平尾アウリ「推しが武道館いってくれたら死ぬ」4巻

特別な距離

徳間書店 リュウコミックス



 岡山を舞台に地下アイドルを追っかけるアイドルオタクたちの奮闘ぶりをユーモアたっぷりに描く「推しが武道館いってくれたら死ぬ」、4巻では、岡山、広島、香川の各県で活動するアイドルたちを集めたフェスに、主人公たちが応援する7人グループの「Cham Jam」・通称ちゃむが参加するということで、それに向けての高揚感がオタクたちとアイドルたちの感情を並行して描きつつ、フェスで彼女たちが観客席とステージという双方異なる舞台から見詰めあう場面に、正直、感動してしまった。
 今回、1巻から読み直してみると、主人公・えりぴよと、彼女が熱愛するメンバー・舞菜の二人が当初から想いながらもすれ違っている様子を描いていたことに気付く。初読の印象としては、えりぴよのオタク的奇行の数々が中心でアイドルたちの心情を細かく描き始めたのは2巻あたりからと思っていたが、第一話からえりぴよと目を合わせられない舞菜のモノローグが描かれ、一向にかみ合わない二人の気持ちが、当初から物語の軸に据えられていた。1巻の山場となる地元のファッションショーにちゃむがゲスト出演するという情報を得て会場に駆け付けたえりぴよと、彼女と同じくメンバーの一人であるれおを推すくまさの二人が、最前列で場違いを承知で彼女たちの登場を待つ針の筵状態を滑稽に描きながら、ちゃむが一人ずつ登場した瞬間の興奮を、4巻のフェスの下地として、舞台が大きくなっていくとはどういう意味かということを、ファンとアイドルの視線の距離感で比較した場面ともいえよう。
 一つのコマの中で、ランウェイを歩く舞菜がえりぴよの姿を認め、二人が見詰めあう瞬間を描く。続けて舞菜がえりぴよの普段の服装との違いを精査しながら、えりぴよとの感覚の違いを描写するコマは、恋愛物で互いに想い合いながらも見当違いな方向に察している、そんな典型的な場面だ。それだけの近さを描けばファンにもその姿ははっきりと見える、感激のあまり泣いてしまう舞菜を見て、えりぴよは何故泣いたのか、舞菜とは異なる想像を膨らませて煩悶する。
 他のライブシーンでも、れおとくまさが互いを認める場面や、くまさとえりぴよと共に活動することが多いファンの基(もとい)が、推しの空音と認め合う場面など、ステージの狭さゆえのアイコンタクが描かれる。会場の入り口であるビルの地下を毎回描き、最後方に居てもステージから顔がわかるくらいの距離感を描きもする。
 キャラクター同士の対話が中心に展開するだけに、地下アイドルの身近さや、握手会・チェキ会などで起こりうるおなじみの光景と思しき場面、そもそもアイドルに顔や名前を覚えられるという距離感に何も知らない私は驚くのだが、心理的かつ物理的な近さを感じさせつつ、背景などの描写からは想像されにくいステージで歌うアイドルと観客席から応援するファンの距離も、おそらく現実にそのような狭さなのだろう、そのまんまを描くことで、その界隈の距離感をまず序盤から切々と、作者は知ってか知らずか描いてしまう。アイドルたちの対話も描くことで、簡潔に言ってしまえば、売れない地下アイドル・いつまで経ってもインディー時代という現実に、いずれ武道館で歌い踊りたいという漠然とした目標が、単なる夢物語でしかない様子を、私は感じてしまうのである。
 ファンであるえりぴよたちでさえ、武道館なんて……と遠い世界と捉え、お金を積んでは握手会で想いを伝え、アイドルたちもまた、そこでしか会えないファンたちとの言葉を大切にしている。人気投票やステージ上の配置である前列後列問題、アイドルたちの苦悩が真面目に描かれる一方で、ファンたちのコメディ色強い描写は、くまさがメタ視点のよう指摘するように、えりぴよが女性だから許される、という点もあるだろう。見詰めあうえりぴよと舞菜は、作品のカテゴライズを思わず百合物にしてしまうほどの強度でもあり、えりぴよが舞菜さえいれば他はいらない・存在全てを愛する姿勢と、ファンが増えない舞菜もファンはえりぴよ一人いれば良いと思うほどに、特殊な関係性で二人は繋がっている。
