである。
 何者かに作られた己の運命……この作品には、その「何者か」が登場してしまう。セシルや蓮が夢に見たきらきらしたもので遊ぶ子供が、きっちりと語る。曰く「失敗」と。身も蓋もない。作品自体のことを言っているわけではない。そこまで作者は卑屈ではないだろう。殺し合う閉じた輪廻、この非生産的で実利のない輪廻が失敗なわけであるが、なんとも儚い運命だ。作りなおすのも壊すのもその子供の意のままで、もし自分の運命があるとしてそれが何者かに作られていたと考えると、この子供と男のやり取りは空恐ろしい。それこそ自分の普段の行いなんて無意味なものになってしまう、なんの悪い事をしなくたって悪い目にあうわけだ、それを作った者の心一つであっちこっちに弄ばれる。
 そんな運命の気まぐれを最も実感したのは作者自身かもしれない。第一話にタロットカードで環奈は未来を占われ、結果は白いカードだった。真っ白な、何もない未来。それは普通の人間としての未来がない、ということだと素直に考えられよう。だがしかし、この白いカードこそが作品そのものの未来を予測していたと考えるのも一興だ。それが連載誌の休刊である。本来の物語はタイトル通り輪廻を壊す方法を模索する描写がはさまれたかもしれないし、蓮と環奈の恋愛模様ももっと描かれたかもしれない。一巻に漂っていた人間と人間に似た何者かになってしまった自分の間で苦悩する姿が、三巻では忘れられたようにひたすら輪廻の物語に終始し、少数者・日陰者としてひっそり生きなければならないものの葛藤が影を潜めてしまう。休刊は、結果として物語の主題を克明にし、作品に余白のない緊迫感を与えて単行本三巻という程よい長さに収めてくれたわけで、作者としては「失敗」かもしれないが、作品としては「妙な魅力」があり、数百年後の日本にもファーストフード店はあるんだな…と意味もなく思った次第。

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