「リフォーム父さん」

講談社コミックスKISS 海野つなみ作品集「ツナミックス」より

海野つなみ



 ごめんなさい、海野つなみを侮っていた。「回転銀河」の評判を耳にしながらも読む気にならなかったのは、作品の内容云々ではなく、過去に読んだ二冊がつまらなかったからに他ならず、なんとも随分長いこと損をしていたような気がした。いや、こんな面白い短編を描く人だったのかと、なんで当時気付かなかったのだろうか悔しいのである。当時読んだ二冊というのが「ゆうてる場合か!」「西園寺さんと山田くん」なんだが、私には全然合わなかったのだ。漫才を扱っているということで「ゆうてる場合か!」には特に期待していたのだが、もやもやが残る読後感ですっきりせず、他の一冊はさらに印象悪く読み捨ててしまったのである(探せばどっかにあるだろうけど)。
 しかしね、いい評判をずっと読んでいると読みたくなるわけですよ、あなた。そんな迷いを汲んだかのような、回転銀河3巻の発売に合わせてありがたいことに短編集「ツナミックス」が上梓されたのである。……おもしれー。前の二冊の感想は何だったんだろうというような、あれは自分の勘違いではなかろうと思うほどの充実した内容だったのである。いや驚いた。正直、上手いとは思えない、演出にしても物語にしてもキャラクターにしても。でも、切り口の魅力というか、平凡な手法の積み重ねでも読者を引き込んでしまう何かがあるのである。おそらくあの二冊を読んだ時の私には、その何かを感じる力が備わっていなかったのかも知れない。では何かとはなんだろうかと考えてみると、当たり前のことを当たり前に表現すること、という単純だけど難しい物語ではなかろうかという、いつもの無根拠な直感が浮かんだのである。
 この短編集は、どれも主人公(たち)がスタート地点に立つっていう話である。巻頭の「たまごやき」なら卵子の提供という事態を通して自分自身の存在を確認し(と言うのはちょっと大仰だけど、約すとそんな感じ)、「奇跡の春」はこれから始まるだろう二人の関係に気持ちが高鳴り休まり、結末から発端へと逆の時間軸で描かれる「世界の終わりに君を想う」、「両手に愛をつかめ!」の清々しい笑顔がラストで本当の笑顔を得、何かが起こる予感を残したまま終わる。人と人の関係をものすごく丁寧にモノローグを多用して描いているんだけど、同時に主人公の気持ちの変化・特に成長していく様子がわかりやすく描かれてて、まあ言葉に頼りすぎじゃないのという突っ込みもあるものの、物語の最初と最後の成長の差に気付くと、なんだか自分まで成長したような気持ちの良い錯覚があるんである。これは特に「たまごやき」にあって、処分の結果に私自身ひどくショックを受けたのである。
 わかりやすいっていのは工夫がないって事ではなくて、それを繰り返すことで(これもバランスなんだけど。わかりやすさも過ぎるとくどいし、足りないと意味不明だし)、読者に主人公と同様の事態を感じさせて、さあどうするという感情を促進するのである。そういうのって普通じゃんと思うでしょ、思うんだけど、これがなかなかやっかいなんである。
 「リフォーム父さん」はこの短編集の中で一等好きな作品で、主人公・圭太の気持ちの変化というものが、他同様にしっかりと描写されている。惨めな自分を強調しつつ、退職した父のリフォーム趣味に巻き込まれていく中で気付かされていく自分の姿というものも、わかりやすい。これって、下手打つと押し付けがましくなることもあるんですよ。いわゆる説明過剰というもの。でも、この作品群にはそんな感覚がほとんどなく、それはきっと私はこんな気持ちでした、というモノローグと絵の配置の妙ってもんがあったからなのだ。
 絵が最初なのである。台詞を排して主人公の表情がぽんっとひとコマの中に描かれる。それまでの状況で主人公の内面を説明しつつ、途端にそんな絵が入ってくるから、ちょっと読む調子が崩れる。で、印象にとても残る。それまであった説明・独白がないから何を考えているんだろうかと主人公について考える。上手いのはこの先で、気持ちを考えながら私自身についても考えてて、融けあってきて出てくる答えは二つ、主人公の感情と私の感情なのである。モノローグで明らかになる彼らの変化が、そのまんま違う言葉として私の中にも生まれてくるのである。
 例えば195頁2コマ目。真っ黒な背景に圭太の顔のアップ。この絵が、それまで抽象的な「自分らしさ・自分が本当に好きなもの」を具体的にする。亡き母を思い出す彼の回想は約2頁にも渡るが、もちろんこれは一瞬の回想である。直前に恥ずかしいと赤面した彼が見せた内心の顔・いや現実に一瞬見せた寂しげな顔かもしれないけど、彼の話し相手(山田さん)はそれに気付かず普通に話し続ける。特別な言葉からではなく、日常の社交辞令みたいな会話の中に、彼は見つけたのだ。回想後の彼の頬の赤らみは、ここで恥ずかしさから一転していることは言うまでもない。山田さんにとってはあまり表情が変わってないように見える彼のその脳裡に、とてつもない発見のきっかけが渦巻いていたのである(青色のこと)。そして読者たる私自身も、そういえばうちの母も同じ思い出話を何度もするよなーと自分のこととして読んでいたのである。平凡ゆえの油断とでも言おうか、奇を衒わない素直な描写がモノローグの積み重ねによって築かれた主人公の気持ちの山を、津波のように押し流して崩し、ぐちゃぐちゃになった感情を私の中に染み込ませて虚実入り混じる結果となったのである。
 また、新しい部屋に昂揚する彼の顔、ラストの表情に私まで穏やかになった。この効果は、それまで彼のアップに寂しげな表情を含ませていたからに他ならない。わずかな違いである、唇のゆがみ具合。口辺があがっているか下がっているかである。もちろん、彼の嬉しさはリフォームの過程で描写され始めるが、このときの彼はまだ発見していないので強調されない(顔をアップにしてもよこしまな考えや動きのある描写をすぐに持ってきて主人公の気持ちの変化を深く意識させないようにしている)。で、物足りなそうな表情を口元に残した顔が中心としてアップされ続けるので、ラストの満足げな顔が背景のきらきらと相まって(この背景も照明の明かりを用いることで現実っぽい心象景色を生み出している)強く心に刻まれるのである、モノローグと共に。劇的な物語・驚くような描写ではなく、気持ちの緩やかな変化をひっそりと描写するところに劇的な効果を生み出しているのである。つまらなそうな毎日の中にこそ、大きな喜びが潜んでいるのかもしれない。
 というわけでおすすめの一冊。なおかつ私の海野つなみ観をリフォームしてくれた作品というお話。なんちて。

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