池辺葵「プリンセスメゾン」全六巻

わたしのしあわせ

小学館 ビッグ スピリッツ コミックス



 六巻をもって完結した本作は、決して収入が多いとは言えない独身の女性が家を買うという当初の色物扱い気味だった物語が、人の生き方と住まいに焦点を当てた普遍性の高いドラマとなった。
 焦点とすべき描写はいくつもあるだろう。コマの余白を存分に利用したキャラクター配置により、読者はキャラクターの表情を真っすぐに見詰める。と同時に、そのキャラクターの視線を追うように空間を眺めるだろう。それによって読者の想像力がキャラクターの想いと重なる錯覚が、きっちりと四角に割られたコマによる淡々とした物語の旋律に乗っかっていくと、各キャラクターの背景にある物語も空想できる。そんな物語の広がりを実感できる作劇が至る所に施されていた。
 背中。年老いたキャラクターが歩く後ろ姿を認めた竜野の視線の先の、買い物帰りで重い荷物を手に提げた脆い恰好が、一頁一コマの大ゴマで描かれる印象的な場面。それが夫婦そろって縁側で佇む姿になると、竜野の心配げな視線は俄かに穏やかになる。あるいは、長く暮らした街を離れなければならなくなった主人公の沼ちゃんが、暮らしたアパートの畳をいつまでもいつまでも拭き続けるぽつんとした背中、誰も声を掛けることのできない、沼ちゃんが若くして家を持とうと決意する、その端緒とも言える涙の場面。あるいはお店の暖簾を片付ける「じんちゃん」と大書された作業着が、普段なら小さな身体に似つかわしくないくらい大きくて彼女を一層小さく感じさせるような場面でも、伊達の「小さな巨人」という言葉があってか、そこだけはそうと感じさせない力強さを感じる背中だったり。
 湯呑。要が初めて沼ちゃんのアパートを訪れた時、沼ちゃんが用意した湯呑は、色も形もそろっていない、後から間に合わせに買ったかもしれないものだった。ドラマ版では湯呑を購入するシーンが描かれるが、ばらばらだったことを気にかけていたのだろうか、えっちゃんが泊まりに来た時には、沼ちゃんはお揃いの湯呑を可愛いから思わず買ったという言い訳めいた言葉とともに用意するのである。マンション購入後、湯呑の一つは、小さな花を飾る花瓶になった。
 椅子。満を持して購入した机と椅子。二脚ある、誰がもう一つに座るんだろうか。真向かいに配された二つの椅子のうち一つは、やがて位置を変え右手の辺に置かれ、机からも離れていき、ティッシュが置かれる。
 傘もまた、効果的である。物語の冒頭にせよ、帰路にせよ、劇中、しばしば描かれた雨の場面で、傘をさして歩き続けるキャラクターたち。たくさんの傘が行き交う中、ひとつだけ別の方向に向かっていくかのような錯覚する構図で描かれた沼ちゃんの傘、二つ並んだ傘と一つだけ残された傘が、要に結婚の意志を促す流れに至る描写は、孤独感という言葉や表情を一切用いずに、キャラクターがいかに孤独であるのかを読者に突きつける(それでいて孤独に対する悲壮感がない描写なのだ!)。
 さらに達観した死生観を抱くキャラクターたち。いつ死ねるのか、いつ死ぬのか、そんなことを考える札幌に引っ越していった恩納や、唐突に「私 いつ死ねるんだろう」と呟くレイや、それとなく死を意識して生きる要、母に命懸けの出来事って何かと聞く亜久津。沼ちゃんを中心とした物語は、話数を重ねるにつれて多くのキャラクターたちの生き方を描く群像劇へと変貌していく。
  1巻18-19頁 1巻18-19頁
 広がっていくキャラクターの関係を包み込むのが、東京の背景である。冒頭の橋を渡る場面(上図)、見開きで描かれた大きな背景は、物語を象徴するビル群と建設中のカーンカーンという工事音を描き、そこを沼ちゃんが歩いていく。朝起きた伊達が高層マンションと思しき窓から眺める景色にも、ビル群と大きなクレーンが描かれた。通勤中の電車の窓から描かれたビル群と建設中のクレーン、新幹線からの車窓も同じように。背景といえば、判で押したように描かれたそれらの景色は単なる記号なのだろうか。それとも意味があるのだろうか。
  3巻153頁 3巻153頁
