「大奥」12巻 殺そう

白泉社 ジェッコミックス

よしながふみ



 156頁。わが子である将軍・家斉を殺す決意をした権力者・治済の顔のアップである。前頁のコマ・黒い背景でフキダシによって隠された表情が、白い背景の下で一気に読者の眼前に現れる。本巻最大の山場であり、多くの読者を戦慄させた場面だろう。
 もともと、退屈だからという理由で孫たちを毒殺してきた経緯がある。いつも詰まらなそうな顔で家斉たちと接してきた。政治に身を入れるわけでもなく、ただ漫然と、人が苦しむ姿に愉悦を覚える。若い男たちを集め、一皿だけ毒の入った料理を振舞い、毒の当たった者を大当たりと褒美を与える。狂人、サイコパス、化け物、いろいろと呼び方はあるだろうが、治済が江戸城内で絶大な権力を振るう様子は、赤面疱瘡の治療に奔走する家斉たちの必死な姿とまるで共通項がなく、互いに理解し合える気配がなかった。
 だが、治済は殺意に親としての情け心を表明する。母に逆らう子の愚かさを説き、好物の甘い菓子を用意する。一人で死なせるには忍びないという理由で御台も道連れに同席させ、共に死んでもらう。気が狂っていると言ってしまえば容易いが、物語は、ここに家斉の母に対する想いをカットインする。幼き頃に赤面疱瘡から救ってくれた人痘の接種。だが、そんな想いを真面目に捉える読者はいるのだろうか。
 156頁の悔しさの溢れ出た、歯軋りせんばかりに口元をゆがめ、裏切られたとでも言いそうな表情を隠すことなく、老中の青山の報告を聞く。これまで一度も見せたことのないだろう明確な殺意は、躊躇なく殺す決意を見せた。次頁の黒背景に白い文字だけの「殺そう」が、戦慄を確かなものにした。
 よしながふみの作品の特徴が長セリフである。コマを埋め尽くすほどのセリフの量。まして時代劇である。劇画がかったセリフも多い。時には説明的なセリフで、部下が上の者に状況を報告させる形で、物語が動いていることを知らせる。
 それでいてテンポがよいのは、場面転換をこのセリフのまま行っている点である。さっきまで老中に事の次第を伝えていた家斉が、次のコマでは治済が家斉の提案を老中から聞く場面に移行すると、治済の許可を得て、「やった」と内心で歓喜する家斉のコマが描かれる。実際には、老中が家斉と治済の間を行き来し、両者にそれぞれの意向を伝えているわけだが、そこをばっさりと省略しても、何が行われているか理解できる。これはもちろん、そのような手続きを踏んだ描写を最初にしているからだが、この場面だけ見れば、家斉と治済が対話したかのような錯覚を暗に施している。親子の面と向かい合った会話ではないにもかかわらず、家斉は母を出し抜いたものと思い込む。当然、治済の意を汲んだ間者の存在を察して言動に注意を払ってはいるものの、どこか危うさを抱えていたのは、母に怯える姿が描かれていたからである。
 そして、母と対面したとき、よしながは、治済が家斉の元を訪れる場面をゆったりと省略せずに描いた。襖が開けられ、そこから巨体を重そうに部屋の中に入る1コマ、続けて家斉の前に座する暇なく、目ざとく家斉の背後にある長持の中身を明らかにせよと命ずる。親子の対面ではない。家斉が母を見上げる場面と、母が子を見下ろす場面は、上下関係が改めて強調され、治済の威圧感に家斉はなすすべなく言葉を失う。
 親子ではなかった。
 松方の機転によって難を逃れるも、次はそうもいかなかった。「殺そう」の場面を思い起こせば、ここには特徴的な長セリフはない。もう一つの特徴である、キャラクターの表情が前面に出された描写なのだ。
 長セリフの間に時折挟まれるセリフの全くないキャラクターの表情を捉えただけのコマも、よく描かれている。セリフと共に場面転換をつなぐ、もうひとつの接続詞ともいえる役割を果たしていた。長セリフ→それを聞いたキャラクターの表情→先のセリフの内容を他の場所で第三者に伝えるコマ。これもひとつのテンポのよさだ。
 だが、ここでは治済の感情を執拗に描出した。彼女が平然と嘘を付く人物であることは十分に描かれている。自分が毒殺した子を御台が毒殺したこととして周囲に話し、当の御台は気がふれて奇行な言動が目立ちはじめて、家斉を死んだわが子と間違えたり、人形をわが子と見立てたり、その様子は確かにおかしくなったと思わせるものだ。
 後に演技だったことが知れる御台の言動だが、子の仇のために、御台もまた嘘を付き続けていたのだった。治済を殺すために、気が狂った振りをして油断させ、治済の側近のお志賀の協力を得て。
 殺そう。ここには、描かれることのなかった御台の殺意が込められている。治済にとって殺意は日常的な喜怒哀楽の中の一つに過ぎない。当たり前の感覚だ。御台にとっても同様となっていた。彼女は治済の生まれ持った日常的な殺意ではないけれども、治済を弑せんと日々機会を窺いながら、日常的に治済の食事に少しずつ毒を盛っていた。頑健な治済はなかなかその兆候をはっきりと見せはしなかったけれども、最近身体が重いというような発言もあり、長い時間をかけて御台の殺意が形になろうとしていた。そこに来て、家斉を殺すための舞台を治済は整えてしまった。御台は、治済のように「殺そう」と決意をしたのである。治済とは対照的な、わが子のために、という理由で。その表情は劇中で描かれることはないし、想像するしかないけれども、どんな表情で思ったのだろうか。
 治済の倒れ方は、「ズダンッ」というような実に間抜けな描写をされている。格好が悪い描かれた方と感じたのは、私個人の治済に対する苛立ちに所以するかもしれないが、家斉が今にも毒入りのお菓子を口に入れんとする次の瞬間の、156頁のような切れ味のないテンポを失った、作者らしからぬ「ズダンッ」は、家斉と同様の「えっ?」という表情を読者にさせたに違いない。我がままの限りを尽くした治済の、情け容赦ない最期をあえて描く作者の感情こそが、真の殺意なのかもしれない。というのは、考えすぎだろうか。
(2015.8.18)

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