 初詣で武道館に行きたいと願うように、物語が進むにつれて、武道館ライブという目標がおぼろげにも、ちゃむのメンバーの中で形になっていく。テレビの仕事が単体とはいえあったメンバーのれおや真紀など、メディアへの露出も徐々に増えた印象がある。この微妙に増えたかもって感じが、いかにも売れないアイドルっぽさを展開の中で表現していて、だからこそ、地方のフェスとはいえ、そこに出演できるという喜びが爆発する4巻は、キャラクターの滑稽さ・特にえりぴよの舞菜推しがステージの上で実を結び、舞菜にとってもえりぴよを観客席で見つける、今まで何度も描かれたはずの場面に、二人のこれまでのすれ違いを思い起こしては感情移入し、感動してしまうのである。
 では、その場面を詳しく見てみよう。
 三県の地方アイドルが一堂に会するフェス、会場は大きい。ビルの地下とは大違いの敷地の広さでもある。いや、そもそも敷地という概念自体、ちゃむの会場入り口にはほとんどないんだよなぁ……それはともかく、4巻132頁で観客席の広さとそこから遠く・奥に見えるステージの小ささが、これまでとは違う世界をえりぴよたちにも読者にも見せることになった。そして、24話の冒頭となるステージに上がるちゃむ7人のメンバー。階段を上がるのである、階段を上がるのである(大事なことなので二回言いました)。
 ステージに上がったれおのアングル・斜め後ろの構図が素晴らしい。後ろのみんなに「がんばろうね」と声をかける。ここから頁を捲ると、彼女たちが一気に観客席を見下ろす印象を与える場面を真横から描く。正面を向いたれおの視線に誘導されるように、後ろにいたメンバー全員も、そちらに視線を向けたような印象を与えるだろう。後ろを向いてから正面を向く、動作を細かく描かずとも、それらの動きがコマ割と構図で表現されている。彼女たちの足元の階段も忘れずに描く。もちろん、モデルにした会場がそういう構造だったからって話もあるかもしれないが、ここで階段を上った彼女たちとその視線の動きを感じさせる演出により、これまでのライブではありえなかった特別さが、この場面に強調されている。
 地下に続く薄暗い階段ではなく、光に溢れた輝くステージ、文字通りそのような背景がキラキラと描かれる。これだけで十分にちゃむの飛躍を感じさせる。まあ、この後の展開がどう転ぶのか予想できないけど、踊りの練習に励んだり、ライバルと目するアイドルグループが武道館ライブをすることを知ったり……、ちゃむ飛躍の準備は物語的に着々と進んでいるように思える。
 さて、そして舞菜である。観客席を見渡す彼女は、いつものライブのようにえりぴよを探す。視線の動きは描かないけれども、何度も描かれていたからこそ、彼女が何を求めているのかが読者に理解されている。えりぴよを認め、安堵の表情で見下ろすと、見開きで二人の距離が背景を取っ払って描かれる。これまで二人が「積んで」きた関係性が、読者にとって・私にとってキャラクターの感情と共有する体験であるかのように、特別な演出が施される。もちろん、この特別さは読者にとっても同様である。一コマに収まる程度の距離が、見開きにまで広がり高さも同時に描かれる。舞菜のモノローグがより映える。
 フェスを楽しむえりぴよの想いは、どれだけのアイドルたちを見ても、結局は舞菜しかいない自分の舞菜推しを一層強く意識させた。自分には「舞菜だけなんだよなあ」というセリフが、見開きの空白の背景で見詰めあう二人に通じている。舞菜にとってもえりぴよしかいないし、えりぴよにとっても舞菜しかいない。えりぴよの言葉によって、見開きの距離感の特別さが、一層強く意識されたのである。

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