「PLUTO」第2巻

小学館 ビッグコミックス

浦沢直樹



 動かないロボットとして登場した一国のブレインたるDr.ルーズベルト(テディ・ペア)に注目せずにいられない。ブラウ1589が解説する「そんな奴が考えることって、どんなことだと思う?」が恐ろしさを煽る、つまり自分が考え得ることはルーズベルトも考え得るということを暗示しているからだ(そこには当然殺意も含まれるだろう)。157頁のような無邪気というか、いかにも少年漫画っぽい復習の描写と彼がこれから行うであろう知的か幼稚な発想はアトムたちだけでなく読者をも慄然とさせるかもしれない。
 このようなロボットとして私が真っ先に思いついたのは「ブラック・ジャック」に登場したU−18である。
 U−18は医療センターを統べるブレインとして登場し、患者の診察から手術から全てを仕切っていたが、ある回路の故障により誤動作の可能性が生じると、センターを管理する人間達によって修理を迫られる。ところがU−18はそれを拒み、入院患者たちが優れた医師として何度も挙げていたブラック・ジャックの招聘を請い、ブラック・ジャックは応えて手術を行う。もちろん実際に行う作業は機械の修理なわけだけど、手術後も人間の医師として振舞ったU−18は己の限界を悟って引退する、というお話。人間にとっては機械に過ぎないロボットも意思を持っているというわけだ。そして人間として思考したときに得たものが、「機械のように」患者を診察している自分だった。
 自律するロボットの思考は、「PLUTO」の中でヘラクレスが語る「進化してる」という言葉に通じる。しかし、進化は進歩ではない。人工知能をどのような方向に進化させるかは、おそらく開発当初に決定付けられているはずである。ゲジヒトなら捜査のための推理力の発達、犯罪者を確保するための機動性などが優先されるだろう。モンブランなら森林保護のための自然への理解や災害時の支援活動のための力、他のロボットも高性能な点は変わらないだろうけど、少しずつ違った目的が施されているだろう。それが個性ということになる。
 ではルーズベルトの個性とは何かと考えると、大統領の就任演説から推測するに、世界平和・ユートピアの建設を目指すということになるだろうか。もしそれが計算できるなら素晴らしいことではあるが、全ての人々の平和という課題を与えられたロボットが後に反乱を起こすとは誰もが予想してはいなかった、岡崎二郎「アフター0」シリーズの中の「幸福の叛乱」がわかりやすい。
 この挿話は、多くの人々を幸せにするという個性を与えられたロボット(当然ひとつところにいて動けない人工知能だ)が、やがて企業の利益を福祉団体や途上国に寄付をし始め、ネットワークを利用して日本の利益を各国に分配する算段をつけようとする話である。この話の肝のひとつに、この計画を阻止したのもまたロボットである、という点が挙げられよう。そのロボットの目的は企業利益の優先という利己的かつ時代錯誤なものであったが、結果的に日本経済を救うわけだから、ロボットの個性は人の個性同様に扱いが難しい、それこそ人と同じ態度で接するべきなのだろう。……ということではなく、個性を与えられたロボットはどのような振る舞いを見せるかということなのである。同シリーズ「進化の果て」では、人間の文化に適応する目的で作られたロボットが進化した結果、人間の未来を推測して目的を捨ててしまう、目的とはつまり目的に沿うものと沿わないものをえり分けていく作業・淘汰が行われるとことだと語られる。
 Dr.ルーズベルトの目的はまだはっきりしていないが、高性能ロボット7体の破壊が目的のための淘汰だとしたら、その先にあるものは一体何かということ。そして目的のために破壊を続けるロボット・PLUTOの姿はそのまんま原作のプルートゥと重なる。なんだかもう悲しい。悲劇しかない。ノース2号やブランドの比ではない。
 さてしかし、ロボットたちがみな一様に人間のために向上することを期待されているのに何故それに反した行動をしてしまうのだろうか。ここで再び「U−18は知っていた」に戻ると、冒頭で不思議な文章が引用されている。
「あなたがもし天国ばかり目をすえて地上をけっしてみないなら あなたはきっと地獄いき」
 オースチマン・オマリーの言葉として引用されているこの文章は積年の疑問だった。手塚の創作なのか、実在しているのか。結論から述べると、実在した。現代風に読むなら、オースチマンはオースティンとなるだろう。オースティン・オマリー(1858-1932)はアメリカの医者で、手塚が医学生時代に医学書などから彼の名といくつかの文章に触れたのだろうと私は推理しているが、作家の一面も持っていたオマリーは前述のような箴言をいくつも残している(http://www.zaadz.com/quotes/authors/austin_omalley/←英文なので暇なら訳してみてね、手塚が引用した言葉もあるよ)。
 それにつけてもこの言葉の力強さだ。これを引用した手塚の眼力もすごいけど、この言葉を頭の隅に置くだけでトラキア合衆国大統領の演説が、いかに危ないか・きっと地獄いきだろうと思わずにいられないのだ。だからこそのアトムなのである。作られて間もなくアトムは子供を失った親の悲しみ・絶望を目撃している。アトムが人間と同等の感情を持ちえるのも、人間の負の感情・巨大な苦しみを知っているからだ。だからブランドのノイズのような通信を察知できたわけだ。
 今後、仲間を失っていく彼ら高性能ロボットがどのような感情を作り出していくのか……いや、彼ら自身が自身を客観的に観察する能力・すなわち自己批判する力を身につけているということは、それはもう心を持っているってことではないんだろうか……
(参考:岡崎二郎「国立博物館物語」)

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