 勤務先の屋上で本田が思わず呟くコマである。いつもどこかでマンションらしきビルが建設されている。東京にやってくる人々と去っていく人々が描かれる中にあって、東京の背景だけが様々な角度から描かれた。実在する風景をモチーフにしたと思われるそれらは、家を探す前半の沼ちゃんの物語と、家を見つけてから自分の住処とする過程を描く後半の物語で様相を異にしていく。
 というのも、街の中を歩くキャラクターの描写もまた、それら背景の元をうごめく生き物として、さまよっているかのように描かれていたからである。前述の雨、傘を差しながらだと、なお一層、その感覚が強まった。私だけの感覚だろうけど、薄暗い森の中をあてもなく歩いているような、無表情で歩き続けるキャラクターの余白にそんな息遣いを感じたのである。先に引用した橋を渡る図から、沼ちゃんが家に着くまでに二頁、9コマにわたって丁寧に道程を描くのだ。特にアパート前の小さなトンネル(線路下か)をくぐった後の彼女の目つきには鋭ささえ覚える。同じく雨の日に偶然、沼ちゃん家の近くを通りかかった伊達は、線路下のトンネルをくぐり、彼女の後ろ姿を認めた。彼女の住む家を確認し、その狭さを何度も見直す。自分が暮らすマンションとは異なる世界で暮らす人がいる、当たり前だが、マンションを購入する層・つまり高収入と思しきそれなりの生活を営む人々の生活様式からは想起できない沼ちゃんの暮らしぶりに驚いたのか、営業マンとして秘めたるものが彼の中に芽生えたのは間違いない。えっちゃんが泊まりに来た日も沼ちゃんは暗い道をくぐっていた。けれども、物語が進むにつれて、沼ちゃんが歩く道は明るくなっていく。マンションを買い、新しい街を散歩する彼女の溌溂とした表情は、物語前半のどこか冷たい視線や無表情を追いやり、希望に満ちていく。
 沼ちゃんと対照されたキャラクターの要の帰路もまたトンネルから描かれた。地下鉄から真っ暗な車窓、地上に出たか乗り換えたか車窓は東京の例の背景を映し、狭いアパートにたどり着く。彼女の背景には多く東京と建設中のビルが描かれ続け、沼ちゃんの変化していく背景とは正反対に、変わらない。高岡さんと出会い、結婚を意識していくにつれても、背景は変わらない。風邪で寝込んだ沼ちゃんを看病しに訪れた時も、駅のホームで佇む彼女の背景には、やはりクレーンがあった。東京を去る、沼ちゃんとの感動的な別れの場面でも、最後に彼女がふっと見上げた東京として、ビルとクレーンが描かれる。けど、彼女の表情は恬淡と、どこか懐かしむような優しい視線を湛えていた。いつもうつろ気味に描かれていた背景も、光を反射して輝かんばかりである。
 背景を色づけるものは、空気でも水でも鉄骨の色でも、スクリーントーンでもない。キャラクターの感情なのだ。実質的な最終話と言える「東京駅」と題された挿話。かつて自分のマンションの売り契約のために東京を訪れた松原というキャラクターがいた。松原は新幹線の中で思いがけず寝てしまう。起きて車窓から飛び込んできた景色は、高層ビルといくつもの建設中の建物やクレーンだった。八年ぶりに訪れた東京の街並みを物珍し気に顔を上げて歩く彼女は、待ち合わせの女性と合流してホテルのカフェに入った。それでも彼女は大きなシャンデリアを見上げるのである。だが「もう東京に戻ることはない」ときっぱりと言うと、もう彼女は景色を見上げない。ホテルの高い天井も目にとめず去っていく彼女の後ろ姿で締めくくられる「もう、帰らない物件」と題された一巻収載の挿話は、「東京駅」で要を見送った沼ちゃんの、何かを決意して頷き、うちわを背中にしまって、要を乗せていった新幹線と同じ方向を向いて歩いていくラストと対をなしているわけではないが、そんな気さえしてくる相似形である。
 沼ちゃんは要に背を向けはしない。要と同じ方向を向いて、彼女とは別の自分だけのしあわせに向かって歩いていく。過去の涙も友人との別れも何もかも背負って。その姿は、背景の東京駅を輝かすほどに明るいのだ。
 というわけで今回紹介する曲は、池辺葵がアルバムのジャケットを手掛けたヒグチアイ「日々凛々」から、「わたしのしあわせ」。

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